MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

安倍晋三と「ポスト・トゥルース」

2017-04-30 21:31:12 | Weblog

 2017年4月30日の毎日新聞に「大丈夫?首相の言葉」という興味深い記事を見つけた。

「いわゆる『共謀罪』の国会審議で、安倍晋三首相が『そもそも』の意味を辞書で調べたら『基本的に』という意味もある - と答弁した。気になって調べたが、そんな意味を載せる国語辞書はなかった。このところ閣僚の失言、放言、暴言が続き、ついに1人が辞めた安倍1強内閣だが、トップの言葉にも粗雑さ目立つ。【岩佐義樹】

 『共謀罪』の成立要件を改める『テロ等準備罪』をどんな団体に適用するのかを巡り、19日に衆院法務委員会で論戦があった。
 民進党の山尾志桜里氏は、安倍首相の『そもそも罪を犯すことを目的とする集団でなければならない』という1月の答弁と、『オウム真理教は当初は宗教法人だったが、一変したので適用対象となる』という2月の答弁を引用。『そもそも』は『最初から』という意味であり、1月の答弁に従えばオウム真理教は適用対象外だ - と内容のぶれを突いた。
 これに対し、冒頭に紹介した答弁が飛び出した。動画で確認したところ、首相は『辞書で念のために調べてみたんでありますが』などと、自信たっぷりに辞書という言葉を3度繰り返した。
 普段から辞書と付き合う校閲記者の私は30種類以上の辞書に当たったが、『基本的に』とするものは見当たらなかった。『新明解国語辞典』などを担当する三省堂の吉村三恵子さんも『そんな意味はないと思う』と首をひねる。
 ちなみに『そもそも』の意味は、①説き起こす時に使う語②元来、最初から、物事の初め・起こり(岩波国語辞典7新版)。①の用法もあり、②の『最初から』と読み替える山尾氏の指摘は揚げ足取りの印象も受ける。とはいえ、『基本的に、という意味もある』とする首相答弁は解せない。本当に辞書を引いたのか。『基本的に』を『そもそも』の類語とするものを見たのかもしれないが、類語は『意味』ではない。

 首相の言葉遣いには、以前から突っ込みどころが目立つ。『訂正でんでん』や『私は立法府の長』という発言は話題になった。
 『学研現代標準国語辞典』編者の林史典(ちかふみ)聖徳大教授は『そもそもの意味を『基本的に』と解説している辞書はないと思う。安倍首相は他の人の使い方などからそういう意味があると理解していて、辞書にもそう書いてあるはずだと思い込んだのではないか』と分析。政治家の発言について『公の場で話すことは国民に向けた言葉となるので、分かりやすく正確であるよう心がける必要がある。特に組織犯罪処罰法改正案のように解釈が割れる議論ではなおさらだ』と指摘している。
 言葉とその指すものへの厳密さがないと、中身のある議論にならない。」

 安倍首相が使った「そもそも」という言葉を「『最初から』と読み替える山尾氏の指摘は揚げ足取りの印象も受ける。」という指摘は確かにその通りではあるが、安倍首相本人が念のために辞書で調べてまでして「基本的に、という意味もある」と答えているのだから、結果的には揚げ足取りではなかったことになる。もしもその辞書が存在しないのだとするならば、安倍首相は自ら確信犯として「フェイクニュース」を流したことになる。そんな人が「テロ等準備罪」の制定にメインとして関わっているとは


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ワイルドバンチ』

2017-04-29 20:25:22 | goo映画レビュー

原題:『The Wild Bunch』
監督:サム・ペキンパー
脚本:サム・ペキンパー/ウォロン・グリーン
撮影:ルシアン・バラード
出演:ウィリアム・ホールデン/アーネスト・ボーグナイン/ロバート・ライアン/ベン・ジョンソン
1969年/アメリカ

