バイクライフ・バイクツーリングの魅力を北海道から。
聖地巡礼-バイクライディングin北海道-
GPZのわけ(3)

(2007年5月15日、幌里小学校の春楡の木の下で。GPZと僕は、樹を巡る旅を始めていた。)
ハンドル交換でポジションを自分に合わせ、足回りを少しアジャストしたGPZは、ぐんと自分に近づいた気がした。
やっと自然な感じで乗れるようになり、当時も仕事は忙しかったのだが、10月の連休には毎年泊まりで、広島から九州や四国に走りに行った。
出向期間が終わっても片道15キロの通勤路のため、GPZは年間2万キロ以上のペースで距離を稼いで行き、林道を走ったりもしたし、無謀にも練習なしでジムカーナの大会に参加したり、サーキットにも何回か通ったりもした。
1999年、一家で広島から北海道に引っ越した。
十勝地方に住み、仕事をし、子育てをする日々が始まった。
もちろんGPZも一緒に引っ越したのだが、1999年から2003年までは走行距離が年間2000キロにも満たない年が続いた。
子どもも5歳から10歳。父親の出番だった。
広島から十勝へ来た妻と子と、家族として北海道の暮らしになじむこと、
せっかく北海道に来たのだから、北海道ならではの体験を子どもにたくさんさせること、
そんなことに必死だった。
心も、体も、バイクを欲してはいたが、そんな時間はほとんどなかった。
2004年、十勝から石狩へ、再び引っ越した。
子どもも11歳になり、少しずつ、手がかからなくなっていった。
GPZも再び少しずつ距離を延ばすようになる。
しかし、時間に追われる中で、GPZと走っても、疲れをつかの間解放するものの、
体はさらにくたびれ、走る元気を少しずつ失ってきている気がした。
仕事は年々厳しくなり、忙しさだけが増えていった。
まあ、よくある話だ。
2007年、何かを突破しなければ、この現実の中で行き詰まり、押しつぶされそうないやな予感がしていた。
自分が自分であることを取り戻さなければ、仕事でも、家庭でも、それを離れた個人としても、生きていけなくなるような気がした。
再びライダーになろう。
自分の原点を取り戻そう。
そのためのはずみをつけようと思ったのだろうか。もう、自分でははっきり思い出せないのだが、バイクで走ることを、自分のためだけにバイクで走っていくことを、再びやっていこうと思った。
そこで、これまたなぜそう思ったのか、「ブログ」なるものを書いてみようかと思い立ったのだ。
バイクライフの記録や思いをつづってみよう。
北海道をもう一度、新鮮な気持ちで、神聖な気持ちで、バイクで巡ってみよう。
そう思いついた。
バイクツーリングのメインテーマを「北海道の樹を訪ねる旅」と位置づけ、道内の巨樹を回ってみよう。そう思いついたのだった。
多分、GPZは北海道に合っているのだと思う。
重い車体、取り回しのきつい車体は、信号でのGO、STOPの繰り返しを嫌う。
大きな景色の中を悠然と、または豪快に走り抜けていくことがもっとも得意なバイクなのだ。
その過程に中速~高速コーナーが適度に挟まるような道が、GPZの本来のステージだ。
夏でも雨が降るとかなり冷え、朝晩は山の方ではやはり相当に冷える北海道は、カウルの存在がありがたい。
それに、北海道は街と街との距離が離れているところが多い。
『次の交差点左折、直進90㎞、○○ジャスコ』みたいな看板がある土地なのだ。
長距離を一気に走りぬけようとするなら、大型のカウル付きバイクは、ライダーに優しく、その能力を生き生きと発揮する。
再び道内各地を走り出して、GPZの能力の高さに助けられることが多いのを、改めて感じることが多くなった。
気温の変化に強い。
天候の変化にも、ある程度強い。雨の日のぬれ方が違う。
GPZのカウルは、実用的で実に優秀なのだ。
例えばウィンターグローブなしでも、手がかじかんで感覚がなくなるなんてことは
一度も経験したことがない。
22ℓ入りのタンク。ツーリングではリッター20キロはコンスタントに越える燃費。
一度満タンにすれば、400㎞近くは確実に走れる。
その巡航距離が、早朝の出発を可能にする。この自由度。
そして11万キロ走行して一度もヘッドすら開けていないエンジン。
今までエンジントラブルで止まったことは一度もない。
