あるサイトで、布で弁当箱を包む動作を、動画で流していた。その包み方が、おやまあ、と思う団子結びだった。誰か注意してやる人はいなかったものか、それともこんなことにこだわる人もいないのか。
高校生の頃、ぞんざいに弁当箱を包んでいたところを父親に「なんだ、その結び方は」と見とがめられ、教わった本結びが納得のいく美しさだったから、自分の中では、結ぶとはそういうものだと落ち着いていた。
弁当包みなど、どんな結び方包み方でもよさそうなものだし、今ではポーチや小袋など手軽にぽいと入れればいいわけだし、こだわるようなことではないけれど、人が団子で結んでいれば、ちょっと気になる。
そういうふうに「しつけ」られたのだと、最近になって気がついた。
「仕込む」ほどではない、ただその動作を「仕付け」られた、という程度のこと。身に残ることもあるし、残らないことも多い。親としては、もっとちゃんとしつけたはずだが、と嘆くだろう。
ひるがえって、私が子どもにしつけを意識したことは、ほとんどない。しつけ、という言葉に強制、規制、罰などのイメージを持ってしまっていたからかもしれない。それでも、知らず知らずのうちに子どもの身に付いてしまう動作は、よいものもあればわるいものもある。
「躾」の文字通り教えればうつくしかっただろうに、きれいでないものも「仕付け」てしまったようで、今さらながら悔やむことだ。
高校生の頃、ぞんざいに弁当箱を包んでいたところを父親に「なんだ、その結び方は」と見とがめられ、教わった本結びが納得のいく美しさだったから、自分の中では、結ぶとはそういうものだと落ち着いていた。
弁当包みなど、どんな結び方包み方でもよさそうなものだし、今ではポーチや小袋など手軽にぽいと入れればいいわけだし、こだわるようなことではないけれど、人が団子で結んでいれば、ちょっと気になる。
そういうふうに「しつけ」られたのだと、最近になって気がついた。
「仕込む」ほどではない、ただその動作を「仕付け」られた、という程度のこと。身に残ることもあるし、残らないことも多い。親としては、もっとちゃんとしつけたはずだが、と嘆くだろう。
ひるがえって、私が子どもにしつけを意識したことは、ほとんどない。しつけ、という言葉に強制、規制、罰などのイメージを持ってしまっていたからかもしれない。それでも、知らず知らずのうちに子どもの身に付いてしまう動作は、よいものもあればわるいものもある。
「躾」の文字通り教えればうつくしかっただろうに、きれいでないものも「仕付け」てしまったようで、今さらながら悔やむことだ。
太田建設(株)の小川 と申します。
フルーツカクテルより飛んできました。
ブログを拝見させて頂き、相互リンクお願いしたいと思い、コメントさせて頂きました。
当サイトから貴ブログへのリンク設置はすでに完了しております。
どうぞ宜しくお願い致します。
サイト名:「信州で自然素材の家造り」その一部始終を太田建設小川剛史が生中継
サイトアドレス:http://huya.livedoor.biz/
紹介文:現場のようすや趣味のヨットのことまで幅広い内容で公開中
リンクの件、ありがとうございます。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。