「最後の西部劇」の「最後」のあり方について

 時代設定は奇しくも『愛と哀しみの果て』(シドニー・ポラック監督 1985年)と同様1913年である。デンマークとアメリカのテキサス州の国境辺りの当時の違いがはっきりと分かる。
 それはともかくとして、本作は「最後の西部劇」と呼ばれているらしいのだが、このブログでは既に『トゥルー・グリット』(ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン監督 2010年)、『許されざる者』(クリント・イーストウッド監督 1992年)、『モンテ・ウォルシュ』(ウィリアム・A・フレイカー監督 1970年)、『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(ケビン・コスナー監督 2003年)、『悪党に粛清を』(クリスチャン・レヴリング監督 2014年)などを「最後の西部劇」として取り上げたのであるが、要するに「最後」のあり方が色々とあるのである。
 それでは『ワイルドバンチ』の「最後」とはどのようなものなのか考える時、もちろん観た者たちによって様々な解釈はあるだろうが、個人的には主人公のパイク・ビショップの最期の迎え方にあるように思う。クライマックスにおいてパイクは仲間3人を引き連れて仲間のエンジェルを救出するために200人を超えるメキシコ政府軍の砦に乗り込むのであるが、そのエンジェルはそもそもメキシコ系なのである。パイクは最初に背後からメキシコ人の女に撃たれ、次にマシンガンを撃っている最中に、伝令使として働いていた少年に撃たれた後、メキシコ政府軍に射殺されるのである。つまり誰が何のために戦っているのか分からない上に、誰が強くて誰が弱い立場なのかもはっきりしなくなりヒーローは失墜し「勧善懲悪」という西部劇の図式は完全に崩壊したのであるが、それでもいまだに西部劇が撮られている理由は、その「崩壊」の有様を描いているからであろう。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『愛と哀しみの果て』

2017-04-28 00:38:58 | goo映画レビュー

原題:『Out of Africa』
監督:シドニー・ポラック
脚本:カート・リュードック
撮影:デヴィッド・ワトキン
出演:メリル・ストリープ/ロバート・レッドフォード/クラウス・マリア・ブランダウアー
1985年/アメリカ

金持ちが何も手に入れられない原因について

 物語は主人公のカレン・ディネーセンが金にものを言わせて友人のブロア・ブリクセン男爵と「契約結婚」をすることで社交界の退屈なデンマークの生活から抜け出すことになるのであるが、ここでカレンの挫折が既に始まっている。
 新天地となった東アフリカのケニアでカレンは酪農で生計をたてるつもりだったが、勝手にコーヒー栽培を始めたブロアとの関係が悪化してしまう。しかしそれでも何とか収穫までこぎ着けた矢先に失火によって摘みたて目前だったコーヒー豆が全滅してしまう。その上、浮気していたブレアに梅毒をうつされたカレンは子供が産めなくなってしまう。
 そんな過酷な生活の中でカレンの唯一の慰めはアフリカで出会ったデニス・フィンチ・ハットンだったのだが、同居するようになったカレンの求婚はデニスに断られてしまうのである。デニスはブロアとは違い自由を選んだのであるが、カレンがデンマークに帰国する直前、飛行機の墜落事故でデニスは亡くなってしまう。この時カレンは決してお金では手に入れることはできず、なおかつ非情な「自由」の過酷さを思い知り、アフリカを追われる(=Out of Africa)ことになるのである。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『3月のライオン』

2017-04-27 00:15:49 | goo映画レビュー

最年少棋士の羽生撃破、テレ朝に提供問い合わせ殺到 NHK&民放各局
14歳藤井聡太四段、羽生三冠破る 将棋の非公式戦
史上最年少棋士14歳・藤井四段が羽生3冠に勝利
自民「2回生」またも不祥事に幹部も激怒! 失言、金銭トラブル、不倫… 今度は女性問題で中川俊直政務官辞任 二階俊博氏「日本の政治はひっくり返っちゃう」
政界サラブレッド中川秀直&俊直 親子2代で女癖の悪さが致命傷
中川議員、不倫相手との「重婚ウェディング」報道が物議…法的に問題ないの?

