ついでにテオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーの共著『啓蒙の弁証法』に触れておきたいと思うのだが、ここではこの難解な哲学書について書くのではなく、この哲学書がどのように理解されているのか簡略に書いておきたいと思う。
『哲学嫌い ポストモダンのインチキ』(秀和システム 2019.10.25)において小谷野敦は以下のように書いている。
「これは、なぜナチスによるアウシュヴィッツでのユダヤ人虐殺のようなことが起きたのか、というので、啓蒙、つまり無知で偏見のある大衆を聡明にしようとする試みが反転する、ということを論じたものだ。だが、第二次大戦後の世界を見ても、別にそのような『弁証法』が働いた形跡はない。ただし、人間の知性というのは個人差があり、どうしたって啓蒙されない民衆というのは残るので、啓蒙の試みが逆転するわけではなく、啓蒙には限界がある、つまり選挙をやれば横山ノックや小池百合子が当選してしまうということは起こりうる、ということでしかない。私は意義を認めない。」(p.79)
『読む力 現代の羅針盤となる150冊』(中公新書ラクレ 2018.4.10)において松岡正剛と佐藤優が対談しているのだが、『啓蒙の弁証法』に関する2人の意見が以下のものである。
「松岡 ナチスなどの全体主義が欧州全土を覆うさなかに、ホルクハイマーとアドルノは、カリフォルニアで『啓蒙の弁証法』(1947年)を刊行した。この本のポイントは啓蒙的理性だけでは世の中はちっとも革新できないということです。
佐藤 あの共著は、一見、ナチス・ドイツ批判のようにも見えますが、より強力に意識しているのはアメリカです。アメリカ政府の検閲を警戒して、細心の注意を払って書いていますが、痛烈なアメリカ社会批判が根底にある。トランプ大統領が誕生してしまった今日、いま一度、読み直すべき一冊だと思います。」(p.120-121)
小谷野の読み方は「啓蒙の弁証法」というタイトルをなぞっただけの理解でしかないように思える。佐藤優の言葉を借りるならば、『啓蒙の弁証法』には「痛烈な東京都、大阪府批判が根底にある」と言えるはずだが、これ以上は手に余るので止めておく。
因みに松岡と佐藤は以下のようなことも述べている。
「松岡 ただそれは、はたして脱構築主義(ポストモダン)の思想になったのかどうか。そのへんの問い直しは必要です。いまの日本でこのあたりを丁寧に研究しているのは仲正昌樹さんですかね。
佐藤 ああ、仲正さんはとてもいい仕事をしていますよね。
松岡 仲正さんが手がけたベンヤミンやプラグマティズムの検討書の数々はすばらしい。あの努力には拍手を送りたいですね、」(p.134)
以下が、小谷野の見解である。
「強固なポストモダン擁護者である仲正昌樹は、唯一と言っていいほど、『ポストモダンとは何か』という私の問いに答えようとした人で、『宙づりの状態に耐えること』などと言っていたが、何が宙づりなのかは、答えてくれなかった。」(p.98)
おそらく小谷野は仲正に「宙づりの状態」に耐えられる人ではないと見なされたのだと思う。