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「陰謀の日本中世史」呉座勇一

2018-07-14 23:21:45 | 読む
呉座勇一「陰謀の日本中世史」角川新書
呉座勇一は「応仁の乱」(中公新書)が難しい研究本なのにベストセラーになって話題になった著者。
陰謀論がかしましく、何でもかんでも、「これは陰謀だ」と主張される風潮に、この本を出した。
ほんとうは「応仁の乱」より先に出版予定だったそうだ。

呉座氏の陰謀論の解説は、
陰謀論がまかり通るのは、結果から考えてのストーリーであることと、
(結果と原因が釣り合うイメージになる)
こいつ(この組織、この国)が仕掛けたのだという話が、シンプルでわかりやすいから。
たいていの歴史的大事件や大転換は、そこに至るまでの過程が、細かいことの積み重ねだったり、
進行具合が行ったり来たりだったり、複雑な原因が絡み合って、あるタイミングで大きな結果につながることが多い。
それをちゃんと理解するのは難しいので、単純な「これが原因だ」という説が出ると、ウケがいい。

なるほどと思いましたが、「坂本龍馬暗殺の黒幕が薩摩藩などというトンデモ説が」と書かれてあると、
エエッ!トンデモ説なの!?と思ってしまう私。
(西郷隆盛なんかワルイ奴としか思ってない私)

保元の乱、平治の乱、源平、鎌倉幕府、足利尊氏、観応の擾乱、応仁の乱、本能寺の変、豊臣家と家康
という章立てになっていて、やはり観応の擾乱~応仁の乱が中心になってるけど、
私、この辺までは登場人物がよくわかりません。
誰と誰が手を結んで、裏切ってというのが、「え、誰と誰だっけ?」
読んでても頭に入ってきてない。ハハハ。
信長から秀吉、家康となって、ようやく誰が誰だかわかってくるという感じでした。ハハハ。
それでもおもしろく読めました。

関ケ原も、いまでは、家康がわざと会津征伐に向けて出陣して
三成が挙兵するのを誘ったという説がドラマなどでは採用されることが多いが、
呉座氏によると、それは考えにくい、と。
三成に毛利や大阪の奉行衆が味方することは予想していなかった。
三成挙兵の知らせに行軍を止めて、情報収集に努めていた時間があったと思われる。
(この辺は書状から検証される)
西軍が大規模であることがわかってから、会津を断念して西へ向かった。
結果的に「天下分け目」になったのであって、家康が仕掛けて誘発したはずはない。
なぜなら会津の上杉を征伐すれば、家康を抑える勢力はなくなり、
家康の力が増大する一方、豊臣家の力は削られ、秀頼が成人するころには家康の天下になっている。
わざわざ反家康勢力がまとまるように仕向けて、勝てるかどうかの大戦をやる必要はない。
というのが、呉座氏の「家康陰謀論」の否定。

なるほどー!
たぬきおやじの演出とか、すべてが家康の陰謀という話のほうがドラマチックだし、
ぎりぎりで勝った関ケ原の結果と、直線的につながるのが盛り上がるわけよね。

陰謀論を唱える人の特徴は、おおげさで、通説を全否定する。
自分だけが「正しい歴史を知っているのだ!」という。
田母神俊雄、明智憲三郎、立花京子、藤岡信勝、井沢元彦などが例として名前が挙がってます。

陰謀論ではないが、偽史として「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)が出てくる。
これは私も知ってるゾ!
青森で偶然発見された!と発表された古文書で、あらはばき族の歴史なのよ。
1970年代に発表されて、話題になって、信じる人も多くて、
その後さまざまな矛盾点が指摘されて偽史とされるんだけど、
いまだに「これはすごい!」的に持ち出されたりするらしい。
で、こういうものが出たときに専門学会できちっと検証されて、これは違うとちゃんと否定されれば、
それで済むものが、なぜなんとなくいつまでも生き残り続けるか?
専門的な研究者が取り組まないからだそうだ。
「東日流」が偽史と認定されたのも、在野の研究者によってであって、専門の学者によってではない。
「私も日本史学界に籍を置く身なので~論ずるに値しない珍説トンデモ説は黙殺するというのは、
日本史学界の共通認識」と呉座氏は書いている。
「だが、日本史研究者が無関心を決め込めば、陰謀論やトンデモ説は生き続ける。
マスコミや有名人に取り上げられ、社会的影響力を持つかもしれない。」
誰かがちゃんと書かねばと思ったのが、本書を著した理由である、と。
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