ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

門前町として発展した巨大招き猫などがあるいろんな商店街を歩く

2024-08-01 01:43:56 | 愛知県

2024年6月11日(火)

大須(名古屋市中区)は、家康が大須観音を岐阜からこの地に移転させたことから、門前町として発展。巨大な招き猫がある商店街など、いろいろな和風の商店街がある。

 

大須表参道ゲートのところに「真央ちゃんチャーハン」を目玉商品としてPRしている店。近くに浅田真央ちゃんが練習するスケートリンクがあり、彼女が小さいころよりよく訪れて食べていたらしい。

大須観音。家康が名古屋城築城に伴い犬山城主に命じ、この地に移転させたことにより、大須が賑わった。

仁王門通りの商店街。この他、大須には、いろいろな商店街があるが、アーケードも和風であり、浅草と同じような雰囲気で、活気があり歩いていて楽しめる。ういろうのネーミングも、全国的に地名度がある「名古屋」を使わず「大須」で勝負している。

仁王門通りを通り抜け、道路の向こうには東仁王門通りの商店街がある。

仁王門と東仁王門の二つの商店街を分ける道路にモニュメントをたて「大須」ということを大きくPR。名古屋というより大須に訪れているという感じで、名古屋という文字があまり入ってこない。

東仁王門商店街。やはり和風の感じの商店街。

東仁王門通りのアーケード商店街の終点にあたる広場に巨大な招き猫がいた。

万松寺通り商店街。東仁王門の北に並行している通り。近くに万松寺という寺があるが、織田家の菩提寺であり、家康が子供の頃、織田家に人質になった時、ここで信長と会ったとされる。

大須観音通りの商店街。名古屋は何度も訪れたことがあるが、大須は初めて訪れた。大須演芸場、大須わらび餅、OSU(アイドルグループ)、大須おみやげカンパニーなど、名古屋ではなく大須が冠となっているのには少し驚いた。

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江戸情緒の街並みが残る絞りの街を歩く

2024-07-27 17:51:00 | 愛知県

2024年6月11日(火)

有松(名古屋市緑区)は、尾張藩の奨励により作られた街。尾張藩が絞り染めを保護し、特産品として東海道の旅人に販売して栄えた。江戸情緒がある街並みが残る。

 

名鉄の線路と東海道の間に流れる川沿いも柳が植えられ風情がある。

東海道沿いの有松の街並み。以前訪れた名古屋の風情がある街に妻を連れて立ち寄ったが、初めての妻は、期待してなかったようで、いい意味での期待外れだった。

有松の街並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、有松絞りで繁栄した商家が東海道沿いに約800mに残っている。

東海道沿いの古い商家は、有松絞りの暖簾を掲げている。

東海道(一方通行の標識を入ったところ)と交差する道。有松の古い町並みはこの道路の左右(東西)にある。東側の古い町並みにある古民家できしめんを食べた後、道路を横断し西側の古い町並みを歩いた。

有松の西側の街並み。

有松絞りの着物等など販売している店。

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小さな温泉街にある5万株のアジサイ

2024-07-26 21:30:45 | 愛知県

2024年6月11日(月)

蒲郡市の形原温泉は、蒲郡温泉郷のひとつ。山麓に数軒の旅館や飲食店しかない小さな温泉。温泉街の坂を上がったところの池の周りに5万株のアジサイが植えられている。

 

「形原温泉あじさいの里」駐車場付近の風景。この手前でオジサンが駐車場を誘導していたが、狭く駐車しずらい民間駐車だった。坂を登ったところに「形原温泉あじさいの里」の駐車場があり余裕で駐車できた。帰る時は、満車であり、反対車線は渋滞していた。温泉は約500年の歴史あるが、温泉街と言う感じはない。

形原温泉あじさいの里西ゲート付近。入場料500円。平日だったので、混雑はそれほどでもなかったが、この時期の土日は激しく混雑するようだ。

西ゲートを降りたところにある池を中心にしてその周りにアジサイ5万株が植えられている。

珍しい数十種類のアジサイを鉢植えにして展示してるコーナー。

斜面のアジサイ。

池の上を登っていくと遠くに三河湾、三河大島が見える。

 