あり過ぎないパワー、しかし潤沢な低速トルク。
口の悪い人は「耕運機のようだ」とまで言うらしい。
マラソンの先導だってできそうだ。
(実は小さい田舎のマラソン大会で、何回か先導も経験した。もちろん、警察には届けを出し、許可、協力を得て実施した。田舎だったからね。)
結構林道も走った。
かなりガレていても、慎重に走れば行ける。
高速道路を一日で広島から那須までも走った。途中降りてワインディングを走ってしまったが、一日1400キロ以上を走っても、翌日のサーキット走行をこなし、その翌日また別ルートで一日1500キロ走って広島へ帰って、翌日の仕事には支障がない。
それは、僕が若かったからできたことでもあるが、それよりもGPZのグランドツアラーとしての力量のなせる業だったろう。
走れば走るほどに、
馴れれば馴れるほどに、
GPZは実用で頼りになり、力を発揮し、
ライダーを支えてくれる。
いつでも、正直に、誠実に、答えてくれる。
そして、まだまだ奥に引き出しがある。
こいつに乗って16年が過ぎようとし、今年の6月から17年目に入る。
30台前半だった僕は今年40代最後の年だ。
ライダーの体力的に、できないことが増えてきた。
しかし、まだまだできることが増えそうな気がしている。
もっときれいに、無理せずに、コーナーを抜けて行ける。
結果、必要ならもっと速くも走れる。
もっとタイヤを長持ちさせ、かつ豊かな接地感の得られるセッティングや、走り方がある。
もっとしなやかで力強い減速ができる。
まだまだ、僕の引き出せていないGPZの能力がある。
「こいつはここまでか」と思わせない。
GPZは決して裏切らない。
きちっと整備し、乗れば、そのことに応え、
手を抜いていると、そのことを教えてくれる。
整備も、乗り方も、全部自分に帰って来る。
気まぐれはない。
こんなすがすがしいことがあるだろうか。
「すべてが自分のせい」
つまり何が起こってもそれは「自」分に「由」来する。
それを「自由」というのだ。
GPZは僕に、自由を与えてくれる。
昔も、今も。
もしかして、それが、GPZに乗るわけなのか。
本当は、金がないから、
買い換えようとする気持ちが具体的に起きてこなかっただけ、
なんだろうけれど、
17年間で傷だらけになり、ぼろぼろになってるGPZを見て、
やっぱりこいつだよなあ…と、思うのだった。
今年は車検。
無事に通るか、エンジンがいかれたら、直すことは(経済的に)できないだろう。
別れが少しずつ近づいて来ていることを感じてはいるけれど、
今年もお前と、走りたい、GPZ。
ハンドル交換でポジションを自分に合わせ、足回りを少しアジャストしたGPZは、ぐんと自分に近づいた気がした。
やっと自然な感じで乗れるようになり、当時も仕事は忙しかったのだが、10月の連休には毎年泊まりで、広島から九州や四国に走りに行った。
出向期間が終わっても片道15キロの通勤路のため、GPZは年間2万キロ以上のペースで距離を稼いで行き、林道を走ったりもしたし、無謀にも練習なしでジムカーナの大会に参加したり、サーキットにも何回か通ったりもした。
1999年、一家で広島から北海道に引っ越した。
十勝地方に住み、仕事をし、子育てをする日々が始まった。
もちろんGPZも一緒に引っ越したのだが、1999年から2003年までは走行距離が年間2000キロにも満たない年が続いた。
子どもも5歳から10歳。父親の出番だった。
広島から十勝へ来た妻と子と、家族として北海道の暮らしになじむこと、
せっかく北海道に来たのだから、北海道ならではの体験を子どもにたくさんさせること、
そんなことに必死だった。
心も、体も、バイクを欲してはいたが、そんな時間はほとんどなかった。
2004年、十勝から石狩へ、再び引っ越した。
子どもも11歳になり、少しずつ、手がかからなくなっていった。
GPZも再び少しずつ距離を延ばすようになる。
しかし、時間に追われる中で、GPZと走っても、疲れをつかの間解放するものの、
体はさらにくたびれ、走る元気を少しずつ失ってきている気がした。
仕事は年々厳しくなり、忙しさだけが増えていった。
まあ、よくある話だ。
