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ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

引っ越しました! 新居においで下さい。

2025-07-11 20:04:40 | 
gooブログが閉鎖になるとのことで、このたびamebaブログに引っ越し致しました。まだ家具など揃ってはいませんけれど、取りあえず体裁だけは整えました。
 
タイトル・URLは;
   ゆうしゃケン  小心翼々・平々凡々  

とりとめない拙いブログですが、喜寿を過ぎた平凡な老人の思いを伝えて行きたいと思っています。ご来訪をお待ちしています。
                             ゆうしゃケン  



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今年は孫が。

2025-05-21 16:09:40 | 平々凡々
 春たけなわ、と書きたいところだが昨日は真夏日で息苦しくなるほど暑く、今日はしとしと雨が降って煩わしい。主夫の私にとって、洗濯物をどう乾かすのか思案するところだ。このところ体調というか、身体の動きに不自由さを感じている私は面倒なので洗濯機で乾燥することにした。自動で設定すると予定時間が140分と表示された。2時間超なのか、また電気代が上がる! エアコンも稼働時候になろうとしてるのに、となんだかいらだたしい気がする。△△農相のコメ発言ではないが「他人の苦労」が判ってない!

 満開の桜から早くも1ヶ月以上が過ぎ、季節は春を飛び越えて一気に夏模様。例年、この間は庭木の剪定、ビワの袋掛け、スイカの植え付けなのだが、今年はどうも体調が悪く、妻も絶対に梯子や脚立に上らないでくれというので何にも出来ない。そのため孫達にお願いし、彼等が出来ない部分を植木屋さんに依頼した。
 スイカについては、昨年連作被害で苦労したので、今年は連作に良いというマリーゴールドを買ってきて,スイカの株の間に植え付けた。
スイカの植え付け、マリーゴールドを中間に植えた。

 
孫がビワの袋がけを。収穫時も頼りにしてます。


スイカを見回っていたとき、腹ぺこではない?青虫を見つけたので、ミカンの木にそっと置いてあげた。今頃はさなぎとなってまもなくアゲハチョウに変身することだろう。


今年は梅雨入りが早そうだ。スイカの受粉時期に雨が降らなければ良いが。


●gooブログが11月で終わる。引っ越し先が2カ所紹介されているが、どちらが私にむいているのだろうか、よく判らない。plalaからgooに移ったときも悩んだが、今回も悩んでいる。情報があれば助かります。


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桜咲く!

2025-04-16 22:16:37 | 
 桜前線は今、東北地方を北上しているだろうか。小倉は先週末で見所を終えた。開花が3月27日、あっという間に満開したのが2日後の29日、それからやや肌寒い日が続いて2週間以上も桜は咲き続けた。この期間、何度も散歩がてら花見に出掛けた。
満開直後、平和公園

忠霊塔

デイケアにて

「桜咲く」と言えば大学の受験結果を示す電報文だ。私たち夫婦の初孫和君は前期は京都大、落ちた場合に備えて後期を九大として願書を出していた。
共に理系経済学部だ。最近注目を浴びている分野で競争率も高い。共通一次試験を無事におえ、京大から受験番号も届いて足切りをクリアし、張り切って京都で2次試験を受けたのだが、結果は「桜散る」。聞くと最後の問題で計算ミスを犯したと云う。おおいに悔やまれる。

 後期の試験日程は京都大の合格発表から3日後、すっかり合格しているものと思って遊びまくっていた和君、大の仲良しで東大に合格した友人に励まされて九大の伊都キャンパスへ。無事に受験終えて「桜咲く」。
 
 入学式まで1週間ほどしかないので、慌ててアパートや生活必需品を準備したのだった、北九州市と福岡市、新幹線では20分だが、通うのは無理がある。
これから一人生活。大変だが楽しくもある。60年前の私を思い出した。
デイケアにて





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MMn!  10年ぶり?   その4

2025-03-14 22:28:11 | アウトドア
 ついにテーマ「10年ぶり」がその4まで延びて本題に到達した。10年ぶりと言うのは「ワカサギ釣り」なのである。