原題:『3月のライオン』
監督:大友啓史
脚本:岩下悠子/渡部亮平/大友啓史
撮影:山本英夫
出演:神木隆之介/佐々木蔵之介/伊藤英明/加瀬亮/倉科カナ/清原果耶/有村架純/豊川悦司
2017年/日本

将棋に対する情熱のあり方について

 小学生の時に交通事故によって両親と妹を亡くした主人公の桐山零は一人で生きていくためにそれほど好きではなかった将棋の世界に足を踏み入れる。養父になった幸田柾近には娘の香子と息子の歩がおり、2人ともプロ棋士になるために研鑽を積んでいたのであるが、零に勝てなくなり父親からプロの棋士になることを諦めさせられ、関係がこじれたために零は家を出て行くことになるのである。
 零は川本家の3姉妹と知り合いになり家族のように付き合うようになるのだが、姉妹たちの父親の甘麻井戸誠二郎の出現により、零と3姉妹の間に溝が生じてしまう。そんな時に獅子王戦トーナメントの決勝戦で零と対戦する相手は九段の後藤正宗なのであるが、後藤は病気で長期入院していた妻を亡くしたばかりだった。この場合どちらの「想い」がより強いか勘案するならば、3姉妹の親密な関係を失って落ち込む零に対して妻を亡くした後藤にとっては「弔い合戦」の様相を呈するはずで、後編のクライマックスの結果がどうも腑に落ちないのであるが、香子との不倫の罰による結果であるならば、理屈としては通ってはいるが話の軸がブレるように感じた。そもそも零が勝利した時は後藤と香子は別れるという話ではなかったのか?
 例えば、
『ちはやふる』(小泉徳宏監督 2016年)のように競技かるたであるならば、かるたを取るアクションで魅せられもするのであろうが、指先による将棋の駒の移動は余りにも地味すぎたために施されたのであろう「心内語」で相手と会話をするというシュールな演出が成功しているかどうかは微妙である。
 しかし上映時期が悪かったと思う理由は、丁度14歳の中学生の藤井聡太四段が羽生善治3冠に勝った時期で、本作の桐山零とは対照的に藤井が最後までクールに将棋を指していたからである。もちろんそれぞれの環境の違いはあるとしてもやはり事実はフィクションよりも強い。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ReLIFE リライフ』

2017-04-26 00:55:31 | goo映画レビュー

原題:『ReLIFE リライフ』
監督:古澤健
脚本:阿相クミコ
撮影:花村也寸志
出演:中川大志/平祐奈/高杉真宙/池田エライザ/岡崎紗絵/千葉雄大/夏菜/市川実日子
2017年/日本

「ブレ」と「フック」の重要性について

 主人公の海崎新太は大学院を卒業後に就職した会社を同僚に対する人間不信とそれにまつわる先輩の佐伯みちるの自殺というショックな出来事から5カ月で退職してしまい、それからはアルバイトで糊口を凌いでいた。就職活動はしているのだが、相手との距離感が掴めないでいたのである。そこへ現れたのが「リライフ研究所」の所員を名乗る夜明了という男である。夜明からもらったカプセルを飲んだ27歳の海崎は青葉高等学校の高校3年生として1年間過ごすことになる。
 演出は無難なものだったが、海崎と同級生の日代千鶴が公園で語り合うシーンにおいて、妙にハンディカメラが多用されて画面のブレが気になったのであるが、そのブレが決してストーリーの流れの中で効果的に使われているわけではなく、謎の演出である。
 高校生活を終えた海崎は必死に勉強をして2018年11月に内定をもらい、2019年から青葉高等学校で教師として勤めることになる。海崎が「彼女」に会ったのは4月22日だったのだが、『時をかける少女』を知っている者としてはラストが余りにも呆気ない。例えば、「ラベンダー」のような「フック」があってもよかったのではないだろうか。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『T2 トレインスポッティング』

2017-04-25 00:07:11 | goo映画レビュー

原題:『T2 Trainspotting』
監督:ダニー・ボイル
脚本:ジョン・ホッジ
撮影:アンソニー・ドッド・マントル
出演:ユアン・マクレガー/ユエン・ブレムナー/ジョニー・リー・ミラー/ロバート・カーライル
2017年/イギリス

