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聖地巡礼-バイクライディングin北海道-
義経神社 愛馬祈願と伝説の栗

義経神社本殿へ向かう参道の両脇には、多くの幟(のぼり)が林立しています。
幟を見てみると、「コスモバルク」など、競馬ファンでない私でも聞いたことのある名前が、並んでいます。幟には「愛馬息災」「危難防除」「先勝」の文字が。
そう、義経神社は馬の安全・健康・そして競技での勝利を祈願する、神社でもあるのです。
本殿右手、気持ちの良い前庭に、「初午祭」についての説明板がありました。

義経の活躍の影に愛馬の働きあり。その馬の安全祈願祭が、初午祭。
日高地方は日本でも有数の、というより、日本一の、馬産地。特にサラブレッド等の競馬馬に関して言えば、日高は聖地と呼んで差し支えないでしょう。
この神社にたどり着く前にも、牧場で春に生まれた子馬が、大分大きくなって、でもまだ母馬の側で甘えたしぐさを見せている光景に、何回も出会いました。
大型バイクを急停止し、カメラを構え、またバイクを轟音とともに発進させるのは、神経質でやさしい馬にとっては、結構ストレス。だから今回は写真を撮ることを遠慮しました。

境内参道脇には、今年の7月に奉納されたばかりの竜の頭を掘り出した龍口が。
いい感じに苔むした藁屋根の東屋と、いい対比になっています。
義経神社は、地元の神社として、また、愛馬の健康安全勝利を祈願する神の社として、権威と隆盛を感じさせる神社でした。

私は栗の樹の元に還りました。
義経神社の御神木といわれ、義経に植えられた伝説を持つあなた。
あなたの立つ位置は、神社の配置の中では、御神木を祭る位置ではなく、あなたを御神木と誰かが言い始めたのは、おそらくこの神社の配置が決まり、完成した後だったのでしょう。
あなたを御神木とするなら、本殿位置や参道など、すべての配置が今と違っていなければならないからです。
義経伝説ができてから、この神社ができてから、あなたは栗の巨木として注目され、伝説を補強するために、御神木とされたのでしょう。
この森は巨樹の森。あなたは飛びぬけた神ではなく、この森の中で、巨樹に囲まれて育った、木々の一員。この森に現存している木々の中では、あなたはかなり長寿の部類だと、お察しします。しかしあなたが横でなく、上に上に伸びようとしたことは、あなたが小さなときからこの森は豊かで鬱蒼としていたことをさすのでしょう。
しかし、あなたにとっては、御神木にされようが、されまいが、関係のないこと。
あなたは他の木々と同じようにこの森に育まれ、そしてその緑陰でこの森を守り、育んでいる。
今の私にとって、あなたは御神木ではなく、敬愛すべき、長い(それでもあなたはまだお若い)時を生きてきた巨樹。森のいのちの一つ。
義経伝説があったから、私はあなたを訪ねてきた。
義経伝説のおかげで、私はあなたに会えた。
でも私は、私の中で義経伝説にSAYONARAを言いましょう。
今度会い来るときは、一本の栗の樹として、会いに来ます。
おそらくあなたよりはるかに短命の私がこんなこと言うのはおかしいのですが、
どうぞ、お元気で。
伝説の 衣脱ぎ捨てて 栗大樹 和人
幟を見てみると、「コスモバルク」など、競馬ファンでない私でも聞いたことのある名前が、並んでいます。幟には「愛馬息災」「危難防除」「先勝」の文字が。
そう、義経神社は馬の安全・健康・そして競技での勝利を祈願する、神社でもあるのです。
本殿右手、気持ちの良い前庭に、「初午祭」についての説明板がありました。

義経の活躍の影に愛馬の働きあり。その馬の安全祈願祭が、初午祭。
日高地方は日本でも有数の、というより、日本一の、馬産地。特にサラブレッド等の競馬馬に関して言えば、日高は聖地と呼んで差し支えないでしょう。
この神社にたどり着く前にも、牧場で春に生まれた子馬が、大分大きくなって、でもまだ母馬の側で甘えたしぐさを見せている光景に、何回も出会いました。
大型バイクを急停止し、カメラを構え、またバイクを轟音とともに発進させるのは、神経質でやさしい馬にとっては、結構ストレス。だから今回は写真を撮ることを遠慮しました。

境内参道脇には、今年の7月に奉納されたばかりの竜の頭を掘り出した龍口が。
いい感じに苔むした藁屋根の東屋と、いい対比になっています。
義経神社は、地元の神社として、また、愛馬の健康安全勝利を祈願する神の社として、権威と隆盛を感じさせる神社でした。

私は栗の樹の元に還りました。
義経神社の御神木といわれ、義経に植えられた伝説を持つあなた。
あなたの立つ位置は、神社の配置の中では、御神木を祭る位置ではなく、あなたを御神木と誰かが言い始めたのは、おそらくこの神社の配置が決まり、完成した後だったのでしょう。
あなたを御神木とするなら、本殿位置や参道など、すべての配置が今と違っていなければならないからです。
義経伝説ができてから、この神社ができてから、あなたは栗の巨木として注目され、伝説を補強するために、御神木とされたのでしょう。
この森は巨樹の森。あなたは飛びぬけた神ではなく、この森の中で、巨樹に囲まれて育った、木々の一員。この森に現存している木々の中では、あなたはかなり長寿の部類だと、お察しします。しかしあなたが横でなく、上に上に伸びようとしたことは、あなたが小さなときからこの森は豊かで鬱蒼としていたことをさすのでしょう。
しかし、あなたにとっては、御神木にされようが、されまいが、関係のないこと。
あなたは他の木々と同じようにこの森に育まれ、そしてその緑陰でこの森を守り、育んでいる。
今の私にとって、あなたは御神木ではなく、敬愛すべき、長い(それでもあなたはまだお若い)時を生きてきた巨樹。森のいのちの一つ。
義経伝説があったから、私はあなたを訪ねてきた。
義経伝説のおかげで、私はあなたに会えた。
でも私は、私の中で義経伝説にSAYONARAを言いましょう。
今度会い来るときは、一本の栗の樹として、会いに来ます。
おそらくあなたよりはるかに短命の私がこんなこと言うのはおかしいのですが、
どうぞ、お元気で。
伝説の 衣脱ぎ捨てて 栗大樹 和人
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

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認めるのはちょっと悲しいですけど、納得です。
確かに、文化の異なるアイヌ民族を相手に統治していくには義経伝説は有効な手段だったと思われます。
話は変わって当地は岩手県南の千厩(せんまや)です。
千のうまやで栄え、義経公の愛馬‘太夫黒’の産地と名うってますので、興味深く拝見しました。家族同様に馬を大切にした先人の温かさを感じます。
真実が何処にあるかは、私には断定できません。
ただ、今の私には、北海道の義経伝説を疑う言説の方が、説得力のあるものでした。
ご紹介した佐藤氏は、北海道の義経伝説には否定的でしたが、とにかく義経の研究者であると共に大ファンであることがHPからひしひしと伝わって来ました。
岩手県一関市は、東北自動車道を通ったことがあるのみです。岩手は是非一度ゆっくりと廻ってみたい土地です。
千厩は馬産地だったのですね。馬は鉄道網が発達するまで(歴史的にはつい最近ですね)、私たちの生活と密接に関わる、なくてはならない存在でした。
家族同様に馬を大切にし、馬と暮らして来た記憶が、私たちの中にも息づいていると素敵なのですが。