MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『妖精の詩』

2017-07-31 00:00:23 | goo映画レビュー

原題:『妖精の詩(Mio)』
監督:羽仁進
脚本:羽仁進
撮影:マリオ・マシーニ
出演:羽仁未央/ラファエル・カスート/ブリジット・フォッセー/アルフレッド・マルファッティ
1971年/日本・フランス

『禁じられた遊び』の「後日談」について

 本作が『禁じられた遊び』(ルネ・クレマン監督 1952年)に多大な影響を受けていると思われる理由は、『禁じられた遊び』の主人公のポーレットを演じたブリジット・フォッセーが本作に出演しているのみならず、『禁じられた遊び』のラストシーンで修道女に街へ連れてこられた首から名札を下げられたポーレットを真似るように、本作の主人公であるミオが首から名札を下げられて修道女によってイタリアのサルジニア(サルデーニャ)島へ連れていかれ、まるで「後日談」のように描かれるからである。
 イタリア語が全く理解できない7歳のミオは当初孤児院でいじめに遭うのであるが、言葉を理解するようになると子供たちと「戦争ごっこ」などで遊ぶようになり、ラファエルというボーイフレンドもできる。
 ところがアントニオという男が密輸の容疑で警官に逮捕され、ラファエルの父親のマルファッティたちが抗議するようになってから島の雰囲気が険しくなってくる。さらにカーニバルの最中にミオの保母だったブリジット(ブリジット・フォッセー)がアントニオを舟に乗せて島からの逃走に手を貸したことでマルファッティと共に逮捕されてしまう。この事件で孤児院を運営している教会の修道女たちは激怒し、ブリジットは「絞首刑」に処せられ、さらに保母のティナに命じて教育方針が厳しいものになる。ラファエルはマルファッティ夫人と共に島を追われ、ミオは最後にラファエルと濃厚なキスを交わした後に、愛犬のシィシィと共に孤児院を出て行くのである。
 おそらく最初に子供たちが遊んでいるところを長回しで撮った後に、子供たちのシーンを編集しながら後から大人に演技をさせてストーリーらしきものを作り上げていったように思う。『禁じられた遊び』と本作を連続して観ると新たな発見があるかもしれない。


