福島での一ヶ月間のボランティアが終わり、8月31日に自宅に無事に帰りました
自分では元気いっぱいで疲労感は感じることは無く・・・
帰宅して翌日から仕事してました
でも気が付くと遠くを眺めてため息をついてぼ~~っとしてしまうんです
やはり肉体的にも精神的にも相当疲労困憊していたようです
でも大丈夫ボツボツいろいろなことも再開していきたいと思っています
長いようで短い・・・短いようで長い・・・不思議なひとときでした
ボランティア活動の内容は特別養護老人ホームの手伝いです
東日本大震災のあとに建築された老人ホームへ25キロ離れたボランティア用のアパートから車で通勤しました
ユニットケアで定員36名のゆったりとした印象を受けました
すぐにお年寄りの方とも仲良くなり会話が弾み・・・いつも笑ってばかりの毎日でした
ほんとにいつも笑ってたなぁぁぁ
「おめぇの髪は真っ黒だの・・・真っ黒で艶々してら・・・」と言われておかしくて大笑い
「おねさん・・・500円貸してもらえないだかの?」と真剣に相談されたり
「一人娘は横浜に嫁ぎ孫も3人でき忙しい日々だったが震災の前の年に乳がんで亡くなった」
「おれになにも手間をかけさせない親孝行な娘でなんでも自分でやる娘だった」
「息子は年上の嫁をもらって、嫁の言いなり・・・おれの面倒は見れないって言われてここさへえった」
「娘が生きていたらおめさんくらいだかの・・・似てるよな気ぃするべ」
ベッドにちょこんと座って目も耳も悪くなった小さな94歳のおばあさんが言いました
若い頃は看護師をしていたという上品で美人のハナコさん・・・いつも私の姿を見つけては手をつなぎにきてくれました
私は前世はみちのくの地に生まれたのかもしれない・・・そんな親近感を強く感じる日々・・・
施設ではこれからを支える若い職員さんを育成するため勉強してもらう時間が必要でした
その勉強するための間、手の足りないところを全国各地のボランティアさんにカバーしれもらうためずっと途切れずに3年間ボランティアが入ってきました
そろそろ若手も育ってきたので今年いっぱいでボランティア派遣も終了しようかというところだそうです
貴重な時間を体験させたいただきました
とてもとても楽しく有意義でした
一ヶ月間常に前向きにお年寄りと対面してきたという清々しい達成感に浸されています
最後に小さな声で「長生きしてね」と一人一人(私が接した合計15人)をギュッと抱きしめました
ヒサさんという大好きな92歳のおばあさん・・・
私が行った時は暴言暴力がひどく職員さんもつねられて、皆腕に青あざができていました
でも話するととってもかわいくて素敵な方でした・・・
少しづつ打ち解け笑顔を見せてくれるようになりました
一年くらい前から頭頂部にメラノーマという皮膚がんができて今では車イスでの生活です
「皆さんと仲良くして元気でいてね・・・」と声かけると
「あんた・・・私が死んだら泣いてくれっか?」と言いながら泣くのです
私も涙が止まりません・・・今生ではおそらくもう会えないのですから・・・
たくさんの珠玉の思い出をありがとうございました
豊かで温かなふくしま
大好き・・・大切にします・・・
自分では元気いっぱいで疲労感は感じることは無く・・・
帰宅して翌日から仕事してました
でも気が付くと遠くを眺めてため息をついてぼ~~っとしてしまうんです
やはり肉体的にも精神的にも相当疲労困憊していたようです
でも大丈夫ボツボツいろいろなことも再開していきたいと思っています
長いようで短い・・・短いようで長い・・・不思議なひとときでした
ボランティア活動の内容は特別養護老人ホームの手伝いです
東日本大震災のあとに建築された老人ホームへ25キロ離れたボランティア用のアパートから車で通勤しました
ユニットケアで定員36名のゆったりとした印象を受けました
すぐにお年寄りの方とも仲良くなり会話が弾み・・・いつも笑ってばかりの毎日でした
ほんとにいつも笑ってたなぁぁぁ
「おめぇの髪は真っ黒だの・・・真っ黒で艶々してら・・・」と言われておかしくて大笑い
「おねさん・・・500円貸してもらえないだかの?」と真剣に相談されたり
「一人娘は横浜に嫁ぎ孫も3人でき忙しい日々だったが震災の前の年に乳がんで亡くなった」
「おれになにも手間をかけさせない親孝行な娘でなんでも自分でやる娘だった」
「息子は年上の嫁をもらって、嫁の言いなり・・・おれの面倒は見れないって言われてここさへえった」
「娘が生きていたらおめさんくらいだかの・・・似てるよな気ぃするべ」