 2月も半ばとなり春も近いと感じたある日、ふと思いだした。「そうだ、ワカサギだ!」 TVのトピックスでワカサギ釣りが出ていたこともあるが、3月になるとワカサギのシーズンが終わる。私の体力は来年までなで持つかどうか非常に怪しい。となると、今この時期に行かねばもう一生行けないかも。と思うと、いてもたってもいられなくなり弟に私をワカサギ釣りに連れて行ってくれと頼み込んだ。優しい弟は快諾し、なじみの豊田湖に行くことになった。
 
 新型コロナが発生してからずっとワカサギ釣りには行ってないのでもう6年以上ぶりになるだろう。私のブログ記事で検索したらワカサギの単語は2013年が最後だったので12年間も行ってないことになるが、果たしてどうなのか、感覚的にはパーキンソンを発症してからだから7年程度と思う。

 さて、3月5日朝6時半過ぎ、弟が迎えに来て、そのトヨタの車で都市高、高速道を経て山口県小月インターへ。そこから県道を北上して1時間強で豊田湖に。豊田湖は多目的ダムで以前はダムのほとりに遊漁店があり、ボートを借りていたが、今は豊田湖の中央付近に公園が出来て、そこから湖畔にある釣り公園ロッジまで急な坂道を300m程下らなければならない。寒いので着ぶくれしている中で荷物を担いで転ばないように歩いたが、小雨が降りだして最悪とも言える状況だった。

 それでも吊り橋を渡り、浮き桟橋に着くと十数人の先着客が釣りに夢中になっている様が見て取れて、私達も負けちゃいられないと仕掛け作りを始めた。

山口県豊田湖釣り公園


 ところが、メガネが入ってない! メガネケースの中は空っぽだった! なぜ? そういえば出かける直前に携帯をいじくった! その時、入れ忘れた? メガネがないと老眼のため新聞が読めないのに、ワカサギ釣りの細かな仕掛け作りが出来る分けない!と絶望的になった。ロッジの管理人に貸すメガネはないと訊ねたがないという。仕方なく弟に11本針の仕掛けを作ってもらい、餌まで付けてもらった。おかげで釣り開始時間が大幅に遅れてしまった。

 そして第一投、リールをオープンにして仕掛けの重りをを湖底から30cm程度の棚に設定し、小刻みに上下して当たりを待つ。するとすぐに反応があったので巻き上げると2匹のワカサギが釣れていた。そのワカサギを入れるためミニバケツを出したところ、何と百円老眼用メガネが入っていた! 前回の釣りの時に使ったものだろう、取りあえずメガネ問題は解決だ! 良かった、良かった。

 ワカサギ釣りは数が勝負なので2本か、3本の釣り竿を使う。私はいつものように、まず2本目の仕掛けを作ろうと思って、作業に取りかかった。ところが、竿の先端部のしなる部分の糸通しがどうも出来ない。穴があまりに小さいのと、手先の震えのために糸が揺れるためだ。仕方なくこれも弟に作ってもらった。 結局、餌付けだけは私がすることになったのだがこれも大変だった。餌は紅サシと呼んでいるハエの幼虫なのだが、これも付けるのが大変。11本針なので11匹の紅サシを付けることになる。おまけに紅サシの体液がワカサギに吸われて無くなれば新しいものと交換しなければならない。

小雨が降る中、ワカサギ釣り


 結局、あまり釣りに専念することが出来ずに3時になった。この時刻ぐらいから、夕まずめが期待できるのだが、家では妻が心配していると思うと帰らねばという思いが強い。朝まずめも間に合わなかったし、今日は仕方が無いと3時半に竿を畳んで帰路へ。帰り着いたのが5時過ぎ。案の定、妻は怒っていた。「私を娘に任せて自分だけ朝から遊んで!」
しかし、弟にはお世話になった。釣り具から移動まで、全部面倒見てくれた。ありがたかった。

釣果 ワカサギ34,ハヤ4


 暖かい湯舟に浸かり冷えた身体を癒やしながら考えた、今日の敗因は何だろう? メガネ? いや、体力問題だ! それに、欲張りすぎた、こまめに1本竿だけで釣るべきだったのだ。指先が利かないのに! 来年は行けるかなぁ?