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「マウスが『ラット』と書く」

2017-07-30 20:14:14 | 美術

 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、

ヤン・ファーブルまで」が催されている。最近、ベルギー系の奇妙な絵画を観る機会が多く

なっている気がするのだが、ここではマルセル・ブロータールス(Marcel Broodthaers)の

「マウスが『ラット』と書く(La souris écrit rat)」という1974年の作品を取り上げたい。

 この活版印刷の作品に対してキャプションでは「La souris écrira」ともなり「マウスが書く

だろう」という未来形としても解釈できると書かれていたのだが、それでは全く本作の説明に

なっていないと思う。

 まずタイトルの訳が間違っている。ここでは「La souris」は「マウス」ではなく、「若い女性」

という意味で、それは英題「The mouse writes rat」でも同様である。そうなるとタイトルの

意味は「若い女性がラットを描く」となり、実際に、若い女性の組んだ腕の影がラットの黒い影

として映し出されているはずなのである。

 しかしすぐに分かるように映し出されている影はラットではなく、ラットの天敵のネコのように

見えるのだが、これはブロータールスと同じベルギー出身のルネ・マグリット(René Magritte)の

「イメージの裏切り(La trahison des images)」という作品の意図と同様に捉えるべきであろう。


「これはパイプではない(Ceci n'est pas une pipe)」


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『残酷な観客達』

2017-07-29 00:16:37 | goo映画レビュー

欅坂46 『エキセントリック』

 本作は今年1月に日本で公開された『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』(ヘンリー・ヨースト/アリエル・シュルマン共同監督 2016年)を元にしていると思うのだが、ストーリーの伏線が全く回収されないまま終わってしまった。
 例えば、メンバー全員で縄跳びをするシーンにおいて、連続100回を目指して飛ぶのであるが、何故か100回目で長濱ねる演じる永嶺みこがわざと飛ばないで失敗することになる。しかしこの演出の意図は理解できる。平手友梨奈が演じる葉山ゆずきが「主人公」、永嶺みこが「キーパーソン」であるかのように視聴者をミスリードしたかったからであるはずだが、実はラストで明らかになるように永嶺みここそが本作の「主人公」なのである。
 あるいは原田龍二が演じる畑田公介が何故箱の中に監禁されていた振りをしていたのかも明らかにならず、辛うじて理解できたことと言えば、「欅坂46」と「けやき坂46」に挟まれた長濱ねるの立ち位置くらいである。だから本作は長濱ねるの、両グループに対する「愛」の決意表明以上のことはなく、欅坂46のファン以外の人が楽しめる要素は見当たらないのである。


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『銀魂』

2017-07-28 00:33:27 | goo映画レビュー

原題:『銀魂』
監督:福田雄一
脚本:福田雄一
撮影:工藤哲也/鈴木靖之
出演:小栗旬/菅田将暉/橋本環奈/柳楽優弥/早見あかり/長澤まさみ/菜々緒/岡田将生/堂本剛
2017年/日本

 予算が大きいほど実力を発揮する「カルト映画」の監督について

 もはや「銀魂」シリーズの恒例となったと言ってもいい作品冒頭のギャグもそつなく取り入れ、『花より男子』、『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』、『ONE PIECE』など細かいネタをまぶしたような作風はいかにも福田雄一監督らしい仕上がりとなっている。何でもありの「銀魂」というフォーマットにアドリブも積極的に利用する(佐藤二朗のアドリブに菜々緒が笑っていたように思う)福田監督の作風が合っているのだと思う。
 いつもの福田監督の脚本同様に本作においても物語に深みは感じられないのではあるが、予算が大きい分、豪華な映像に助けられたように感じる。つまり矛盾してはいるのだが独特の作風で客を選ぶはずの福田作品は却って大きな予算で撮る方が面白くなるのである。
 しかし何といっても本作の白眉は坂田銀時を演じた小栗旬が歌う「パッション」という曲で、曲調や歌い方も含めてこれは間違いなく『GTО』(鈴木雅之監督 1999年)の主人公の鬼塚英吉を演じた反町隆史の「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」を意識したものであろう。良い意味で悪意しか感じなかった。


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『三尺魂』

2017-07-27 00:46:06 | goo映画レビュー

原題:『三尺魂』 英題:『3ft Ball & Souls』
監督:加藤悦生
脚本:加藤悦生
撮影:八重樫肇春
出演:村上穂乃佳/木ノ本嶺浩/辻しのぶ/津田寛治
2017年/日本
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017 SKIPシティアワード)

『銀魂』に挑む『三尺魂』の意気込みについて

 花火師の城戸のネットへの書き込みに誘われ、研修医の高村、主婦のふみ、そして女子高生の希子が小屋に集まってくる。小屋の中央には城戸が用意した三尺魂の花火が置かれており、発火ボタンを押すだけで一気に死ねるようになっている。城戸は花火事業の拡大に失敗し莫大な借金を抱えてしまい、妻と娘のために生命保険で返済しようと企んでいるのである。高村は上司の木村のパワハラが原因で鬱を発症し小屋にやって来た。ふみは自分が運転する車を運転中、横から来た車に衝突され、助手席に乗っていた息子の翔太を亡くしていた。希子は同級生たちのイジメを受けていて、それぞれ死に場所を探していたのであるが、希子が押して爆発はするものの、何度繰り返しても爆発前の状態に戻ってしまい4人とも死ねないでいた。
 小屋の中で4人だけで行われる「ワンシチュエーション」の部分はよくできていると思うが、これは監督よりもベテランの津田寛治の経験がものを言ったような感じである。しかしそもそもこのシーンは「ループ」というよりもネット上の自殺サイト内で交わされた会話をヴィジュアル化したように見える。希子がハンドルネームを変えるなどして混乱した様子が描かれ、2016年9月18日に全員が退会したと解釈もできると思うがさすがにこれは見方がうがち過ぎだと自分でも思う。
 結局、4人は自殺を思いとどまり、それぞれの生活に戻っていくのであるが、時間は一気に進み、小泉という男が慌てて病院に入院している妻の病室へ駆け込むと、そこには赤ん坊を抱いた希子がいるのである。城戸は再び花火師の仕事が軌道に乗って妻と娘と上手く暮らしている。さらに時間は進み「未来(みく)」と名付けられた娘が道路に飛び出し、小泉の目の前で車に轢かれそうになるところをたまたまそばにいた女性に助けられる。小泉はお礼をしようとしたが、女性は旦那と一緒に歩いて行ってしまう。その後に希子が夫と娘のもとに来るのであるが、実は女性はふみで、希子とふみは出会い損ねているのである。この予定調和なストーリーの慌ただしさの是非は意見が分かれるかもしれないのだが、唯一出てこなかった高村の不在がやはりあの後自殺したのだという仄めかしであるならば、悪くはないと思う。
 「SKIPシティアワード」に本作が選ばれたことは個人的にはとても意外だった。「最優秀作品賞」「監督賞」「審査員特別賞」は選ばれた3作品の中で争われると思っていたが、「SKIPシティアワード」は残りの2つの日本映画から選ばれると思っていた。加藤悦生監督は2013年で『PLASTIC CRIME』でも本映画祭長編部門にノミネートされたこともあり今回は本映画祭に対する「功労賞」という意味合いが強いように感じる。