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寅さんの街へのJR最寄駅から河川敷の5万本の菖蒲園まで歩く

2024-07-22 00:16:16 | 東京都

2024年6月8日(土)

JR金町駅(東京都葛飾区)は、寅さんの街「柴又」へのJR最寄駅。ここから、江戸川河川敷に5万本の菖蒲がある小岩菖蒲園(東京都江戸川区)まで歩いた。

 

JR金町駅。常磐線の各駅停車しか停車しない駅であり、下りの場合、次の駅が千葉県の松戸駅となる都県境の駅。駅舎を出るとすぐ京成金町駅(金町線)があり、寅さんの街「柴又」は次の京成柴又駅。

JR金町駅前の風景。

トボトボと約1.5km歩いて、京成の柴又駅前にある寅さんの妹さくら像。さくらの視線の先に寅さんの像があり、旅に出る寅さんを見送りにという感じが出ている。

京成の柴又駅に咲いていたアジサイ。

柴又駅から少し遠回りして京成高砂駅まで歩いた。京成金町線、京成成田空港線、京成本線の駅であり、通勤で長年利用して愛着がある京急電車が乗入れている。

京成高砂駅付近の商店街。

京成高砂駅から京成本線沿いを、京成小岩駅、江戸川駅を経由して歩き、目的地の小岩菖蒲園に訪れた。少しあったアジサイと江戸川の鉄橋を渡る京成電車を撮影。

小岩菖蒲園。5万本の菖蒲の一部を撮影。5万本というので、もっと規模がスゴイと思っていた・・・

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戦国最強武将が命名したと言われる温泉街を歩く

2024-07-20 00:45:28 | 群馬県

2024年5月27日(月)

猿ヶ京温泉(群馬県みなかみ町)は、戦国最強武将と言われる上杉謙信が越後から三国峠を越えて訪れた際、戦の直前に見た夢からこの地の名を決めたという言われがある。

 

猿ヶ京温泉街。法師温泉で入浴したばかりなので、温泉には入らないが歩こうと思って立寄った。温泉街は、ひっそりと静まりかえっている。

この道をまっすぐ行ったところには、与謝野晶子が何度か訪れたようで彼女の記念館があったが閉鎖中だった。他にもこの地を北原白秋、若山牧水などの文人が訪れている。

さらにまっすぐ進むと深い谷があり、バンジージャンプができる橋がかかっている。

バンジージャンプの横付近から渓谷を撮影。

来た道を戻って国道17号線の方へ向かって歩いていくと「いたちの湯」という手湯があった。他にも「きつねの湯」、「河童の湯」という手湯を見かけた。

温泉まんじゅうを食べたかったが、ひとつだけ買う根性がなかった。

国道17号線との交差点付近が猿ヶ京の中心部であり関所跡などがある。ここは上杉謙信が、戦を前に訪れた時に、前歯が8本抜ける不吉な夢に見て、お供にその話をしたら、逆に縁起のいい夢だと言われた。それが庚申の年・申の月・申の日で、その上、謙信が申年生まれだったことから「申が今日」ということで「猿ヶ京」と命名した。

国道17号線との交差点から法師温泉方面に延びる道路は「奥利根湯けむり街道」とも言われメインストリート。

「奥利根湯けむり街道」沿いにある鳥居をくぐって神社に繋がる参道。由緒ある神社のようだが、駐車場への近道として通っただけで、神社へは行かなかった。

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国鉄のCMで有名になった温泉

2024-07-16 01:39:00 | 群馬県

2024年5月27日(月)

法師温泉(群馬県みなかみ町)は、三国峠の麓にある秘湯の一軒宿。国鉄のフルムーンのCMで有名となった。

 

