MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ガ―ディ』

2015-07-31 00:32:01 | goo映画レビュー

原題:『Ghadi』
監督:アミン・ドーラ
脚本:ジョージ・カッバス
撮影:カリム・ゴライエブ
出演:ジョージ・カッバス/ララ・レイン/エマニュエル・カイラッラ/サミール・ユーセフ
2014年/レバノン・カタール
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015)

天使と悪魔の「紙一重度合い」について

 主人公の音楽教師のレバ・サバには幼なじみのララとの間に10歳の娘のヤラと7歳の娘のサラがおり更にその下にガ―ディという息子がいるのであるが、彼はダウン症を患っており、毎日家の窓辺から歌う声が騒音のように聞こえていた近所の住民たちは彼を悪魔と見なして排除しようとし始める。レバはその対応に悩み、かつての恩師に会いに行くと、モーツアルトもサヴァン症候群だったということを知り、息子を神の言葉を伝える天使にしたてようと試み、その攻防がコミカルに描かれることになる。
 レバがガ―ディのために事前に仕込んでいる仕掛けを暴こうとするが、それを見越して補う仕掛けを施していた結果、街がガ―ディを天使と公認し、もはや普通の男の子に戻れなくなるという皮肉が効いている。『ポケット一杯の幸福(Pocketful of Miracles)』(フランク・キャプラ監督 1961年)を彷彿させる秀作。


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『モンテビデオの奇跡』

2015-07-30 00:47:16 | goo映画レビュー

原題:『 Montevideo, Vidimo Se!』 英題:『See You In Montevideo』
監督:ドラガン・ビエログルリッチ
脚本:ドラガン・ビエログルリッチ/ランコ・ボジッチ/ディミトリエ・ボイノフ
撮影:ゴラン・ボラレビッチ
出演:ミロシュ・ビコビッチ/ペタル・ストルガル/アーマンド・アサンテ
2014年/セルビア
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015)

ルールが無視されていた頃の最初のワールドカップついて

 1930年にウルグアイで開催された第1回目のFIFAワールドカップを、出場国のひとつであるユーゴスラビアチームのサポーターとして参加した足の不自由なスタノイエの証言をベースに、当時のサッカーのプレイスタイルも含めて丁寧に描かれている。当時、ウルグアイは1924年、1928年とオリンピックで金メダルを獲得しており、その功績が認められて最初のワールドカップ開催国に選ばれたようであるが、準決勝のユーゴスラビア戦ではその「ホームアドバンテージ」度合いが尋常なものではなく、本当にウルグアイが強かったのか、あるいはたまたまユーゴスラビアの調子が良かったのか疑問が湧いてくる。
 ユーゴスラビアチームのメンバーと現地女性との恋愛や、アメリカで新チームを設立するために高額の契約金により有能なプレイヤーを引き抜いていくホッチキンスの誘惑の中、愛国心を維持するのがなかなか難しい理由は、ユーゴスラビアという国そのものが複数の小国から成り立っていたからであろう。つまり原題の「モンテビデオで会いましょう」というスタノイエの願いはユーゴスラビアが崩壊した今となっては叶わないものなのである。


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『ペインキラーズ』

2015-07-29 00:04:22 | goo映画レビュー

原題:『Pilnstillers』 英題:『Painkillers』
監督:テサ・スグラム
脚本:テサ・スグラム/マリア・ペ―ターズ
撮影:タイメン・ドールニック
出演:ハイス・ブロム/ビルヒット・スプールマン/マシモ・ペシック
2014年/オランダ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015)

「遅延」から「適時」に向かう物語の流れ具合について

 冒頭から主人公のカスパーはオーケストラのオーディションに遅刻していき、何とかオーディションに合格するも、練習にも遅刻していってしまう有様は、ガールフレンドのように付き合っているように見えるソフィーとは実は本当の友だちでしかなく、ソフィーには既に他に本命のボーイフレンドがいることと符合する。
 カスパーの「遅刻癖」は母親のマリットのガンの発見の遅さにもつながり、同じオーケストラに所属するアヌークの父親でオーケストラの指揮者でもあるフェリックスのガンが完治したことと対照性をなす。カスパーの父親はカメラマンとして名を馳せていたロベルトだったのであるが、まるで関係を修復するのは遅すぎるという態度でロベルトはマリットに関心を示すことはない。
 カスパーはオーケストラのために作曲を試みるが、なかなか曲が仕上がらない。しかし母親と聴いていたビージーズ(Bee Gees)の「ステイン・アライヴ (Stayin' Alive) 」を組み込んだ「インディアン・サマー(Indian Summer)」という曲を作曲して、コンサートに間に合わせるのである。
 一方、いつものように戦場で写真を撮っているロベルトは現地の子供を見て、息子に電話をかけるところで幕となる。この「遅延」から「適時」に向かう物語の流れは悪くはない。カスパーが作曲した「インディアン・サマー(小春日和)」というタイトルの意味にしても秋から冬の中の春のような「ずれた」陽気を指すからであるが、どうもカスパーの父親のロベルトのマリットに対するあまりにも冷たい心情が理解しにくく後味が良くない。


