3.11
東日本大震災の発生から10年が経過しました
10年が一応一区切りにはなるとは思いますが
忘れたくても忘れられない深い傷跡が多くの方の心の中に今もなお残っていることでしょう
あの日の悲惨な出来事は
同じ日本で現実に起こっていることとは到底思えない
目を覆いたくなるような大惨事でした
大いなる自然の猛威の前では
人間という小さきものはなすすべもありませんが
その体験をこれからの教訓として生かすことが大事です
「津波てんでんこ」→津波が来たらてんでに逃げる
仕事の関係で東北には二度ボランティアに行かせていただき
たくさんの貴重な経験をしました
その時感じた強い想いはいつまでも鮮明に胸に刻んでおくつもりです
一回目のボランティアは宮城県涌谷町
震災後11月8日から10日間現地入りし活動しました
8か月が経過していて人々は少し落ち着きを取り戻されていましたが
びっくりするような残骸があらゆるところに残っていて本当に胸が痛みました
奇跡の一本松のある南三陸町へも訪れました
その時の写真はパソコンが故障して取り出せなくなってしまったのですが
一コマ一コマが私の脳みそに深く刻まれています
小さな事務所の床に段ボールと温熱シートをひいて寝袋で雑魚寝でした
私はいろいろな施設でボランティアをして帰ってくる人のために
食事の準備係りでした
毎日自転車で買い物に行って朝昼夕の食事作り
合間にパソコンに活動記録を打ち込んでいました
沖縄や東京のあきる野市、和歌山の人たちと一緒になり今でも年賀状をやり取りしている人もいます
二回目は福島県双葉郡大熊町
(2012年8月1日から31日まで)
第一原発のある近くの特別養護老人ホームでのお手伝いでした
いわき市にあるアパートから車で施設まで一か月通いました
目に入るものすべてが驚くことの連続でしたが
休みの日に車でいろいろなところへ行ってみることも楽しみでした
あぶくま洞やブロ友さんのいる山形へ行ったり
天然温泉の岩盤浴にも行きました(三春の滝桜の近く)
どこもかしこも自然が豊かで人情味溢れる方々とのふれあいがあり
少しでもお手伝いするためにと思って参加したのに
逆に私が何倍も勇気と励ましをもらった気がしています
今後の復興を心よりお祈りするとともに
支援の輪を広げる努力を忘れないようにしていきます

宮城県三陸町で出会った一冊の写真集



楽しい行事もたくさん行われみんなの生き生きとした生活がありました


今なお立ち直れない苦しみであろうと想像するしかできませんが
前を向いて歩いていくしかありません
私もあの日の出来事は絶対に忘れません

10年目の2021.3.11
千ちゃんも珍しく…
静かに休んでおりました
人間です。弟は同年秋に栃木へ行った際に敢えて
行ってみたんだそうです。記録と記憶を得るため。
で、シャッターを一度も切ることは出来なかった
と言ってました。それくらい呆気にとられたと
いうことでした。
2018年の豪雨水害は怖かったけど家が流された
訳じゃないし、想像が出来ないですね。暮らしが
いとも簡単に失われるのは。
千ちゃん、面白いですねw 手の焼ける子の方が
可愛いとか聞きますが、どうなんだろw
誰も忘れることは出来ないでしょう。
長く生きているとすごい事が多々ありますが
度重なる災害 東北の地震と津波 続く原発被害。。
私のような被害なくのほほんといる者でさえ出来れば思い出したくない画面でした。
今のコロナ禍。。。 これは頑張って過ごせばある程度は
防げますが
長いですね 💦 まだまだ時間はかかるでしょう
いいお話をありがとうございました。
いい話ではないけれど。。
いつも応援ありがとうございます。
一生忘れることのできないかけがいのない経験となりました…
最初は何もかも受け入れられない現地の方々も次第に状況を多くの人に伝えて助けてもらいたいと変わっていきました。観光でも何でもいいので東北を訪れて現地を見てほしいと強く願っておられますので私も死ぬまでにもう一回宮城と福島を再訪しようと思っています。
千ちゃんは面白い猫で賢いです!私の言うことを良く聞いてくれる犬みたいな猫です。
11月の東北でコンクリートの上に段ボールで寝るのはつらかったですが被災地の方々はもっとつらい状態なのですから…私も希望と勇気をもらいました
東北は豊かな大地と素朴な人情味に溢れ
果物や魚が美味~~
なつかしい大好きな第二の故郷になりました
九州も縁があって大好きなのですよ!
仕事をリタイアしたら絶対東北と九州に行くつもりです
さくらさんのブログいつも楽しみにしています
私も細々ですがブログを続けていきますので今後ともよろしくお願いします<(_ _)>