2010.12.27(月)
約1500年前、王と平民の母の長男である王子は、腹違いの弟(母親が王族の出)に王位継承権を奪われるのを恐れ、王である父を監禁し、王の座を強引に手にした。その後、父を殺害してしまう。こうして王になったが、弟の復讐を恐れてか、父を殺したことによる苦しみのためか、狂気の沙汰のごとくシーギリヤのジャングルの中の大きな岩の頂上に王宮を築いた。そして、この大きな岩の中腹に父の霊を鎮めるため美女の壁画を描かせたといわれる。
正面の岩山はシーギリヤ・ロック。高さ約200m
シーギリヤロックに辿りつくまでも沐浴上、給水施設等の遺跡がある。
シーギリアロック辿りつき、見上げたところ。
1500年前の美女の壁画が岩の中腹に残っている。シーギリヤレディと呼ばれる。
美女たちは500人ほど描かれていたが、残っているのは18人。風雨による侵食と戦争の時の攻撃ではがされたため。
岩山の側面に巨大なライオンの像が彫ってあった。現在は前足の爪の部分しかない。
シーギリヤロックの頂上にある王宮跡のプール
シーギリアロック頂上からジャングルの方を見た風景。白い写真上部、中央よりやや右に見える白いものはスタンディングブッタ(立っている大仏)。