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『絶え間ない悲しみ』

2015-07-28 00:07:54 | goo映画レビュー

原題:『La Tirisia』
監督:ホルヘ・ペレス・セラーノ
脚本:ホルヘ・ペレス・セラーノ
撮影:セサル・グディエレス・ミランダ
出演:グスターボ・サンチェス・パラ/アドリア―ナ・パス/ノエー・エルナンデス
2014年/メキシコ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015 監督賞)

ストーリーに絡まない軍の存在の不気味さについて

 塩田を営んでいるシルベストレを巡る主人公のチェバとアンジェラ・ミゲレの三角関係は複雑なもので、チェバは夫のカルメロが出稼ぎのために2人の子供たちが父親の顔を忘れるくらいに長期の不在中にシルベストレと関係を持ち、そのコズモという息子とカタリナという娘がいるにも関わらずタデオという赤ん坊を産んでしまうが、カルメロが帰郷してきたためにチェバはタデオをシルベストレに預け、シルベストレは再婚相手のセラフィナと彼女の娘のアンジェラ・ミゲレに育てさせるのである。しかしそのアンジェラ・ミゲレもシルベストレの子供を身ごもっているのである。
 タイトル通りに物語は悲惨そのものであるが、個人的に気になったことは、このような辺鄙な片田舎にも関わらず軍の車両の往来が絶えないことで、見間違いでなければ死体のようなものを運んでいた車両も見かけたのであるが、チェバの友人でゲイのカネリタの知り合いの若者の一人が軍に入隊する以外にメインストーリーと軍が絡むことはなく、この無関係さが却って不気味さを醸し出しているのである。


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『うつろう』

2015-07-27 00:35:58 | goo映画レビュー

原題:『うつろう』 英題:『Fading』
監督:久保裕章
脚本:久保裕章
撮影:齊藤友一郎
出演:横山真弓/大内陸/高橋綾沙/高田優輝/内田量子/佐藤貢三/金橋良樹/万田邦敏
2014年/日本
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015)

油絵と素描の違いが活かされない作品について

 主人公の平岩貴子は当時5歳の藤田悠と公園で出会い、それから10年の歳月が経ち、中学生の悠に貴子は個人レッスンで絵画を教えている。身分や年齢の違いは勿論、メロドラマらしく海水浴や避暑地などのロケーションに関してはそつはないが、肝心の絵画に関してはどうだろうか。
 学校で悠に絵画を教えている美術教師は、悠が描いた女性像が誰だか分からないという理由で、同じ美術部の雪乃の作品を学校の代表作品として選ぶのであるが、作品の良し悪しを描写そのものではなく動機の強弱で決めてしまうことに違和感がある。ちらっとしか見えなかったが淡白な雪乃の作品が悠の作品よりも良いようには見えなかった。
 その悠の作品は自ら捨てられ、幸運にも貴子の手に渡り、ラストは貴子が悠を描いた人物画と並べて貴子の部屋に置かれることになるのであるが、手首を切りながらも失うことはなかった悠と片腕を失った貴子の、絵画を巡る物語において絵画が上手く活かされていないように思う。それは全体的に物語の展開のテンポが悪いことと関係がなくはないであろう。


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『それでも、お父さん』

2015-07-26 00:03:16 | goo映画レビュー

原題:『それでも、お父さん』 英題:『After All, My Dad』
監督:高橋朋広
脚本:高橋朋広
撮影:高橋祐太
出演:田畑亜弥/右近良之/加瀬信行/楊原京子/田中瞳佳/月登/いとう大樹/只野あっ子
2015年/日本
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015)

