MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『素敵なダイナマイトスキャンダル』

2018-03-31 00:40:47 | goo映画レビュー

原題:『素敵なダイナマイトスキャンダル』
監督:冨永昌敬
脚本:冨永昌敬
撮影:月永雄太
出演:柄本佑/前田敦子/三浦透子/峯田和伸/松重豊/村上淳/尾野真千子/嶋田久作
2018年/日本

ダイナマイトで情念に変わった愛情について

 1970年代から1980年代にかけての「昭和感」が上手く表現されていると思う。要するに昭和のアンダーグラウンドのカルチャーは写真家の荒木経惟とイラストレーターの横尾忠則によって成り立っていたのであり、主人公の末井昭は若者たちの「情念」を刺激することで金を稼いでいたのである。
 末井昭は就職先で知り合った近松さんのイラストの才能に惚れており、牧子と結婚していながら笛子と付き合った理由は、笛子と近松さんが似ていたからであろうし、たまたまレストランで一緒にいた男性を末井が突然殴った理由は、その男が自分の父親の重吉に似ていたからだと思う。
 自分の母親が浮気相手の青年とダイナマイトで心中したことが末井のコンプレックスを形成していたのではあるが、ラストを観ると母親の富子は息子たちに結核をうつさないこと、つまり自分の死体にさえ触れさせないことと後腐れがないように全てを片づけるためにダイナマイトで自爆したように見える。息子のコンプレックスとは裏腹に富子は息子想いの良い母親だったのではないだろうか。


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『幸福(しあわせ)』(1965年)

2018-03-30 01:57:33 | goo映画レビュー

原題:『Le Bonheur』
監督:アニエス・ヴァルダ
脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:ジャン・ラビエ/クロード・ボーソレイユ
出演:ジャン・クロード・ドルオー/クレール・ドルオー/マリー・フランス・ボワイエ
1965年/フランス

「幸福」になるための方法について

 上映時間約80分の本作はタイトル通りに、主人公のフランソワの妻のテレーズの不幸な水死以外は「幸福」な家族の様子しか描かれていない。問題はテレーズの水死をどのように捉えるかによる。
 普通に考えるならば、事故の直前に夫のフランソワが郵便電話電信管理機関(P.T.T.)に勤めるエミリーとの不貞を告白したことによりテレーズがショックを受けて、フランソワが眠っている間に自殺したと見なすであろうが、ワンショットだけテレーズが溺れているシーンが挟まれているように必ずしもテレーズが自殺したとは限らない。誰もテレーズが入水した様子を目撃してはおらず、フランソワでさえテレーズの本当の死因は把握しきれず、もちろんフランソワは自分の告白がテレーズの死の原因の可能性として考えられても確信には至らないのである。
 本作の本当の恐ろしさとは、不倫に関しても死因に関しても幸せになりたければ物事を深く考えないことだという結論に至ってしまうことではないのだろうか。


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『5時から7時までのクレオ』

2018-03-29 21:39:05 | goo映画レビュー

原題:『Cléo de 5 à 7
監督:アニエス・ヴァルダ
脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:ジャン・ラビエ
出演:コリンヌ・マルシャン/アントワーヌ・ブルセイユ/ミシェル・ルグラン/ドロテ・ブラン
1962年/フランス・イタリア

