てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

忘却とは

2007年06月01日 | 近辺
6月になった。
もう6月と思うか、まだ6月と思うのかは人それぞれだろう。あっという間に1ヶ月たってしまったと思う人もいるだろうが、私にとって先月の5月は長かった。ゴールデンウィークからずいぶん時間がたったように思える。

5月に限らず、4月のこと3月のことも、はるか昔のことのように思える。いろいろあったはずなのだが、記憶がかすかだ。今年の正月はどこで何をしていたかも思い出せない。単に覚えていないだけのことかもしれない。

自分の年齢もしばしば忘れる。
実際の年齢より1歳多く人に伝えてしまい「お若く見えますね」などと言われたこともある。
ふだんは別段困ることもないが、役所などに提出する書類に記入する時、勘定しなければわからなかったりする。
先日、自分の卒業年を書かなければならない書類があったので、あらためて生まれた年から年表を作って数えてみた。
年表の数字がひとつずつ増えている当たり前なことに感心しながら、着実に年を重ねているなあと、思う。
よく、お店を始めて何年になりますか、と聞かれる。ちゃんと答えられたためしがないので、この際調べてみた。
数えてみたら、引き売りを始めてから16年。飯田に店舗をもってから14年だった。
特に長いとも短いとも思わない。ああ、16年たったんだなあ、と思う。
細かいことは覚えていないが、16年という時間を一瞬も無駄なく生きてきたということは感じる。そもそも、人生に無駄な時間などない。

まあ、数十年生きていれば、いやなこともつらいこともある。
でも、いやなことつらいことはほとんど忘れてしまう。
もの忘れがよくなって(もの覚えが悪くなったとはいわない)幸せなことだ。
うれしかったこと楽しかったことも忘れてしまうのかというと、その「ものごと」については、やはり忘れてしまう。
ただ、うれしかった楽しかった感覚だけは、覚えている。
何がどうなってうれしかったのか具体的な記憶はないが、感覚だけ思い出して、うれしかったなあ、などと思う。

そんな都合のいい記憶力だが、どうにも忘れられず、ふっと何かの折に思い出してしまうことがある。
人につらい思いをさせた傷つけてしまった記憶だ。
こう書くと善人っぽく聞こえて気まずいのだが、他人の心のこととなるとわからないのだから仕方がない。
相手は、気にもとめていないかもしれないし、根深く恨んでいるかもしれない。
どう思われても仕方がないが、傷つけてしまったという一点においては、気がかりが残る。まあ、そのくらいは覚えておいてもいいだろう。

もの忘れがよくなると、いつも新鮮でいい。昔観た映画も初めて観たような気になる。お得だ。
飽きっぽい性格の私が、仕事を続けていられるのも、もの忘れがいいからだ。
だんだん日常に支障がでてくるようになって迷惑をかけたりするが、それはもの忘れではなく失念というのだそうだ。ほんとかな?