2007年、何かを突破しなければ、この現実の中で行き詰まり、押しつぶされそうないやな予感がしていた。
自分が自分であることを取り戻さなければ、仕事でも、家庭でも、それを離れた個人としても、生きていけなくなるような気がした。
再びライダーになろう。
自分の原点を取り戻そう。
そのためのはずみをつけようと思ったのだろうか。もう、自分でははっきり思い出せないのだが、バイクで走ることを、自分のためだけにバイクで走っていくことを、再びやっていこうと思った。
そこで、これまたなぜそう思ったのか、「ブログ」なるものを書いてみようかと思い立ったのだ。
バイクライフの記録や思いをつづってみよう。
北海道をもう一度、新鮮な気持ちで、神聖な気持ちで、バイクで巡ってみよう。
そう思いついた。
バイクツーリングのメインテーマを「北海道の樹を訪ねる旅」と位置づけ、道内の巨樹を回ってみよう。そう思いついたのだった。
多分、GPZは北海道に合っているのだと思う。
重い車体、取り回しのきつい車体は、信号でのGO、STOPの繰り返しを嫌う。
大きな景色の中を悠然と、または豪快に走り抜けていくことがもっとも得意なバイクなのだ。
その過程に中速~高速コーナーが適度に挟まるような道が、GPZの本来のステージだ。
夏でも雨が降るとかなり冷え、朝晩は山の方ではやはり相当に冷える北海道は、カウルの存在がありがたい。
それに、北海道は街と街との距離が離れているところが多い。
『次の交差点左折、直進90㎞、○○ジャスコ』みたいな看板がある土地なのだ。
長距離を一気に走りぬけようとするなら、大型のカウル付きバイクは、ライダーに優しく、その能力を生き生きと発揮する。
再び道内各地を走り出して、GPZの能力の高さに助けられることが多いのを、改めて感じることが多くなった。
気温の変化に強い。
天候の変化にも、ある程度強い。雨の日のぬれ方が違う。
GPZのカウルは、実用的で実に優秀なのだ。
例えばウィンターグローブなしでも、手がかじかんで感覚がなくなるなんてことは
一度も経験したことがない。
22ℓ入りのタンク。ツーリングではリッター20キロはコンスタントに越える燃費。
一度満タンにすれば、400㎞近くは確実に走れる。
その巡航距離が、早朝の出発を可能にする。この自由度。
そして11万キロ走行して一度もヘッドすら開けていないエンジン。
今までエンジントラブルで止まったことは一度もない。
あり過ぎないパワー、しかし潤沢な低速トルク。
口の悪い人は「耕運機のようだ」とまで言うらしい。
マラソンの先導だってできそうだ。
(実は小さい田舎のマラソン大会で、何回か先導も経験した。もちろん、警察には届けを出し、許可、協力を得て実施した。田舎だったからね。)
結構林道も走った。
かなりガレていても、慎重に走れば行ける。
高速道路を一日で広島から那須までも走った。途中降りてワインディングを走ってしまったが、一日1400キロ以上を走っても、翌日のサーキット走行をこなし、その翌日また別ルートで一日1500キロ走って広島へ帰って、翌日の仕事には支障がない。
それは、僕が若かったからできたことでもあるが、それよりもGPZのグランドツアラーとしての力量のなせる業だったろう。
走れば走るほどに、
馴れれば馴れるほどに、
GPZは実用で頼りになり、力を発揮し、
ライダーを支えてくれる。
いつでも、正直に、誠実に、答えてくれる。
そして、まだまだ奥に引き出しがある。
こいつに乗って16年が過ぎようとし、今年の6月から17年目に入る。
30台前半だった僕は今年40代最後の年だ。
ライダーの体力的に、できないことが増えてきた。
しかし、まだまだできることが増えそうな気がしている。
もっときれいに、無理せずに、コーナーを抜けて行ける。
結果、必要ならもっと速くも走れる。
もっとタイヤを長持ちさせ、かつ豊かな接地感の得られるセッティングや、走り方がある。
もっとしなやかで力強い減速ができる。
まだまだ、僕の引き出せていないGPZの能力がある。
「こいつはここまでか」と思わせない。
GPZは決して裏切らない。
きちっと整備し、乗れば、そのことに応え、
手を抜いていると、そのことを教えてくれる。
整備も、乗り方も、全部自分に帰って来る。
気まぐれはない。