ユーモアに隠された実存主義について

 自分が癌を患っているのではないかと思い煩いながら主治医の検査結果の報告を待っている主人公でこれまで3枚のシングルをリリースしている歌手のクレオの、1961年6月20日の夏至の日の5時から7時までの様子が描かれているのであるが、実際は5時から6時半までである。およそ90分を13チャプターで構成しており、大きな出来事はないものの、それぞれの寸劇が小気味いい。
 モノクロの作品かと思いきや冒頭のシーンをカラーで撮影していたり、ミシェル・ルグランが演じる作曲家のボブのピアノが奏でるリズムに合わせてカメラをパンさせたり、その直後にクレオが絶唱したり、クレオの友人のドロテがフィルムを届けるために車を運転するシーンがコマ落としで撮影されていたり、劇中劇の短編映画でゴダールとカリーナが喜々としてコメディーを演じていたりとフランスのヌーヴェルヴァーグ時代らしい遊び心満載の作品だと思う。
 しかしラストシーンは注意を払った方がいいと思う。クレオと戦地のアルジェリアから休暇で一時帰国していた軍人のアントワヌがピティエ=サルペトリエール病院内を探していると彼女の主治医が車に乗って現れ、クレオは癌を患っており、「放射線治療をすれば大丈夫」と言ってそのまま去っていくのである。現在ならば放射線治療による癌の完治もかなり高い確率になってきているが、1961年当時の放射線治療にどれほどの期待が持てていたのだろうか。
 つまり癌を患うクレオと再び戦地に帰らなけらばならないアントワヌのような若者たちが死に直面しなければならないことに対して、あまりにもあっけらかんとしている彼女の主治医や忙しさにかまけている彼女の恋人のホセを初めとする富裕層のコントラストのアイロニーが本作の主題のように思うのである。


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モダン・アートの「風景画」

2018-03-28 01:00:33 | 美術

 現在、森美術館では「レアンドロ・エルリッヒ展 見ることのリアル」が催されている。

レアンドロ・エルリッヒ(Leandro Erlich)はビルの外壁やエレベーターや美容院や教室や

スイミング・プールなど普段見慣れているものに手を加えて「見慣れない」ものに作り替える

ことを目論んでいるように見える。それはまさに「根こそぎ引っ張り出す」こと、「根拠」を

奪うことで見直すモダン・アートの「風景画」として機能しているのではないだろうか。

 上の作品は「ダルストン・ハウス(Dalston House)」(2013年)という模型で、

本当はこれくらいの人数の参加で面白みがあると思うのだが、入館者数が多いために

実際の参加型の「建物(Building)」(2017年)の壁は一面が人で埋まってしまい、

わけがわからなくなっていた。


「根こそぎ引っ張られて(Pulled by the Roots)」(2015年)


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クールベとマネの功績について

2018-03-27 21:34:57 | 美術

 現在、新国立美術館では「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション(Bührle Collection)」が

催されている。展示されている作品数は64点と少ないようだが、個々のクオリティーが

高い上に、作品間に十分な余裕があり混雑していても観やすくなっている。

 それにしても印象派の先駆者としてギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)や

エドゥアール・マネ(Édouard Manet)が挙げられることに多少の違和感が生じて

しまうのは、彼らの作風が古典的に見えるからであるのだが、彼らが印象派の先駆者と

されるのは作風ではなく、物の捉え方の方にある。

 クールベとマネに共通していることは古典派の画家たちが持っているはずの「高貴さ」を

無視して描くことである。クールベが「貴族」ではなく「田舎者」を、マネが「貴族」

ではなく「娼婦」を古典的な筆致で描いたことで大顰蹙をかったのである。

 後の印象派の画家たちが彼らに学んだこととは、古典派の画家たちが共有していた

暗黙のルールを無視して描いてもいいという自由であり、よって印象派は作風が特定の

ものに定まらず多岐に広がっていったのである。

 本展で個人的に気になった作品はマネの「オリエンタル風の衣装をまとった若い女

(Young Woman in Oriental Garb / Jeune Femme en Costume Oriental )」

(1871年頃)である。

 顰蹙を覚悟で言うならば、これは公式に「ブス」が描かれた世界初の作品だと思う。


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『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』

2018-03-26 22:06:02 | goo映画レビュー

原題:『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』
監督:牧口雄二
脚本:志村正浩
撮影:塚越堅二
出演:田島はるか/ひろみ麻耶/芹田かおり/藤ひろ子/佐藤美鈴/志賀勝/折口亜矢
1977年/日本