ワカサギは唐揚げして食べた。実に美味かった。


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Mn? 10年ぶり?   その3

2025-03-11 21:35:23 | 平々凡々
●3月最初の日、天気が良かったのでリハビリを兼ねて妻と忠霊塔(平和公園)まで散歩に出かけた。その前に来たのは節分直後だったが早かったのか、梅は全然咲いていなかったのだが、この日は満開! 見物もちらほら見られた。最近は妻の脚力も強くなり、共に出ることが多くなった。

平和公園の白梅



●デイケアにて
持病は容赦なく進行して昨春から要介護1と判定されたので、デイケアは週に2回通っている。リハビリが主目的だ。そこでは季節の行事に合わせて色んな催しをする、
ハロウィン

節分 射的大会

ひな祭り


●夏ミカン
 我が家には柑橘系の木が4種ある。いずれも植木好きだった親父が残したものだ。サイズ順に示すと、夏ミカン・レモン・温州ミカン・金柑である。夏ミカンは、実は親父はハッサクだと言っていたが、どうも夏ミカンのように思えて対外的には夏ミカンと称している。この夏ミカン、酸っぱくて私は苦手。毎年ほったらかしにしている。

 ところが、今年は様子が違う、ビワやスイカを食い荒らすあのにっくきカラスが食べているのだ。昨年までは食べる気配もなかったのに。ふと気付くと木の下に十数個の上手に中身だけを食われたスイカが転がっていた。「これは、美味しいのかも知れない!」と思って食べてみると、例年の酸っぱさがない。これはカラスにはやれないと、すぐ収獲した。
外側のミカンはカラスに殆ど食べられた







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んん? 10年ぶり?  その2

2025-03-08 23:01:37 | 平々凡々
●今年は雪が降って寒い日もあったが、とんでもなく快晴で暖かい日もあった。2月だったと思うが、そんな日の夜、外気を取り入れようと窓を開けると満月が煌々と輝いていた。思わず携帯でパチリ。

●大寒を過ぎた頃だった。大寒気団が北九州まで南下し、雪が降り平地でも積もるだろうと予報されていたが、我が家付近ではちょっとだけで、すぐに融けてしまった。異常なドカ雪で苦労されている北国の皆さんに悪いような気がする。
我が家の玄関先に積もった雪 サザンカにわずか程度

山の雑木林の積雪状況。雪は空振りでした。


●ハネムーン期も終わったのか、薬が効き具合が悪くなって持病が進行しているようだ。このため身体が固くなり、手足の自由度不良、歩行困難、アゴの堅さによる涎と言語発声の困難さ等々、色んな症状が出ている。もちろんデイケアや訪問介護でリハビリ訓練を指導して頂いているのだが、アゴに関しては上の歯を見せるくらい笑うか、食べるか話すかして動かす事だという。と言うことで、口を動かすことに。娘達が子供の頃以来だから30年ぶりだろう。平日の午後、カラオケに妻と二人で行った。タブレットで曲を選んで歌うのだが、何とか操作して昭和の歌を唄った。私は舟木一夫、井上陽水、妻は山口百恵を。選曲に手間取ったのか1時間はあっという間に過ぎた。

出来は、というとひどいもの。声はかすれるは、小さな声しか出ていない。とても聴けたものじゃない。若い頃ギターでフォークを唄っていた頃とは大違い。我ながら情けない。次回は2時間にしよう。












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ん? 10年ぶり?  その1

2025-03-07 21:42:23 | 
 最低でも月一を守って細々と活動していた我がブログ、気付けば2月はとうに去って3月になっている。正月以降、極めて忙しい毎日を過ごしていて賀状の返礼もまだ手に付かない状態なのだ。特に欧州視察旅行でお世話になったN電機のEさんを始め、私の人生を形づくって下さった先輩達、妻の長年の友人など誠に申し訳ないと思っている。もしこの拙いブログに眼を運んでいたならば、妻共々元気で過ごしていることをお知らせしたい。