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『Noise』

2017-07-26 00:37:53 | goo映画レビュー

原題:『Noise』
監督:松本優作
脚本:松本優作
撮影:末松祐紀
出演:篠崎こころ/安城うらら/鈴木宏侑/岸健太朗/仁科貴/小橋賢児/布施博
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

「長編小説」の「死」が垣間見える作品について

 狩野という男によって強行された秋葉原無差別殺人事件から8年が経った頃、その事件に巻き込まれて亡くなった母親を持つ高校生の桜田美沙は、事件後に失職しアルバイトをしている父親と暮しながらアイドル活動をしている。山本里恵は父親の山本大とそりが合わず家出をしている。スパルタ教育で暴力を振るわれながら育った美沙はアイドル活動においても世話になっていた高橋にそそのかされて危険な目に遭遇するのであるが、高橋自身によって暴行を免れる。一方で、里恵は家出をした後に、以前街中でスカウトしてくれた男に連絡をして簡単にモデルの仕事にありつけるのは父親の大に暴力を振るわれた経験がなかったことが理由なのかもしれない。
 大橋健は配達員をしながら水商売をしている母親と一緒に暮らしている。健は配達先の会社の受付嬢の声を録音して聞き入っていたのだが、やがて、何もしないで収入を得ているように見える受付嬢に怒りを覚え、脅迫電話をかけるようになる。急に母親が家を出た直後に母親が200万円の金を横領したことで男たちに家に押しかけられ殴られると、健は公衆電話から警察に脅迫をするようになる。健は読書家で中上健次の『十九歳の地図』や永山則夫の本を読んでいるのだが、読んでいる本が古いせいなのか「ネット世代」に対応できないのではないかと勘繰ってしまう。しかし現代において中上健次や永山則夫に代わる作家がいるのかどうかは疑問である。
 長回しのシーンが気になる。カレーを食べながら健が母親の愚痴を聞くシーン。ファミレスで母親と再会して言い訳を聞く健のシーン。最後で美沙と父親が語り合うシーン。いずれも子供の方が割を食っている印象なのだが、里恵と大が食卓を囲むも、大が隠し持っていた美沙とのチェキを見つけて気持ち悪いと非難しながら家を飛び出すまでのシーンの短さを勘案しても、「長回し」という撮影技法が若者に味方をしないように感じるのである。


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『ひかりのたび』

2017-07-25 00:10:03 | goo映画レビュー

原題:『ひかりのたび』 英題:『dream of illumination』
監督:澤田サンダー
脚本:澤田サンダー
撮影:西田瑞樹
出演:志田彩良/高川裕也/瑛蓮/杉山ひこひこ/萩原利久/山田真歩/浜田晃
2017年/日本
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