法師温泉入口。国道17号線で新潟方面から群馬県に入り三国峠を下ったところに法師温泉を案内する標識(看板?)があり、小さな集落を抜けると家もない山奥の道を約4キロほどのところにある。バス停があるが、町営バスが午前2便、午後2便ある。

法師温泉長寿館本館。温泉は弘法大師により開湯。創業1875年(明治8年)の建物であり、国の登録有形文化財。扉が開いているところが玄関で受付があり料金を支払い、荷物を預かってもらう。内部も歴史の重みを感じられる造り。浴場は、法師乃湯(混浴)、玉城乃湯(男女時間交代制)、長寿乃湯(女性専用)

日帰り温泉は、法師乃湯という情緒たっぷりの浴室。脱衣室は男女別々で、浴場に入ったところで正面に女性がいてビックリ!!混浴ということは知っていたが、女性が入浴しているとは思わなかった。私が入浴した時に、国鉄CMのように4組の夫婦(と思われる)が入浴していた。その他7~8名の男性が入浴していたが、単独女性はいなかった。

入浴後、周辺を歩いてみた。新緑の中、爽やかだった。多分左が混浴大浴場の法師乃湯かな?

法師乃湯を少し奥に行くと温泉施設ではなさそうだし、経営者か従業員の休憩施設、もしくは住まいかな?

法師温泉の横を流れる法師川。秋の紅葉がメッチャ良さげ。

法師川を渡ったところの杉木立。神社があった。

この時期なのに紅葉した木が一本あった。

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日本一の米生産県のど真ん中の街を歩く

2024-07-15 01:21:30 | 新潟県

2024年5月26日(日)

見附市は、米の生産量が日本一“新潟県“の重心点であり、県のど真ん中にあたるが、面積は県内で最も小さな市である。

 

JR信越本線の見附駅。市内の鉄道駅はこの駅だけ。

JR見附駅前。大きな建物や商店街などない。

駅前通りをひたすら街の中心部に向かって歩いて行くと、残雪がある越後山脈の山が見えた。

市街地に入ると由緒ある屋敷があった。

雪国特有の雁木も少し残っている。

中心部のアーケード商店街の東側。市内にひとつしかない鉄道駅のJR見附駅からは2.5km程度あり、かなり遠い。

アーケード商店街を東側に歩いて行くと、アーケードは途切れたところから雁木となるので、昔はアーケード商店街は雁木だったと思われる。

雁木の中を歩いた後、ユーターンして来た道を戻り、アーケード商店街を西に向かって歩く。

上杉謙信の凧。見附は、伝統行事として凧合戦が行われる。近くの白根(新潟市)、三条でも同じように凧合戦が開催される。

アーケード商店街の西端近くに懐かし気なアイスクリームの店があり、ガランとした商店街に結構人が集まっていた。昭和25年創業、初代が作った味を守ってるとのこと。もちろん休憩がてら食べた。

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洋食器の街を歩く

2024-07-11 00:09:16 | 新潟県

2024年5月26日(日)

燕市は、新潟県中央部にあり隣接する三条市と同じく金物の街であるが、スプーン、フォーク、ナイフなど国内シェアのほとんどを占める洋食器の街。

 

燕市の手前で信濃川から分かれ、新潟市でまた信濃川と合流する中ノ口川。

燕三条駅方面から中ノ口川の橋を渡って弥彦方面に向かう国道。

弥彦方面に向かう国道から入ってJR燕駅までの間に昔からの商店街がある。

商店街に昔からの雁木が少しだけ残っている。

昔からの雁木の中は、昭和をたっぷり感じられるが、シャッター通りで残念。

商店街を出たところにある鎚起銅器の製作施設(写真左)。鎚起銅器とは銅板をカナヅチでたたいてヤカンや茶筒を製作。国内で鎚起銅器を製作しているところは少なく、社長は「人間国宝」、店舗等建物は国の「登録有形文化財」、鎚起銅器の技術は「新潟県指定無形文化財」。