 令和7年になって、もう2か月過ぎた。トランプ旋風が吹き荒れているが、現役を退いた私には直接関係ないとして、新年の出来事を紹介する。まぁ、日記だ。

●まず小四の孫、杏ちゃん。昨年は2年連続でピティナの全国大会に出場出来たが惜しくも入賞は叶わなかった。そのピティナ出場者コンサートが1月下旬に響ホールで開かれた。二曲弾いたが熱の籠もった心地よい演奏だった。更に2月中旬にはピアノ講師の長女の友人の発表会にゲストとして招かれて出演した。殆ど毎日、2時間近くも練習しており、ひいき目を引いても上手くなっていると感じる。

響ホールで演奏する杏ちゃん(ピティナ出場者コンサート)


それとは別にバレエも習っている杏ちゃん、その間にバレエの発表会もあった。バレエのテーマは「眠りの森の美女」、杏ちゃんは「妖精達の踊り」を軽やかに踊った。それにしてもバレエシューズ(テューシューズ?)を見事に履きこなし、つま先立ちをしているのには驚いた。へぇー、やるもんだ!

ひびしんホールで「妖精達の踊り」  向かって右が杏ちゃん






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兄弟旅行2

2025-01-20 21:28:53 | 旅行
遅れましたが兄弟旅行の続きを。
筑後川温泉桑野屋で温泉に浸かって、カラオケで楽しんだ私たち兄弟5人(女性陣は別行動だった)は、疲れも見せず2日目に突入した。この日も3男は色々と企画を立ててくれていた。

桑野屋の前で


 8時からゆっくり朝食を食べて10時に宿を出発。
●まずは日田の味噌醤油醸造所の見学。日田は江戸時代から味噌醤油の名産地として知られているが、その伝統を引き継いでいる原次郎左衛門味噌醤油蔵の工場見学をした。ただ、見学時は工場が休止期間だったが、代わりにラムネの製造現場を見学できた。で、お土産に味噌、醤油、ラムネを3軒分購入。

●続いてサッポロビール日田工場へ。運転役の3男には悪いが、ビールの試飲が出来ると思っていた。しかし平日の見学は午後1時から試飲開始と知らされ、がっくり。時計を見ると11時過ぎだった。缶ビールと瓶ビールを詰める流れラインを見るだけで工場見学を終えた。

●琴平温泉(立寄り湯)昼食の時間は12時から1時で予約しているというので、その間に温泉に入ることになった。琴平温泉、渓流に添って湯が沸き出ている露天風呂だ。渓流に小屋が点々と建てられてそこが脱衣場となっている。もちろん男女別々だが、家族風呂も有る。あまり寒くもなかったので湯に浸かりながら緑の空気を満喫した。

●私がのんびりとしていたので昼食の時間に遅れそうになったが、何とか間に合って、昼食。弟達はウナギにするというので私もウナギに。昨夕、今朝と旅館食を食べ過ぎたのでお腹は減ってなかったので食べきれるか自信が無かったが、案の定、少し残してしまった。


●ウナギを食べてエネルギッシュになった我々は、そのうなぎ屋でゴジラを見た。この近くでゴジラの案山子が展示されていると書かれていた。次の目的地は秋月城趾だが、その道にあるというので興味津々、寄ってみた。そして驚いた。まさにゴジラ。でっかい! 威風堂々としている。これが案山子? 藁で造られているから案山子なのか!
遠くからゴジラを




●続いて秋月城趾に訪れた。城郭はなく、曲輪や掘りなどが残っている。桜の名所でも有り、春は賑わうところだ。日が傾いて影が長くなってきて幾分寒くなってきた。やはり廃墟というのは寂しく感じるものだ。曲輪を見ながら戦争というものをしばし考えた。

●最後はお土産。日田天領水の里、「元気の駅」。道の駅で柿や椎茸などのお土産を購入して、帰路についた。家に着いたのが6時半、実に味の濃い旅行だった。私だけ妻が同行しなかったのだが、その分を弟達や嫁さん達が実に細かい所まで気遣って助けてくれた。本当に有りがたかった。兄弟の有難さを身に沁みて感じた旅だった。次回は関アジ、関鯖を食べに行こうと話が出ている。いつまでも仲良く元気でおりたいものだが、さてどうなるか。
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明けましておめでとうございます。