「移動」を巡る物語について

 主人公で高校3年生の植田奈々は外国人相手の不動産業を営む植田登の仕事の都合で幼い時から転校を繰り返しており、今の街に越してきて4年が経つとしていたのであるが、そろそろ高校卒業と同時に進路を決めなければならない7月を迎えていた。父親は東京に引っ越す予定で奈々にも一緒に行って暮すか、あるいは海外に留学してもいいと言うのだが、奈々は今住んでいる場所で就職して暮らしたいという強い思いがある。
 奈々はたびたび自分の自転車が壊される被害に遭っており、校舎の屋上に置かれている缶コーヒーとタバコの吸い殻越しに自転車置き場に向かう奈々を映し出すカットが素晴らしい。奈々は父親を恨む人の嫌がらせだと分かっているのであるが、新しい自転車を買うことを止めて、同級生の狩野公介の自転車に同乗したりバスに乗って通学するようになる。しかしそれは地元に根を下ろそうとする奈々の意志とは裏腹に、やはり「移動」させられることになるのである。
 一方、登は奈々に3年前に遭遇したある男の子の話をする。母親の梶本道子に叱られた息子の大樹は家出をしたのであるが、その時偶然登は乗っていた車の中から大樹を目撃した。しかし登は声をかけることもなく大樹はどこかへ行ってしまい、翌日、登は大樹が事故に遭って亡くなったことを知るのだが、「移動」好きの登らしい話ではある。
 だからラストにおいて奈々がウェイトレスのバイトをしている「移動」が活発なファミリーレストランで居眠りをしていた登が「罰」を受けることは極めて自然な流れではあろう。


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『市民』

2017-07-24 00:46:53 | goo映画レビュー

原題:『Az állampolgár』 英題:『The Citizen』
監督:ローランド・ヴラニク
脚本:ローランド・ヴラニク/イヴァン・サボー
撮影:イムレ・ユハース
出演:マルセロ・カケ=ベリ/アーグネシュ・マール/アルガワン・シェラキ
2016年/ハンガリー
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017 審査員特別賞)

「難民」という概念を覆す作品について

 政治移民としてアフリカからハンガリーに移住してきた55歳の主人公のウィルソン・ウガベは市民権取得のためにハンガリー憲法の試験を受けているのであるが、今回も失敗してしまい、口論の末に試験官から1年後に再度受けるように助言され、そんな経緯から警備会社の勤務先から試験対策の家庭教師として紹介された同世代のマリ・ペトロヴィッチにハンガリーの歴史全般を教えてもらうことになる。
 ウィルソンのルームメイトが急に立ち去った後に、若いイラン人のシリン・ファルザディがそのルームメイトを頼ってウィルソンの家にやって来る。最初は断ろうとするのであるが、ウィルソン自身が自国のギニアビサウ共和国の内戦で妻を亡くし2人の娘も行方不明のままだったこともあり、不法滞在の上に身重のシリンを放っておくわけにはいかず、匿うことになり、ウィルソンの家で出産し、娘はミーナと名付けられる。
 一方、ウィルソンはマリとも深い関係に陥り、それを知った子供たちに家を追い出されたマリもウィルソンの家に住むことになり、奇妙な「四角関係」の共同生活が始まるのであるが、この危うい生活はマリが警察に通報したことで破綻してしまい、シリンは強制送還されてしまう。
 さて、ここで問題となるシーンがウィルソンが書留として受け取った手紙の内容である。普通に考えるならばこれは試験の不合格通知と見るべきであろうが、ウィルソンが彼の友人のハンガリー人とシリンと結婚させることに失敗し、マリのウィルソンに対する想いの強さを勘案するならばこれはマリが勝手に届けた結婚届による市民権公布の知らせのようにも思える。勝手に結婚させられたウィルソンは怒ってマリを家から追い出し、マリは友人のエヴァに車で迎えに来てもらい、その後、「ハンガリー人」の気まぐれによりシリンを助けることができず自分だけが市民権を得たことの後ろめたさからウィルソンは家を後にするとプリンスという名の男を頼りにオーストリア共和国に向かい新たな人生を始めたように見えるのである。
 「難民」という言葉を聞くと、外国からやって来る人のように考えがちではあるが、マリのように国内に住んでいてさえ子供たちに見捨てられて職を失くし行き場を失った「難民」は存在するのである。