麻薬常習者が「勝ち組」になる方法について

 あれから20年経ったらしい。主人公のマーク・レントンは逃走先のオランダのアムステルダムからスコットランドのエディンバラへ戻ってきた。マークはかつての悪友だったサイモン・ウィリアムソン(=シック・ボーイ)やダニエル・マーフィー(=スパッド)や、会いたくなかったフランシス・ベグビーと再会することになり、一騒動起きて死にかけるのであるが、そもそも大金を手に入れてとんずらした男が何故わざわざ戻ってきたのか?
 若い間は、平凡な生き方よりも「誠実で真実あふれる麻薬の習慣」を持つ麻薬常習者になることに何のためらいもなかったはずだが、老いが忍び寄るにしたがって体が耐えられなくなってきたのであろうし、やがて精神的にも追い詰められるということを若いうちには想像できないものなのである。
 そういう意味ではマークは挫折してしまったのであるが、ここで意外な人物にスポットライトが当てられる。マークよりも重度の麻薬常習者であるスパッドには文才があり、サイモンのガールフレンドだったヴェロニカ・コヴァチが彼の才能を見いだすのである。首を吊って自殺しようとするまで追い詰められ、4人の中でも生きる意欲もなく全く希望を見いだせないでいたスパッドが大逆転劇を演じるところに、老いてなお相変わらずの痛快さが本作にはある。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『トレインスポッティング』

2017-04-24 00:06:36 | goo映画レビュー

原題:『Trainspotting』
監督:ダニー・ボイル
脚本:ジョン・ホッジ
撮影:ブライアン・テュファーノ
出演:ユアン・マクレガー/ケリー・マクドナルド/ユエン・ブレムナー/ロバート・カーライル
1996年/イギリス

「善悪の彼岸」について

 主人公のマーク・レントンは当初、平凡な生き方よりも、「誠実で真実あふれる麻薬の習慣」を選んだ麻薬常習者で、未成年のダイアンと関係を持ち、万引きで逮捕されたりする。一度は真っ当な人生を送ろうと不動産屋に就職するのであるが、仲間との関係を断つことができずに、再び麻薬常習者として生きていく。しかし麻薬取引で大金を手に入れた後でも、仲間の中で気性が一番激しく喧嘩っ早いフランシス・ベグビーがパブで客と無意味な喧嘩を始めている様子を見ている内に嫌気がさし、翌日早朝、仲間が眠っている間に、大金の入ったカバンを持って逃げ出すのである。
 本作が傑作と呼ばれる所以は、ラストシーンに尽きると思う。笑顔でカメラに向かって歩いてくるマークは安定した普通の生活を送ると宣言するのである。麻薬常用者であり、厭きるほどに散々悪いことをした挙句、悪い仲間たちを裏切りあぶく銭を手にするような最も質の悪い男が「一般人」と同様に健全な生活を送ることにして、やがてマークの顔がぼけてきて「匿名」になるのだから、善悪の区別がつかなくなるというアイロニーが秀逸なのである。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『わたしは、ダニエル・ブレイク』

2017-04-23 21:33:15 | goo映画レビュー

原題:『I, Daniel Blake』
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
撮影:ロビー・ライアン
出演:デイヴ・ジョーンズ/ヘイリー・スクワイアーズ/ディラン・マキアナン/ブリアナ・シャン
2016年/イギリス・フランス・ドイツ・ベルギー

社会の貢献者を敬わない社会制度について

 59歳で心臓に疾患が見つかり医師から仕事をすることを止められた主人公で熟練大工のダニエル・ブレイクが母国の就労能力査定の方法に翻弄される姿は本当に痛々しいものがある。仕事ならともかくいまさら書類作成のためだけにパソコンの操作の勉強を始める意欲は湧かないであろうし、30時間以上の「就職活動」を義務付けられてもどのように証明すればいいのか分からない。
 その点で言えば、ダニエルの隣に住んでいるチャイナという若者はパソコンを駆使して中国に住んでいる友人からスポーツシューズを輸入し、あるいはディランとデイジーという2人の子供を抱えているシングルマザーのケイティ・モーガンは最後の手段として売春を始めることで何とか糊口を凌げる。
 つまり若者や女性は社会の変化に対して融通がきくのであるが、社会に最も貢献していたはずの高齢者の男性が社会から忌み嫌われる悲惨な現状が活写されるのである。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『未来よ こんにちは』

2017-04-22 22:17:40 | goo映画レビュー

原題:『L'Avenir』 英題:『Things to Come』
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
脚本:ミア・ハンセン=ラヴ
撮影:ドニ・ルノアール
出演:イザベル・ユペール/アンドレ・マルコン/エディット・スコブ/ロマン・コリンカ
2016年/フランス・ドイツ

