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問題の在処(4)

2008年09月17日 | 問題の在処
問題の在処(4)

 自分の子供が、出勤前と帰宅後で違い、ある事柄が出来るようになっていて驚くことがある。客観的な判断が難しいこともあるが、絶えず息子と接している妻は「そうかしら」などと言い同意するのも多くはないが、それが事実であるのは間違いない。

 中学を卒業して、制服も変わり急に大人びた女性として目の前に現れる女性がいる。通学も同じルートを使っていたので、1、2か月のブランクがありながらも、自然とまた話すようになった。変化をしてしまった日常だが、同じ基盤を確認して、凧のひもを強く握って飛ばないように交際がはじまった。

 週末には、中学の同級生ともまだ会っていた。それで、交際相手を紹介するような形になるが、その以前知っていた女性が、より洗練された姿で目の前に現れるのを見る喜びは、その年代特有のものだろうか。

 匿名性を帯びたいので、ずっとA君とB君とすることとする。彼らは、ぼくと同じ陸上部だった。彼らと学生時代の多くの時間を共有していた。今後、離れるのか、くっつくのかは誰も分からなかった。そして、それは前もって決めるようなことでもなかったし、成り行きまかせにするのが一番だった。

 彼らにも、それぞれに合ったガールフレンドが作られていく。好みの違いがあるので、自分は恋心などまったく抱かないようなタイプだったが、彼らの決定を否定することもなく、純粋にそれらのことを同じこころで喜んだ。それが、友情であるとも思っていた。

 ある日、夏になる前の一日、それでも天気が良く暑い一日だった。6人でそろって遊園地にいった。女性たちは一様に着飾り、気分的にもいつもより楽しそうだった。自分は、そういうことが表面にあまり出ないらしく、待ち合わせのときに、和代に攻められた。しかし、楽しくない訳はなかった。

 園内にチケットを買ってはいり、いくつかの乗り物をチョイスして乗ったりもした。気の強い和代は意外なことにスピード感のある乗り物がダメであるらしかった。彼女は口数が少なくなり、ぼくの手を握った。その暖かさを、今になってもまだ覚えていたりもする。

 お腹が減った十代の6人は、手頃な店にすわりゆっくりと食べた。女性と食事の早さが違うことも、習わなければならない一つのように感じていた。

 その後も、遊園地の中をはしゃいで回り、時間は急速に過ぎ、まわりも暗くなっていった。それぞれ、6人で来たことも忘れ、ぼくも和代とふたり並んで歩いた。その時は、まわりの一切のものが自分に味方をし、また一切のものが自分の視野からは消えていた。

 暖かい言葉を口に出す能力を和代は持っていて、自分を不思議と勇気づけるような気持ちになった。それで、彼女と居ると、自分も優しい人間になろうとか、一人前の人間になろうとか、そうした向上を考える一面を植え付けてくれた。それは、16歳の男の子には、とても必要なものだったのだろう。それを永続させるかは自分にかかっているのだが。

 また、駅前で彼らと合流し、数駅離れた賑やかな町に行こうという計画になり、電車にのって繰り出した。暑い車内は、日曜の終わりのさびしさを見せはじめ、明日からの日常のちいさな心配をポケットにしまい、出すかどうするか躊躇しているような雰囲気だった。

 駅について、その頃の年代の学生が行けそうな店を探し、みんなで夕御飯を食べ、時間をずらして帰った。A君のガールフレンドはなぜかつまらなそうな顔をして、そのことを責められて二人は喧嘩になりそうになっていた。

 それを尻目にぼくらは、店の階段を急ぐように降り、平和な空気が充満している場所にでた。ぼくは、彼女の手を握りながら、この手の持ち主を一生守ることになるのだろうと、ぼんやりとした予感を感じた。その時は、正しかったことも、時間の経過とともに忘れてしまうことはあるだろう。だが、その考えた気持ちは、こころのどこかに残っていて、忘れたり、消してしまうことのできない感情の痕跡を残した。

 彼女の家の前まで送ったが、あっという間に着いてしまった。もう少し、遠くにあっても良いぐらいに思っていた。別れの言葉を口の中でもぐもぐ言い、彼女のにこやかな顔も電柱の明りの下で確認でき、幸せの感情に満たされ、自分の家に向かった。いまだったら友人たちに携帯で連絡でもするのだろうが、しかし、この空白はいろいろと考える時間に充てることができ、有意義であったのは間違いないだろう。


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