聞き間違うハプニングの演出方法について

 最初は上のシーンのように画面の暗さも手伝ってシリアスドラマのように観ていたが、途中からコメディー的な要素も加わり、なかなか観点が定まらない。
 それはともかく、違和感が残った演出を指摘しておきたい。男性に対して奔放な母親のさよ子が亡くなった後、自分の本当の父親を探そうと主人公の蒲田未来(みく)は父親の満の他に満の友人だった武藤や千葉や小谷からDNA鑑定ために毛を採取した。その結果が書かれた報告書を手に未来は武藤の喫茶店に赴き、武藤が本当の父親であることを告げる。一方、満は事前に未来が偽造していた報告書を見て自分が本当の父親であると喜んでおり、未来に知らせようと娘を探していた。
 一通り報告を終えて帰ろうとした未来が部屋のドアを開けながら「さよなら、武藤さん」と言った未来の言葉をたまたまそのドアのそばに立っていた満には「さよなら、お父さん」と聞こえ、ハプニングで知った真実にショックを受けるのであるが、本作のクライマックスであるこのシーンが劇的に描かれていないのである。ここは細かなカット割りを駆使して見せるべきだと思った。
 父親候補の一人だった千葉はスキンヘッドで、それでも未来は千葉から毛を採取したのであるが、あれはどこの毛だったのだろうか。未来の毛の扱い方から勘案するならば「下の毛」だと思うが、それならばあれほど大量の下の毛を痛みを堪えてむしり取ってくれる千葉こそ一番好い人だったのではないだろうか。


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『君だってかわいくないよ』

2015-07-25 00:07:18 | goo映画レビュー

原題:『You're Ugly Too』
監督:マーク・ヌ―ナン
脚本:マーク・ヌ―ナン
撮影:トム・コマーフォード
出演:ローレン・キンセラ/エイダン・ギレン/エリカ・サントン/ジョルジュ・ピステラーヌ
2015年/アイルランド
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015 脚本賞)

ジョークがメインに組み込まれている脚本について

 ここでは2つのジョークについて論じてみたいと思う。一つ目は出所してきたばかりの主人公のウィルが住むトレーラーハウスの近所に住む人妻のエミリーと一夜を共にした際に、エミリーはウィルにある話をする。一頭の牛が干し草を食べようとしているのであるが、同じ量の干し草が反対方向に牛から等距離に一山ずつある。牛がどちらの山へ行って食べようかと考えているうちに餓死してしまったという話である。ウィルは自分のことを言われたのだと思ったが、ウィルは牛ではなく干し草の方だとエミリーは言うのである。この奇妙な話をした翌日エミリーは息子を連れて失踪してしまい、ウィルと夫の両方を捨てたエミリーの真意をウィルは知ることになるのである。
 二つ目はタイトルにもなっているジョークについてである。ラストで姉の娘であるステイシーがウィルに訊いた医師と患者の話で、電話で医師は患者の男に余命6週間であると告げる。その診断を信じられない男が「セカンド・オピニオン」を求めるつもりだと言ったことに対して、その医師は勘違いして自ら「あなたは顔も酷い(You're ugly,too)」と男に言うのである。
 このようにジョークを脚本の中軸に組み込んでしまうところがアイルランド映画らしいのかもしれないのであるが、私の興味はこのウィルの渾身のギャグにステイシーが全く反応しなかったことにある。おそらくステイシーが睡眠障害を患って薬を手放せないことで、病気に関するジョークを笑えないということと、ステイシーを演じたローレン・キンセラが演技は一流だが、容姿がそれほどでもないという点にあると思う。これは個人的な意見ではなく、文脈を無視して邦題に「君だってかわいくないよ」と付けた人の意見であり、監督がこのジョークに関して口を濁した理由でもある。


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『スウィング!』

2015-07-24 00:08:49 | goo映画レビュー

原題:『Swing』
監督:チャバ・ファゼカシュ
脚本:チャバ・ファゼカシュ
撮影:ダーニエル・ガラシュ
出演:エステル・オーノディ/エステル・チャーカーニ/マリー・トゥルーチク
2014年/ハンガリー
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015)

わざわざ英語で歌うことの意義について

 今回『牝狐リザ』(カーロイ・ウッイ・メーサーロシュ監督 2015年)と同じハンガリー映画の本作は、また同様に「ミュージカル作品」でもある。シングルマザーのケイトと、内気な性格のためにせっかく受けに来たオーディションもすっぽかしてしまうアンゲラと、夫の浮気現場を目撃して自暴自棄になっていたリタの3人が偶然同じレストランにおり、かつての大物歌手だったエミリーが咽喉の不調で歌えなくなったことをきっかけに知り合いになり、世代が違う3人で「スウィング・エンジェルズ(Swing Angels)」を結成することになる。
 しかし本作は例えば『シカゴ』(ロブ・マーシャル監督 2002年)のようなサクセスストーリーではない。ケイトとリタは敢えて夢を諦め、一番若いアンゲラ(つまりエンジェル)に夢を託し、ここがハリウッド映画と決定的に違うのであるが、その時、アンゲラは母国語ではなく英語で歌う。やはり英語で歌うことこそワールドワイドな活躍の可能性を保証するのであり、間違っても『牝狐リザ』のように日本語で歌っては世界的にヒットはしないのである。