好みの哲学と「行動原理」について

 時代設定は二コラ・サルコジがフランスの大統領時代だから2007年から2012年頃である。おそらく主人公のナタリー・シャゾウ―が通勤途中で読んでいるハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー(Hans Magnus Enzensberger)の『過激な敗者(Le Perdant Radical)』が2006年に出版されているから2007年頃だと推測できる。ナタリーは高校で哲学を教える教師であるが、その高校は学生運動でバリケードが張られている状態で、彼女の教え子でさえなかなか中に入れてもらえない。
 ナタリーが学生に教えているものはフランスの哲学者のジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の『社会契約論(Du Contrat Social ou Principes du Droit Politique)』で、ドイツの哲学者であるテオドール・アドルノ(Theodor Adorno)の入門書にも携わっているのであるが、売れ行きが悪いため新版の話はなくなってしまう。その他にはエマニュエル・レヴィナスの『困難な自由(Difficile liberté)』やウラジーミル・ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jankélévitch)の『死(La Mort)』などを読んでおり、比較的オーソドックスなものであろう。それに対して同じ哲学教師で夫のハインツはアルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)の『意志と表象としての世界(Die Welt als Wille und Vorstellung)』やフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の『曙光(The Dawn)』などを読んでいるところから実存主義であり、その延長上の浮気なのであろう。一方で、ナタリーの教え子でグルノーブル大学で哲学を教えているファビアンもレイモン・アロン(Raymond Aron)やスラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)を愛読し、ナタリーにギュンター・アンダース(Günther Anders)の『時代おくれの人間(The Outdatedness of Human Beings)』を貸したりしており、実存主義系であるためにナタリーが「保守的」に見えるのであろう。
 しかしそもそも数年前にナタリーが夫と幼い2人の子供たちと共に訪れたサン・マロ沖(Saint-Malo)のグラン・ベ島(Grand Bé)に埋葬された作家のシャトブリアン(Chateaubriand)はロマン主義文学の先駆者であり、どうもここには哲学が「ロマン」でブレたという皮肉が込められているように感じる。アドルノの入門書は絶版になったのにアドルノと『啓蒙の弁証法(Dialektik der Aufklärung)』という共著を出しているマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の入門書は継続して出版されるところからもそう捉える次第ではあるのだが、そんなナタリーでさえ精神疾患を患った母親のイヴェット・ラヴァストゥルを無視するわけにはいかず、必然的に介護という「実存」の問題に関わらざるを得ないのである。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Road Games」 Allan Holdsworth 和訳

2017-04-21 00:03:49 | 洋楽歌詞和訳

名ギタリストのアラン・ホールズワースさん死去 70歳
米ギタリスト、ホールズワース氏死去…70歳

 アラン・ホールズワース(Allan Holdsworth)のソロ名義のアルバムで最高傑作と言えば

『ロード・ゲームズ(Road Games)』であることは誰もが認めることだろう。

ここではアルバムタイトルにもなっている「ロード・ゲームズ(Road Games)」を和訳しておきたい。

「Road Games」 Allan Holdsworth 日本語訳

僕は遥か彼方を見ることができる
この南の入り江に沿って移動している
まるでこの道が永遠に続くかのように
永遠に

これはどれもロード・ゲームなんだ
静かなロード・ゲームなんだ

太陽の熱が僕の脳にまで届く
昼が夜になると僕は痛みを感じる
目がとても疲れたから
僕はただ水辺に目を向ける

「犯罪通り」に光が当たっている
僕の体は悪寒と戦慄と戦っている
全ては明白だけれども草原はいまだに青さを増している
永遠に

これはどれもロード・ゲームなんだ
静かなロード・ゲームなんだ

これはどれもロード・ゲームなんだ
静かなロード・ゲームなんだ

これはどれもロード・ゲームなんだ
静かなロード・ゲームなんだ

これはどれもロード・ゲームなんだ
静かなロード・ゲームなんだ

 ロード・ゲームとは、例えば、8月に阪神タイガースが強いられる「死のロード」と呼ばれる

ような、相手の本拠地で戦うゲームのことである。つまりここではゲームにおいてはいつでも

ロード・ゲームのような「アウェイ感」を持って戦うというようなニュアンスを感じる。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする