MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

シニェイ・メルシェ・パールの作風について

2020-01-25 12:45:39 | 美術

 現在、六本木の国立新美術館で催されている『ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年』ではポスターにも掲載されているシニェイ・メルシェ・パール(Szinyei Merse Pál)の『紫のドレスの婦人(Lady in Violet)』(1874年)を観ることができる。
 時代背景を勘案するならばパールは印象派の画家と見なされる。確かに補色を駆使した色鮮やかな画風は印象派の特徴ではあるのだが、例えば、下の作品のように、パールはリアリズムに徹しており、フランスの印象派よりもモダンアートに近いように見える。この画力で保守層から批判されたというのだから、へそを曲げて美術の世界からいったん姿を消した理由も理解できる。


(『ひばり(The Skylark)』 1882年)


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『坂田一男 捲土重来』

2020-01-25 00:53:53 | 美術

 現在、東京ステーションギャラリーで催されている『坂田一男 捲土重来』は岡崎乾二郎監修によるものである。日本における唯一のキュビスムの画家と言ってもいいのだが、画壇から距離を置いて岡山県で活動していたために人口に膾炙していないのである。
 1921年にフランスに渡った坂田はフェルナン・レジェ(Fernand Léger)に師事しており、だから坂田のスタイルもキュビスムを継承しているのである。


(『コンパス』1949年)

 しかしレジェがポップな作風に移行していったことに対して、坂田の作風は暗くなっていくのだが、坂田はオトン・フリエス(Achille-Émile Othon Friesz)にも師事しており、つまり坂田の作風はキュビスムから日本画風のフォーヴィスムへと変化しているように見えるのである。


(『力学的構成』1956年)

 しかし坂田のほとんどの作品には制作年が記されておらず、どのように変化を遂げたのかよく分からない。


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