メディア遊歩道

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多摩、フィルムコミッション講座、第一回 熊谷健講師を迎えて

2008-10-10 09:03:28 | Weblog
先週日曜日、多摩市永山で開催された多摩フィルムコミッション講座第一回、熊谷健講師を受講した。

熊谷先生は、特撮オタクで知らない人はスペシウム光線の刑に処せらるのではないかと思われるウルトラマンシリーズの有名プロデューサー。

今回は映像作品製作について講義ということで、プロデュースした帰ってきたウルトラマン、原作も原案もない中で、シーモンス・シーゴラスの回(前後編で放映された。つい先日もMXテレビで放映されたばかり)を自らイラストや設定を書き、脚本家や監督とミーティングして作ったこと、
帰ってきたウルトラマンからレオまでの四年間は猛烈な忙しさで子供の顔を見た覚えがないこと、
(なんたって、四年間毎週怪獣を送り出していたのだ!!)

特撮に金かけすぎで円谷プロの経営難宇にあったこと
(ウルトラマンレオの後半を思い出せる人は思い出してみよう)
そして、「ウルトラファイト」という五分番組で、使い古しのぬいぐるみを使いシナリオも現場で作りながら撮影し(監督脚本撮影小道具何でもひとりでやった!)なんとか経営難凌いでいた日々もあったとのこと。

などなど色々なお話を聞くことが出来た。

円谷英二、脚本家の金城哲夫や、上原正三(ご存命)の人柄、思い出話もうかがった。

円谷英二は、大空への憧れと、「かぐや姫」の映画化を生涯夢見た大らかな人だったそうな。
(上原正三脚本の、ウルトラマンティガのエピソード「ウルトラの星」のとおりだったのだろう)


プロデュース作品は四百以上、全てのテレビ局と付き合ったなど、今の「××制作委員会」で出資した会社から派遣さるた「プロデューサーの派遣さん」ではなし得ないフィルモグラフィーであります。

また、昔はいい女優を見つけると女優に見合うドラマの企画作り提案して、とにかくその女優とお仕事した、とか
他に役得ありませんでしたか?


今は制約が映像に比べて少ない演劇作品のプロデュースや人材育成をしておられるそうです。


円谷プロの初仕事が「太平洋ひとりぼっち」のヨットの特撮で、市川崑の特撮の指示「猫の爪のような波がヨットに襲いかかる」シーンを作ろうと苦労したとのこと。

東宝映画「マタンゴ」で美術助手としてマタンゴそのものを作るのに溶剤をバケツで混ぜてコネて、苦労した話とか、
怪獣出演場面でミニチュアの照明に苦労し、セットに光る粉を撒いて調整したとか。
そうした空気感がないと、ミニチュアがミニチュアにしか見えないんですよね。今はCGで何でもできちゃうけど。

小津安二郎の現場に入り原節子のスタンドインをしたとか
→照明が強いため照明やカメラ設定してると汗で化粧が崩れるため、設定の時に着物をかぶりその位置でじっとしていて、カメラ覗く小津安二郎監督の指示で湯のみを5ミリズラした、とか


と、いろんなエピソード満載で楽しく受講出来ました。

全体とおして、熊谷先生は絵を描くのが好きで、人に説明するにも絵を描いて概要を説明出来て、そして何よりも、みんなのそれぞれの能力を引き出して、作品にまとめる手腕があり人柄がある、という所が沢山の作品を残せた秘訣であるようだ。

そして作品にはこだわり、強い意志が反映して良いものになり、受講者(私含めて年配者多い)に今からでも役者、クリエーターになれる、焦らなくていいという強いメッセージと共に、受講者一同で発声練習までしたのでした。

なお、講義中に受講者一人一人に思い出の映画を尋ねていくコーナーがあり、「ローマの休日」や「ベン・ハー」や「風と共に去りぬ」などが挙げられていく中で、私はつい見栄で「ブレード・ランナー」と言ってしまいました。
ヤッパリ「海底軍艦」と言っておけば良かったか??

熊谷先生、有難う御座いました。

(熊谷先生の講義はこの一回だけ。あとは、録音制作、ロケーションの支援の実際、町おこしなどなどの講義になります
くわしくは「たえのは」で検索を!!

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