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『父の足あと』

2017-07-23 20:18:23 | goo映画レビュー

原題:『La pelle dell'orso(熊の皮)』 英題:『On the Trail of My Father』
監督:マルコ・セガート
脚本:マルコ・セガート
撮影:ダリア・アントニオ
出演:レオナルド・メイソン/マルコ・パオリーニ/ルチア・マッシノ/パオロ・ピエルボン
2016年/イタリア
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

「悪魔」に憑りつかれた男の息子の振る舞いについて

 1950年代の北イタリアの小さな山村ではまだ戦争の傷が癒えていない男たちがいた。採石場で働いているピエトロ・シエラもその一人で同僚たちからも嫌厭されている。そんな時、酒の勢いもあったのか雇い主のクレパズと60万リラを賭けて「悪魔」と呼ばれ恐れられていた熊を退治するためにピエトロは一人で山に入っていく。
 それを知った14歳の息子のドメニコは隣人のトーニに猟銃を借りて父親の後を追っていく。途中で、サラとブルーノのカップルと出会う。サラはドメニコの亡くなった母親のカテリーナの友人だったが、ピエトロに関しては冷めた態度だった。
 ようやくドメニコがピエトロと合流して一緒に熊退治に向かうのだが、そんな中でピエトロは息子に母親が亡くなった原因を語る。自分が留守をしていた間に男と密会していた妻を見つけてしまう。ピエトロの詰問に対してその男がただ笑っていたことに激怒して殺してしまったことでピエトロは刑務所に入れられ、妻は自殺してしまったという話をする。
 ついに「悪魔」と遭遇した2人は発砲するのであるが、ピエトロは襲われ絶命してしまい、ドメニコは熊の皮を持ち帰ってクレパズから60万リラを受け取るのである。
 戦うことを強いられた人生を送らざるを得なかった男の息子がようやく父親の代わりに決着をつけたという「寓話」が美しい大自然と共に丁寧に描かれていると思う。


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『中国のゴッホ』

2017-07-22 23:24:04 | goo映画レビュー

原題:『中国梵高』 英題:『China's Van Goghs』
監督:ハイボー・ユウ/キキ・ティエンチー・ユウ
撮影:ハイボー・ユウ
出演:ジャオ・シャオヨン
2016年/中国・オランダ
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017 監督賞)

中国人の「オリジナル」に対する感性の鈍さの原因について

 主人公のジャオ・シャオヨンは中国の深圳市近郊にある「大芬(ダーフェン)油絵村」でファン・ゴッホのレプリカを制作している画家である。家庭の経済事情で中学校を一年で退学した後に、独学で絵画を学び20年の間複製画を描いて家族を養っているのであるが、本人は写真などを参考に複製画を描いているだけで、本物のファン・ゴッホの作品を見たことがなかった。
 パスポートを取ってオランダのアムステルダムへ弟子たちや家族と赴き、自分の作品を買ってくれている店に立ち寄るのであるが、そこはギャラリーではなく土産物店だったことにがっかりする。さらにファン・ゴッホ美術館を訪れようやく原画を見て、さらにゴッホが入院していた病院や墓地を訪ねていき、『夜のカフェテラス』で描かれた店も訪問しゴッホと同じように模写を試みる。帰国後、ジャオ・シャオヨンは複製画ではなく、自分の画を描こうとするのだが、それはゴッホの筆のタッチによる「オリジナル」なのである。
 本作が興味深い点は、ジャオ・シャオヨンが、ゴッホと同じように貧しい環境において作品を制作していることから、いつか自分も50年、100年後に残るような作品を描きたいと語っているのであるが、ジャオ・シャオヨンは気がついていないようなのだが、ゴッホは一流の画家であるのみならず、様々な一流の画家の作品を模写しながら、色彩について研究していた一流の「化学者」でもあったということである。つまり皮肉なことにここに金銭面に拘り過ぎる中国人の「オリジナル」に対する感性の鈍さが表われてしまっているのである。


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