こんなすがすがしいことがあるだろうか。
「すべてが自分のせい」
つまり何が起こってもそれは「自」分に「由」来する。
それを「自由」というのだ。
GPZは僕に、自由を与えてくれる。
昔も、今も。
もしかして、それが、GPZに乗るわけなのか。
本当は、金がないから、
買い換えようとする気持ちが具体的に起きてこなかっただけ、
なんだろうけれど、
17年間で傷だらけになり、ぼろぼろになってるGPZを見て、
やっぱりこいつだよなあ…と、思うのだった。
今年は車検。
無事に通るか、エンジンがいかれたら、直すことは(経済的に)できないだろう。
別れが少しずつ近づいて来ていることを感じてはいるけれど、
今年もお前と、走りたい、GPZ。
コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )

« GPZのわけ... | クシタニ 「... » |
その2では、おっと思い、
このその3に至って、感動を覚えました。
ライダーとして、樹生さんのように1台のオートバイと付き合うことができたら、どんなにか素敵でしょう。
私はいろいろ目移りして、そこまで深くオートバイと理解し合えていないです。
いやあ、ほんとうに素敵なお話し、ありがとうございます。
以前にも書いたかも、なんですが、こちらのブログで拝見した樹生さんのGPZには「表情」があるような気がします。
バイクって、工業製品のひとつにすぎないのですが
樹生さんのGPZはなにかそれ以上の何か・・・
何か、例えば大型犬みたいな「相棒」と言ったら良いのかな、そんな存在に感じられるのです。
でかくて青い(!)忠実なワンコ。
樹生さんとGPZ、素敵な関係ですね。
僕のR1-Zは、長期間放置してご機嫌ナナメなせいか
なかなか言うことを聞いてくれません。(コンディションはよいのですが)
まだまだこれからです。
素敵なおはなし、どうもありがとうございます。
ちょっと前、NHKでスイスの気球競技の番組を観たんですが、それにずっと参加してる70歳くらいの人が格好よくて、「気球は自由をくれる」「思い通りになることが自由じゃないんだ」「今日は自然の方が僕よりも一枚上手だったってことさ(リタイヤして)」など、次々に名言を繰り出し、しかも、別に言葉がかっこいいのではなく、その言葉が実に自然に馴染んでいる、そんな生き方のように見えました。
趣味ってそういうものでありたいなあと思い、そんなふうに年を重ねていきたいと思ったのでした。
GPZの次は何に乗ることになるか、まだわかりませんが、身の丈にあったバイクにしたいと思います。しかし、GPZに長く乗れているのは、自分の身の丈に納まらない大きさや強さをGPZが持っていたからではないか、とも、考えたりもしています。
もしかしたら、バイクに跨っている写真が少なく、風景の中に単独に写っていることが多いので、そういう感じになるのかもしれませんが、「でかくて青い忠実なワンコ」というのは、ほほえましくも当たっている感じもして、とてもうれしいです。
ソロさんありがとうございます。
少しズングリしたようにも見えるGPZのフルカウルと攻撃性の薄いデザインが、そんなふうに見えるポイントかもしれませんね。
山岳救助のピレネー犬とか、そんな感じもありますね。
今年もGPZと北海道を走り回りたいと思います。
冷たい風ですが、ライダーさんも見ました。
会社へ出かけましたが午後はしんどくて
戻ってきました。
明日は東京 あさっては福岡です。
身の丈、GPZの大きなバックスタイルと
樹生さんの大きな背中ちょうどあってます。
お仕事お疲れで、ちょっとお背中に哀愁
ただよっても(^^;)、人車一体の
安定した動きです。
でも走りながら何か考えているような
そんな何かのバックビューです。
GPZはきっと長い長い耐久性能を与えられて
いると思います。
基本的なところの耐久性にたっぷりと
余裕がある。
本人に意思がある限りそれに応えてくれると
信じられるバイクですね。
お疲れ様です。体調はいかがですか?
明日30日東京、あさって1日福岡と、忙しいですね。
気温変化も激しい折です。北海道との気温差も大きな時期ですよね。
どうぞお気をつけて。
身の丈にあってますか?