ベッドにちょこんと座って目も耳も悪くなった小さな94歳のおばあさんが言いました
若い頃は看護師をしていたという上品で美人のハナコさん・・・いつも私の姿を見つけては手をつなぎにきてくれました
私は前世はみちのくの地に生まれたのかもしれない・・・そんな親近感を強く感じる日々・・・
施設ではこれからを支える若い職員さんを育成するため勉強してもらう時間が必要でした
その勉強するための間、手の足りないところを全国各地のボランティアさんにカバーしれもらうためずっと途切れずに3年間ボランティアが入ってきました
そろそろ若手も育ってきたので今年いっぱいでボランティア派遣も終了しようかというところだそうです
貴重な時間を体験させたいただきました
とてもとても楽しく有意義でした
一ヶ月間常に前向きにお年寄りと対面してきたという清々しい達成感に浸されています
最後に小さな声で「長生きしてね」と一人一人(私が接した合計15人)をギュッと抱きしめました
ヒサさんという大好きな92歳のおばあさん・・・
私が行った時は暴言暴力がひどく職員さんもつねられて、皆腕に青あざができていました
でも話するととってもかわいくて素敵な方でした・・・
少しづつ打ち解け笑顔を見せてくれるようになりました
一年くらい前から頭頂部にメラノーマという皮膚がんができて今では車イスでの生活です
「皆さんと仲良くして元気でいてね・・・」と声かけると
「あんた・・・私が死んだら泣いてくれっか?」と言いながら泣くのです
私も涙が止まりません・・・今生ではおそらくもう会えないのですから・・・
たくさんの珠玉の思い出をありがとうございました
豊かで温かなふくしま
大好き・・・大切にします・・・
とてもいろんなものがつまった
一ヶ月でしたね、今日の記事だけでも
すごく伝わってきます。人と接する体験は
いろんなものをいただけますね。
おつかれさまでした。
素敵な思い出と共に岡山に戻られたんですね。
玉茶丸さんのお人柄が、気難しいお年寄りの心を開かせたんですね。
ヒサさん、また心を閉ざしてしまわなければ良いけれど。
特養にはあまり良いイメージがなかったのですが、先日友人のお父様が入られていた特養の話を聞き、そして今回玉茶丸さんのお話を聞いて、特養のイメージが変わりました。
老人が残り少ない時間を楽しく過ごせるかどうかも、お世話をする人次第。
玉茶丸さんは15人の年寄にとって、本当に素敵な神様からのプレゼントだったと思います。
大変なことがいっぱいあったと思うのに
「清々しい達成感に浸されています」と言える玉茶丸さんスゴイです。
お年寄りとのやりとりが生き生きと書かれていて目に見えるようでした。
福島の施設の若手を育てるためのこんな仕組みあるんですね。
こんなに沢山の毎日の中
大切な時間を使って頂きありがとうございます
玉茶丸さんに来て頂き
まるで古くからのお友達に久しぶりに
お会いした気分でした
本当にありがとうございました
又~是非お会いしたいです
忙しい毎日に戻られたでしょうが
余り無理をせずにお過ごし下さいね
一番怖かったのが交通事故でした
知らない土地での運転・・・運転苦手の私にはつらかったです
老人ホームでに仕事は思っていたよりとても順調で皆様が私を受け入れてくれ楽しかったです
たくさんの喜びをいただきました
パワーに変えてがんばります
まず体力が心配でしたが朝がゆっくりの勤務が多かったので乗り越えられました(遅出)
福島はよいところでした
気持ちがずいぶんおおらかになったきがします
応援ありがとうございました
職場の名前も背負っていたので途中棄権はありえませんでした
交通事故が一番怖かったです
方言が温かく純朴ですぐに打ち解ける鍵となりました
「ありがとやんした」「すいやせん」
自分でも口にするたびに素直な心になる気がしました
勿来の関・・・聞きましたが知らぬ間に通過していたかもしれません
白河の関は他のボラさんが是非にと行かれていましたよ
たくさんの応援ありがとうございました
体力はあると思っていましたが精神が持たなければ崩れるとわかっていましたから・・・
ヒサさんはペッペッと食べ物を吐きだし
「早くしろ!!」と怒鳴っていました
私は不思議とすぐに好きになり
家族のような一体感がお互いに湧きました
でも私はすぐにいなくなるということがすごく辛かったです
帰っても怒っていなかなぁ・・・と心配で涙が溢れます
他のお年寄りの方ともエマニチュードというフランスから生まれたというコミニュケーション法ですぐに仲良くなれました(テレビで見たのです)
なぜすぐに私でもできたのか・・・不思議です・・・