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読書感想文「グレート・ギャツビー」

2022-07-20 22:51:22 | 読む
読書感想文「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド 野崎孝訳 新潮文庫

 宝塚で「グレート・ギャツビー」が上演されるので、読んだ。宝塚では3回目の上演だそうで、脚本・演出は同じ小池修一郎氏だが、今回はかなりのリニューアルということらしい。
 私はデカプリオの映画しか見たことがなくて、むかしの女を呼び戻すために大邸宅で夜な夜な乱痴気パーティーを開いているおかしな男という印象しかなかった。
 小説は、ギャツビー邸の隣の家を借りた男、ニックの一人称で語られる。それがとても重要。ニックが見たこと聞いたこと以外は読者にもわからないので、いわゆる「神の視点」ですべてが明らかになる描写ではないのだ。ニックは、ギャツビーが恋い焦がれる女・デイジーの親戚だったために、二人の再会とその後の悲劇に巻き込まれることになる。

 1920年代のアメリカ、デイジーは裕福な環境の娘、ギャツビーは貧しい生まれ。ギャツビーが兵役に行って連絡が取れない間に、デイジーはより取り見取りの求婚者の中からやはり大金持ちのトム・ブキャナンと結婚し、5年たったいま子どもも生まれている。
 入江を挟んで建つ、ギャツビーの屋敷とデイジーの住む屋敷。デイジーを思って入江に向き合うギャツビーの姿が印象的に出てくるのだが、前半ではやっぱりオカシナ男としか思えなくて、これを演じる月城さん、どういう人物造形?大丈夫?なんて私は思ってしまった。
 屋敷の近くの自動車修理工場の女房とトムの浮気の場面がけっこう長く描かれるので、必要なの?と思うぐらいだったが、必要だったのですよ、これが。この女房が、ギャツビーとデイジーの乗った車の前に飛び出して来た理由、ギャツビーとトムが直前に車を交換して乗っていたこと、終盤になってパタパタと早いテンポでピースが嵌って、最後は、ギャツビーは自邸のプールに死体となって浮かぶことになる。撃ったのは、女房を轢き殺したのがギャツビーの車と知った亭主。
 実は運転していたのはデイジーなのだが、それを知っているのはニックだけ。
当然、デイジーは知っている(という言い方もおかしいが)わけだが、彼女がギャツビーの死をどう感じたのか、一行も描かれない。デイジーは、トムに連れられて、この地をさっさと離れてしまい、ニックが連絡を取ろうとしてもつかまらない。
 トムがその後、一瞬だけニックの前に現れるのだが、彼が、運転していたのはギャツビーだと思い込んでいるということは、デイジーは夫に事実を告げていないのね!(意外に凄い女か?)いや、印象としては、別にいやな女というよりフツウの女って感じなんだけどね。再会したギャツビーに、離婚して自分と一緒にと言われればその気になり、しかし、ギャツビーはマフィアと手を組んで危ないことをしてる男だと聞くと、たちまち尻込みして冷めてしまう。
階級差を認識しているのはギャツビーのほうだけで、デイジーのほうはたぶん気づいていなかったに違いない。

 ニックがいい人なのよ!ここにいたるまでにギャツビーに対していろんな感情を持っているんだけど、死んだ彼のためにできる限りの友人知人を探して連絡しようとするの。でも、誰も来ない。貧しい老父が新聞で事件の記事を見て駆けつけてくるのが、よりいっそう哀れ。
 ギャツビーには救いがない。報われない。でも、読んでいて、後半からこの結末に至って、これ、月城さんに向いてるわと思いましたね。このやるせない虚しさ、「湿度と重さ」が特徴的な持ち味の月城かなとさんに向いてる役だと思います。

(デイジーや彼女の友人の言葉づかいがえらく蓮っ葉なのに驚いたんだけど、これは原文からそうなのかしら、訳文のせいなのかな)
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