情念の過剰さとコミカルな演出について

 主人公で女郎のおみのは年季が明けて奉公が終わると思っていたのだが、女衒の弥多八と亀に気に入られしまい性交を試みるものの弥多八のモノは勃たず、別の宿場に売られようとする直前に、「愁月院」という駆け込み寺の噂を聞いて逃亡する。
 弥多八と亀に追われながら逃走中に出会った留次と捨松にも犯されてしまうのだが、伊三郎という隠密に助けられたりもしてようやくおみのは「愁月院」の庵主である桂秀尼に救われる。
 おみのは一人で来たために気がつかなかったのだが、実は「愁月院」は女性のための駆け込み寺というよりも男性を処罰する殺人寺で、桂秀尼を初め、おかじ、おつな、おとくと小間使いの少女のお小夜も男性に憎悪を抱いており、駆け落ちしてきた嘉助とお絹が寺に助けを求めてやって来ても、翌日には嘉助は寺男によって殺されており、それを見たお絹は首を吊って自殺してしまうのである。
 その後も、おみのを追いかけてきた留次と捨松は殺され、弥多八と亀は捕らえられ、伊三郎も殺されたことでおみのは桂秀尼たちを殺す決心をするのだが、最初の策略には脚本の瑕疵があると思う。おみのはおつなのペットのネコを殺し、おつなはおかじの仕業だと思っておかじのペットの蛇をぐつぐつとお湯が沸いた大鍋にぶち込んで殺してしまうのであるが、おつなが最初に疑うべき人物はおかじではなく新入りのおみののはずなのである。上映時間が短いためなのかストーリーの流れが不自然だと思う。
 その後の怒涛の展開は観てもらうとして、最後は桂秀尼を刺殺したおみのを背後から刺殺するお小夜だけが生き残る。お小夜には男に襲われた際に助けてくれた桂秀尼に恩があったのである。
 寺が焼失した後に初潮を迎えたお小夜が一人で歩いている。それはまた同じ過ちが繰り返されるメタファーかと思われたが、BGMの最後がメジャーコードで終わったことでお小夜には明るい未来が待っているのかもしれない。よく出来た作品だと思うが、やり過ぎた演出のためなのか少々コミカルになってしまっていることで女の情念を殺いでしまっている。
 主人公のおみのを演じた田島はるかが泥水の川の水を飲まされたり、地面に落ちたおにぎりを食べさせられたりとかなり過酷な演技を強いられていることが気になる。


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「Boogie Woogie Dancin' Shoes」 Claudja Barry 和訳

2018-03-24 00:14:50 | 洋楽歌詞和訳

Claudja Barry - Boogie Woogie Dancin' Shoes (Chrysalis Records 1979)

 『世界の車窓から』というテレビ番組のBGMの選択はとてもセンスがあると思う。

クラウディア・バリー(Claudja Barry)の「ブギ・ウギ・ダンシング・シューズ

(Boogie Woogie Dancin' Shoes)」もその番組で知った次第なのである。聴き逃して

いるヒット曲というものが意外と多いことに驚いてしまう。以下、和訳。

「Boogie Woogie Dancin' Shoes」 Claudja Barry 日本語訳

私は自分の感情を抑えながら一週間働いている
土曜日の夜には
私は妙薬を顔や服に振りまいて
ばっちりめかしこむ
自分の思いのままに自由を感じられるのは
一週間にこの一夜だけ
魔法の呪文がタンゴと魔法の靴とダイヤモンドのスパンコールを結びつける
あなたが私の靴で繰り広げられる無数の星をきらめかすダンスを見るならば
私は私の体のくねりによってあなたの心に催眠術をかけるだろう
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる

土曜の夜は私に力をもたらす夜
音楽が流れてくれば私のマジックアワーが訪れる
私の足をコントロールする力と接近遭遇するんだ
毎週のように戻って来る感覚は人生に一度だけのようなかけがえのなもの
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる

ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる

ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一晩中踊らせる
ブギ・ウギのダンスシューズが私を一夜の女王にさせる


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『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』

2018-03-23 03:34:01 | goo映画レビュー

原題:『The Beguiled』
監督:ソフィア・コッポラ
脚本:ソフィア・コッポラ
撮影:フィリップ・ル・スール
出演:ニコール・キッドマン/コリン・ファレル/キルスティン・ダンスト/エル・ファニング
2017年/アメリカ