2025-01-04 21:39:52 | 平々凡々
 明けましておめでとうございます。

 挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願い致します。いつもの年なら恒例の氏神様、妙見宮の初詣写真を載せるところですが、妻が体調が良くなく、この4日間家に閉じこもり。孫達が受験の年なので、何とかお守りだけは頂きたいと考えているのだが。妻の体調不良は運動不足による腰痛から始まって、肩、首筋に至っている。昨日は頭が重いと言って、ソファーでさえも座れない状態、寝たきりだった。医療機関も正月休みだし、何とか手持ちのシップ薬で誤魔化すくらいしか出来なかった。私も腰痛持ちだが、痛くなればユーチュ-ブで「すぐ治る腰痛」を見てストレッチをしている。

令和7年元旦の朝

今回が最後、と暮れの28日、妻と二人で餅つき。丸め手がいなかったので、半分は切り餅に。

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5年ぶりの兄弟旅行

2024-12-29 21:48:56 | 旅行
 新型コロナが発生して中止していた兄弟旅行、今年は問題を抱えてはいたが、何とか行くことになった。昨年もこの時期に計画を立てていたのだが、妻の体調が悪くて行けなくなって、私たち長男夫婦が「行けない」と表明すると、兄弟旅行そのものが中止となった。弟達が遠慮したのだ。だから今年は「妻は行けない」けれど、私は参加することにした。妻は体調は問題無いけれど眼が不自由なので初めての土地は怖くてとても歩けないというので、娘二人に面倒を看てもらうことになった。
 今回も計画は3男が立て、10人乗りのバスのレンタルから運転までした。おやじバンドのボーカルを担当し、定期的にコンサートを開いているやり手でもある。クリスマスには5男と二人で老人施設に慰問に行ったときいている。その彼が推奨したのが福岡県南部筑後川温泉で、カラオケがあって楽しいという一泊二日の小旅行だ。
 11月19日、9時半、3男が次男夫妻を乗せて迎えにきた。ここで5男夫妻と一緒にバスに乗り込み、防府から新幹線でやってきた4男夫妻を最寄りのモノレール駅で拾って、参加全員が顔を揃えた。総勢9人。私の妻を除いて兄弟夫婦がみんな集まった。元気そうだ。口々に妻が不参加なのが残念と言う。面倒は看るのに、と。
 ちょっと寒気が入っていて寒いけれども天気は何とか持ちそうでミニバスは快適だった。いつものように、名所・観光地に立ち寄りながら目的地へ進む。
●最初の停車地は飯塚の伊藤伝右衛門邸
 筑豊の炭鉱王で白蓮を妻に迎えた人だ。その邸宅は国の重要文化財に指定されており、庭園も見事に当時の栄華を保っている。


●次に訪れたのは大刀洗平和記念館
戦時中には飛行場があった場所で、特攻隊が特攻機が出て行ったと紹介され、青年飛行兵の日記や遺物と共に零戦や紫電改モデル等が陳列されていて、テーマは「語り継ぐ」と言う。戦争経験を記録するだけじゃなく、語り継ぐことで2度と戦争を起こさないことだと。

●香山昇龍大観音
初日の最後は巨大な観音様のお寺へ。小高い山の上に観音様が赤子を抱いて微笑んでいた。戦争に駆り出され、大変な目に遭ったが奇跡的に復員した男が観音様のお助けに依るものと信じて建立したとのことだ。

 秋の日はつるべ落とし、拝観を終える頃には夕闇が近づき、私たちは目的地、筑後川温泉桑野屋を目指した。宿は夫婦で1室、私は一人で1室だ。ノンビリ出来るが、寂しい気もする。遅く着いたので風呂にそそくさと入り、夕食の席へ。兄弟全員と卓を囲むのは親父の13回忌以来か? いや、あのときは新型コロナが猛威を奮っていたから前回の兄弟旅行以来だなと考えていた。


宴会は2時間で終わり、次はカラオケ。3男がノッテいて、私にも歌うように勧める。パーキンソンが進んで声が出にくい私も随分久しぶりに歌ったのだが声は満足に出なくても楽しかった。





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