そう言われると、とてもうれしいです。
乗り始めの頃は全然似合ってなかったので。
と、いうことは、GPZが私を育ててくれたのでしょう。
人車ともに疲れが出ていますが(^^;)、まだまだいけそうですね。
「走りながら何かを考えているような」というところも、
とてもうれしいご指摘です。
私は、たぶん、そうなんだと思います。
また、多分に、そうでありたいと、願っているのだと思います。
GPZの耐久性は、カワサキの良心であり、機械屋としての矜持だと思います。
それは、バイク乗りとして、誇りにできることだと、考えています。
kaoriさん、出張、気をつけていってらっしゃい。
樹生和人さんの会社の近くの橋の上でたまにすれ違います。今年も宜しくお願いします。
もちろんコメントを残すのは初めてです。
率直に自分もバイクに乗っていて良かったな、なんて思わせて頂きました。
私は群馬でZRXの1100に乗っていますが、当初の予算的な問題もありあまりいい玉とは言えない車両を掴まされ、あっちこっちぶっ壊れては、お金が無いから仲間の力も借りながら自分で直す、という生活を送っております。
しょっちゅうネットで、次のバイクは何がいいかなぁ…なんて検索しちゃったりしていますが、何かのめぐり合わせで出会った自分の相棒を、長く長く愛してこそ見えてくる世界もあるんだろうな、、、
そんな風に思いました
あっ やべっ
まとまってないのにやたら長文になっちゃいました
要は、樹生さんのブログ、結構楽しみにしてますよ、っていう意味です(笑)
ご無沙汰してました。
やや!あの日、橋の上で見つけたZ、San-chanさんでしたか。
ああ!その時私、変な走り方してなかったでしょうか(汗)。
いや、いつ誰に会ってるかわかりませんね。
去年は一度もご一緒できませんでしたが、暖かくなったら今年は一度ご一緒したいです。
奥様にも、どうぞよろしくお伝えください。
San-chanさん
今年もよろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます!
そしてご愛読くださっていること、大変うれしいです。ありがとうございます。
私は簡単な調整くらいなら自分でもやりますが、整備や周囲となると全然だめで…。
ご自分で手をかけたZRX1100、かわいさや思い入れも、一入のことと思います。
群馬にはバイク乗りの友人がいます。
すごくいいところですよね。
一昨年、夏に『南東北北関東』のツーリングに行ったのですが、是非また、行きたいと思います。新潟にも。福島にも、群馬にも。いずれも素晴らしい土地で、素晴らしい人々に会えました。
バイクツーリングって、本当に楽しいものだと、思えた旅でした。
長いコメントは大、大、大歓迎です。(周りをご覧下さればお分かりと思いますけれど^^)
同時に、一言だけのコメントも、やはり大、大、大歓迎です。
やはりコメントをいただけると、読んでくれている人がいるんだ…!とブログを書く励みになります。
それにしても、カンクネンやマキネンなども思い出させる、ロッシネンさんのお名前。
…そうとう「来ている」方とお見受けいたしました。
(ヴァレは今年、タイトルを取れるでしょうか。)
ロッシネンさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
隼じゃないの?という突っ込みはなし。なるほどな・・・!
信頼する店長の薦めに従い試乗もせず購入を決めたGPZ1100。
でもねぇ~、ちょっと不安も・・・(感じた自分の小ささは反省してます)
情報収集してめぐり会った樹生さんのブログをみて、とっても安堵しました。
今では、私の「バイブル的な存在!」です。
バイクを熟知した人間が薦める「GPZ1100」。なんともいいバイク(単車)ですね!
これからGPZに運命的に出会う人達のためにも、GPZ乗り続けましょうよ!これからもよろしくお願いします。
すいません、勝手な思い込みで書いてしまってます。
kakuさんのブログで拝見するGPZ、とてもきれいですね。
自分以外のGPZをあまりよく見たことがないので、その美しさや格好よさは新鮮です。
マシンのカラーリングも大きいでしょうが、やはり単車はオーナー毎に違う味わいになっていくのですね。
GPZ、本当にいいバイクだと思います。
何より頼れる。そしてたたずまいで周囲を威圧しない。存在感はあるのに。
そこがまた、魅力に思えます。
ただ、重いので、万人におすすめというわけには行きませんが…。
長く付き合える、長く付き合うほどに味がでて、本領を発揮してくるバイクだと思います。
もちろん、合う、合わないはあるので、カミソリのような切れ味を求める人や、周囲を圧倒する威圧感を求める人、「誰にも負けない」わかりやすい何かを求める人には、向いていないと思います。
(例えば私がレーサーレプリカを手に入れたなら、数年も経たずして手放すだろうと思いますし…)
ただ、確かに「GPZの世界」のようなものは、別に特別なものではないにしろ、「ある」ように思います。GPZでの旅のレポートのなかで、自然に、でも必然的に、そのことが表れていくような、そんな記事が書けたらいいなと思います。
「GPZに乗った幸運」、いい言葉ですね。
私は確かに、幸運なんだと思います。それは、ずっと。
こんなにオーナーに愛されている、といいますか、腐れ縁な方(スイマセン)は見たことがありません。
理由もなく、完敗です(^o^)
ありがとうございます!