確信犯としての「ホワイトウォッシュ」について

 言うまでもなく『白い肌の異常な夜』(ドン・シーゲル監督 1971年)のリメイクである。必然的にシーゲル監督版と比較されることになるのだが、オリジナルに対するその余りのストーリーの忠実さが、何故リメイクしたのだろうかという疑問を生じさせる。
 原作には登場した黒人や混血のキャラクターを白人に変えてしまったことに批判があるようだが、白く眩い映像の美しさを観ると、どうもコッポラは「染み」をつけたくなかったように感じる。しかしそれは監督個人が持って生まれた美意識のようなもので、例えば、北軍伍長のジョン・マクバニーを演じたコリン・ファレルの容貌に関して女性たちが奪い合うほどの男前かという疑問はあるのだが、男がまったくいなかった場所に男が現われれば誰でも良く見えてしまうように、美意識は環境によって大きく左右されてしまう。ソフィアも父親のフランシス・フォード・コッポラの美意識に多大な影響を受けているのではあろう。


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『フラットライナーズ』(2017年)

2018-03-22 22:17:10 | goo映画レビュー

原題:『Flatliners』
監督:ニールス・アルデン・オプレヴ
脚本:ベン・リプリー
撮影:エリック・クレス
出演:エレン・ペイジ/ディエゴ・ルナ/ニーナ・ドブレフ/ジェームズ・ノートン
2017年/アメリカ

作風まで変えてしまう償いきれない過ちについて

 『フラットライナーズ』(ジョエル・シュマッカー監督 1990年)の続編ではあるのだが、ジョエル・シュマッカー監督版が人間の「実存」を問う作品だったのに対して本作は実験後に超能力を得られたりするホラーテイストの作風であり、失敗作の烙印を押されてしまっているとしても、そもそもジャンルが違う別物として観なければ気の毒だと思う。
 さらに気の毒なのが主人公のコートニー・ホームズで、他の学生は迷惑をかけた相手に謝罪することが出来るが、コートニーの妹は亡くなっており懺悔したくてもできないのである。コートニーはどうすればよかったのか疑問だけがいつまでも残る。


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『フラットライナーズ』(1990年)

2018-03-21 00:12:24 | goo映画レビュー

原題:『Flatliners』
監督:ジョエル・シュマッカー
脚本:ピーター・フィラルディ
撮影:ヤン・デ・ボン
出演:キーファー・サザーランド/ジュリア・ロバーツ/ケヴィン・ベーコン/ウィリアム・ボールドウィン
1990年/アメリカ

死んでから分かる自分の生き様について

 5人の医学生が死後の世界を体験するために、意図的に心臓を停止させ脳死寸前に蘇生させるという実験を自ら実験台となり試み、その結果、実験台となった四人は幻覚に悩まされる。ネルソン・ライトは、子供の頃いじめていて不幸にして死んでしまった同級生の幻影が現われ襲われる。ジョー・ハーレーは遊びで抱いた女性たちの幻影に付きまとわれる。レイチェル・マナスは自分のしたことがきっかけとなって自殺してしまったと思い込んでいた父親が幻影となって現れ、このような彼らの臨死体験は彼らに嫌な思い出をもたらすのである。
 もしも死に際して肉体のみが滅び、精神が残ると仮定するならば、私たちは思い出の中で生きることになるだろう。その時、思い出の中に残っているものがその人の死後の世界となる。子供というのはかなり残酷な生き物で、意外と平気で悪いことをしてしまう。そして親に怒られながら善悪の判断を身につけていく。大人になるということはこの善悪を判断した上で、自分の子供の頃に犯した罪を償うという想いを込めながら社会の中で生きていけるようになるということであり、死期を目の前にした時に、もしも幸せに死ねるのならばその人は十分に償いができたと確信できたのであろう。彼らはまだ学生であったが故に悪夢に苛まれたのである。


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