JR燕駅。弥彦線の駅。

JR燕駅近くの跨線橋からの燕市街地と弥彦山

燕のご当地ラーメンは「燕背脂ラーメン」。この日は暑く、コッテリしたラーメンなので、寒い時に訪れたら食べようと思う。

市街地を抜けると新潟平野の田んぼが広がっていた。今回、歩いて洋食器に関連する工場、店舗等施設は見かけなかった。国内シェアのほとんどを占めるくらいなので、トラックなどが入れる郊外の物流エリアに集中しているようだ。

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刃物が国の伝統的工芸品に指定された金物の街を歩く

2024-07-09 02:02:20 | 新潟県

2024年5月25日(土)

三条は、新潟県中央部にあり、市内を流れる川から砂鉄が採れたことにより金物の街として栄えた。伝統的技法で造られる打刃物は国の伝統的工芸品に指定されている。

 

JR東三条駅。信越本線、弥彦線の駅で特急が停車。学生の頃、友人がこの駅に迎えに来てくれた時、撮った写真があるが、駅舎も駅前も全く変わっていた。その友人に今回も会う予定だったが、奥さんが数日前に入院したため一人でお歩きさん。

JR東三条駅付近の街並み。遠い昔、特急白鳥でJR東三条駅に降り立ったが、駅舎と駅前で入った喫茶店しか記憶にない。記憶を辿りながらJR東三条駅付近を歩いたが、その時の喫茶店はないし、覚えているものは駅舎だけ。

新潟はそれぞれの土地でご当地ラーメンがあり、三条はカレーラーメン。

JR東三条駅の近くにあった刃物屋。刃物と言ったら包丁、剣などをイメージしていたが、鋸の専門店のようだ。

右の電柱には、やはり刃物、金物である彫刻刀製作所が広告を掲出。。

三条の飲み屋街。JR東三条駅からはかなりあった。弥彦線で特急も停まらないJR北三条駅の近くだった。

街の中心部のメインストリート。飲み屋街にほど近い。写真左の家は、札幌の丸井今井百貨店創業者の邸宅。

メインストリートに面してここにも奥行きがある昔ながらの大邸宅があった。

JR北三条駅前。写真右の小屋根がある建物は、鍛冶を体験できる三条鍛冶道場。写真には写ってないが、すぐ近くに隈研吾が設計した図書館等複合施設がある。

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日本の原風景が残る闘牛と錦鯉発祥の村を巡る

2024-07-08 01:39:23 | 新潟県

2024年5月24日(金)

長岡市山古志地区(旧新潟県山古志村)は、山の中に棚田、棚池がたくさんある「日本の原風景」の村。闘牛と錦鯉発祥の地としてもPRしている。

 

長岡市役所山古志支所(写真中央)と復興交流館(写真左)。2004年の中越地震の際は、合併前であり山古志村役場だった。被害が甚大な地域であり、当時の報道でこの村のことを初めて知った。

山古志支所前の錦鯉。小千谷市も「錦鯉発祥の地」と称してる。これは約200年前、食用の鯉が突然変異したものを改良を重ねた場所が二十村郷というところで、現在の小千谷市、長岡市山古志地区にあたるとのことである。

山古志支所のすぐ横にある復興交流館の水槽の錦鯉。

復興交流館から見た風景。山の中に棚田、棚池がたくさん。日本の原風景というキャッチコピーが似合っている。

闘牛場。山のてっぺんのようなところにあった。山古志の闘牛の歴史は1000年あるとも言われる。

支所がある地区から小学校などがある最も大きな虫亀地区に行く途中の風景。集落が点在していて、距離もあり車で移動した。

最も大きな虫亀地区内を歩いてみた。

虫亀地区にある養鯉場。

案内板にビューポイントが紹介されていたので、虫亀地区から車がすれ違えない細い道を車で登っていった。対向車が来なくてホッとした。ビューポイントのところは、濃い霧だった。せっかく訪れたので、更に数百メートル先に登ったところでビューポイントではないところを記念に撮影。

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