最高の褒め言葉です。
ただ、愛しているかどうかは怪しいかな?結構、「売っ払ってやる」とか、「次のバイクはこれかなあ…」とか考えてきましたし、私のGPZ、本当にぼろぼろなんですよ。特に外見は…!!
きっと見かけた人は、「おい、ちゃんと愛してやれよ…!」と思うだろうと、思うのです。
腐れ縁、というのが、一番当たっているかもしれませんね。(ごめんね、GPZ)
それにしても、うれしいお言葉でした。ありがとうございます。
ブログ等を読んだ時に、自分はどう感じたか・どう思ったかなどと考えることが多々ありますが、樹生さんのブログを読んでいつも感じることは、「自分には出来ない」です。
ツーリングなどでたびたびバイクを降りて現地の空気や景色を感じたりというのも、読んでいるととても素敵で素晴らしい、出来るなら自分もやってみたいとは思うのですが、一人だとついつい楽しくてバイクから降りられません。
同様に、一台の愛車と長く付き合い、バイクに自分を合わせ、自分にバイクを合わせ、深く長く付き合っていく姿はとてもカッコ良く羨ましく出来るなら自分もやってみたいと思うのですが、まだまだ僕には出来るものではありません。
こう書くと「自分には出来ない」というのはちょっと嫉みのようにも見えますが、全くの逆でとても楽しく刺激的で興味深いことです。
こういうバイクとの付き合い方がある・こういうバイクの見方がある・こういうツーリングの楽しみ方がある。
自分では考えられないようなヒトの素敵な生き方に触れられるのは、とても貴重なことだと感じています。
樹生さんのブログは、そんなことを感じさせてくれます^^
また時間がある時、他の記事も読ませて頂きますね。
さて、僕は一体いつ大きいバイクに乗り換えるのでしょうか。
せっかくならレプリカのような最高峰の走行性能を堪能してみたいし、リッタークラスのツアラーで悠々自適に北海道の道を駆け抜けてもみたいですし、はたまたWやトラのような味のあるバイクをジーンズとA2を羽織って颯爽と走りたいという願望も…。
まあ、まだだいぶ先のお話ですがね~。お金がありません!(笑
長文しつれいしました!
古い記事をお読みいただいて、コメントをいただけるのは、とてもうれしいです。
ありがとうございます。
逆に私は、11月の夜の北海道の山道を、300㎞以上もワインディングを求めて走り回ることはできません。
きれいなオレンジに車体を自分でペイントすることも、さまざまなカスタムを施すことも。
かねしんさんの感性は素晴らしいと思いますし、ライダーとして、走りを楽しむのはまさにバイクの原点だと思います。
私にはない純粋さ、若い命の息吹のようなものを感じます。
それは、かねしんさんのイラストを拝見しても、同じように思うのです。
それは私が失ったもの。二度と得られないもの。
それが歳を重ねるということでもあり、代わりに経験を得てきたのでしょうけれども、かねしんさんがまぶしく感じられます。
それは、やはり「うらやましい」というのではなく、かねしんさんおっしゃるように、刺激的で興味深いものですね。
ライダーの数だけ、バイクライフの豊かさのバリエーションがあり、それぞれに、違いがあっても、違いがあるからこそ、素晴らしい。
そう思います。
どうぞ、安全には特に気を配り、奥様と楽しく、充実したバイクライフをお送りください。
よろしければ、他の昔の記事もお読みください。
どの記事にも愛着を持っています。
そして、感想など、コメントくださると、とてもうれしいです。どんな古い記事でも。お待ちしております。もちろん、時間を持て余しての暇つぶしの折に、でも、です。