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『牝狐リザ/リザとキツネと恋する死者たち』

2015-07-23 00:22:53 | goo映画レビュー

原題:『Liza, a rókatündér』 英題:『Liza, the Fox-Fairy』
監督:カーロイ・ウッイ・メーサーロシュ
脚本:カーロイ・ウッイ・メーサーロシュ/バーリント・ヘゲドゥーシュ
撮影:ペーテル・サトゥマーリ
出演:モーニカ・バルシャイ/サボルチ・ペデ・ファゼカシュ/デヴィッド・サクライ
2015年/ハンガリー
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015)

その本当の良さが日本人にしか分からないハンガリー映画について

 舞台は1970年代のハンガリーの虚構の首都「Csudapest」。主人公の30歳のリザは元日本大使の未亡人であるマルタ・田中の身辺の世話を12年間していた。リザには「西洋」と「東洋」の二面性があり、「メック・バーガー(Mekk Burger)」で食事をしながら男性との出会いを期待する一方で、日本の三文小説をこよなく愛し、1950年代の日本のポップスターだったトミー谷の幻影が見えてしまう。
 ある日、リザが外出中にマルタが死んでしまったことから端を発し、リザに好意を寄せる男たちが次々と謎の死を遂げる事件が起こり、ゾルタン巡査がリザの身辺調査に乗り出すことになるのだが、主犯のトミー谷はリザにしか見えていないために捜査は難航する。
 そのうちリザは那須のキツネ憑き伝説に魅了されてしまい、トミー谷に呼ばれて睡眠薬を飲まされて自殺に導かれようとしていたところに、純粋にリザを愛していたことから死を免れていたゾルタン巡査が自国語で歌を歌いながらベッドで眠っているリザを助けようとする。それは日本語でロックンロールを歌っていたトミー谷に対抗する方法だったのであり、あの世に引きずり込まれる寸前にリザの口から睡眠薬を吐かせることに成功するのである。
 今もって正確な日本描写を見かけないハリウッド映画に対して、今の日本の映画監督でさえ手を出さないであろうトニー谷のパロディーを使うところからして斬新で、まるでトニー谷の本来の性格まで熟知しているような演出である。オリジナルと思われる楽曲も良く、日本語の歌詞も意外と真っ当なものである。「狐憑き」をテーマにしているが、リザを自殺させようとするところから本当は「切腹」や「腹切り」を扱いたかったのかもしれないが、さすがに笑えなくなるから変えたのだろう。今回唯一もう一度観たいと思った「SF作品」であるが、その「S」は「サイエンス(science)」というよりも「セミオロジカル(semiological)」なものである。


(Tomy Tani トミー谷)


(トニー谷)


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『ビヘイビア』

2015-07-22 00:07:20 | goo映画レビュー

原題:『Conducta』 英題:『Behavior』
監督:エルネスト・ダラナス・セラーノ
脚本:エルネスト・ダラナス・セラーノ
撮影:アレハンドロ・ペレス
出演:アリーナ・ロドリゲス/アルマンド・バルデス・フレイレ/シルビア・アギラ
2014年/キューバ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015 最優秀作品賞)

「鳩」と「闘犬」の象徴性について

 タイトルの「ビヘイビア」とは「行儀」や「品行」を意味し、それは主人公の11歳のチャラを中心とした学校を舞台に問われることになる。教師歴50年を超える教師のカルメラや校長のメルセデスは、ドラッグ中毒の母親のソニアを抱える境遇のチャラに同情的であるが、持病の心臓病を悪化させて入院したカルメラの代わりにきた新任のマルタや教育委員会のラケルは問題児であるチャラを手っ取り早く更生施設に送ることにした。一旦は更生施設に送られたチャラは退院してきたカルメラによって再び元の学校に戻されるのであるが、問題がなくなることはなく、ベテランではあってもカルメラは厳しい立場に立たされる。もちろん問題はチャラだけではなく、イェニというチャラと同級生の女生徒も父親が外国籍であるために絶えず警察から目をつけられているのであるが、頭は良く、闘犬に関わっているチャラにジャック・ロンドン(Jack London)の『白牙(White Fang)』を読むことを勧めたりする。チャラに闘犬を教えたのはイグナシオという男なのであるが、彼がチャラの父親なのかどうかイグナシオ自身にも分からない。
 このようにチャラの身辺の「行儀」や「品行」は危機的な状況なのであるが、要するに本作はチャラが飼っている「鳩」と「闘犬」が対称的な象徴性を示し、平和を象徴しながら全く利益にならない鳩と、戦争を象徴しながらチャラの食い扶持を稼いでくれる闘犬という矛盾に挟まれながら生きなければならない厳しい生活環境が描かれているのである。


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