爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

問題の在処(5)

2008年09月18日 | 問題の在処
問題の在処(5)

 息子が公園で転んだようで、ひざを擦りむいている。本人は、もうぼくが帰宅する頃には眠ってしまったらしく、布団をそっとめくり、痛々しげなひざを見た。すでにカサブタになりかけており、数日もすれば、そんな痕もなくなってしまうのだろう。

 子供のうちの小さな傷など、何事もなかったように失われた記憶となっていく。

 15、6歳の別れや傷はどうなのだろう。

 この前の6人での学生時代のグループのデートの帰り、A君とガールフレンドの喧嘩はこじれ、解消しないまま数日が経った。お互いにあやまることもなく、こういったことが過去に何度かあったので、二人の仲は戻ることはないと彼は言った。しかし、お互いの感情を知っている友人たちは、なんとか可能性があるのならば、よりを戻すように働きかけた。それでも、当人たちは乗り気でもないので、そのまま発展しなかった。

 多分、それでも両者は好きだったのだろう。それを認めてはいるのだろうが、へんな意地の張り合いでまとまるものもまとまらなくなる。だが、一回の別れで、すべてが終わってしまうわけでもないのだろう。

 当然といえば、当然なのだろうがA君はそれから落ち込み、なんどか話もきいた。しかし、簡単に打ち明けることもなかったが、お酒がはいったついでというような形で、話してくれることもあった。その時は、やはり彼女のことが好きなのだろうな、ということを再確認するだけで、これといった進展もなかった。やはり、当人がなんとかしないことには、物事がすすまないこともあるのだ。

 翌日、妻は念入りに息子のひざを消毒していた。ぼくは、そんなに気にすることもないよ、と言ったが、彼女は、自分の心配をなくすように、その作業をやめなかった。

 いつものようにマンションから駅に向かった。

 また、A君のことを考えている。

 A君のガールフレンドは、可愛い子だったので、直ぐに新しい代りをみつけた。それを咎めるほど、誰も幼稚ではなかった。しかし、ぼくの恋人の和代が同じことをするならば、気持の良いものではないだろう。そのことをぼくらは話したような気もする。それで、永遠の可能性に話は解決したのだと思う。

 A君のこころは、そう簡単に、そして素早く変化するようなことはなかったように思う。本人は、そのことを忘れているような振りをしているが、彼女についてのあれこれを触れないようにすればするほど、かえって鮮明にその存在が浮き彫りになったりもする。

 そのことを女々しいとも誰も思っていなかった。自分も同じような境遇になれば、受け止める態度はそうは違いはないだろう。

 同じ歩みをしてきたと感じていた学生時代の友人も、物事の対処の仕方を通してだと思うが、その様子はじょじょに変わってくる。

 A君とはべつにB君は、いさぎよくガールフレンドを取り換え、いまの彼女の容貌は、誰もがうらやむような人だった。高校で一緒になったクラスメートだが、会ってみれば気さくで優しい人でもあった。よく彼女はスクーターに乗って、B君の家の途中にあるぼくの家の前を通った。わざわざ止めて、ぼくに話しかけてもくれた。自分の恋人の友人たちとは仲良くしたいと常に考えているような子だった。それにつられて、こちらも同様の感情を抱く結果になる。あの子には、優しくしてあげたいというふうに。

 こんなことをぼんやりと頭の片隅で考え、一日が終わった。

 一日が終わると、風呂に入った子供は、ひざがお湯にしみて昨日は痛かった、と言った。だが、もうその痕も痛さもなくなってしまったようだ。

 A君は、その後、女性観というものに影響が出たのだろうか。出ない訳はないだろう。どこかで、不自然さと不器用さが生まれていくものだろう。それを克服したり、眠らすようにこころの奥に押し込め、大げさにいえば生きていくことになるのだろう。

 息子はいつものように夕飯を終え、しばらくするうちに気づくと眠ってしまっていた。彼を抱え、ベッドにつれていった。その後、妻は一日にあった出来事をとりとめもなく話した。A君の過去と現在の自分は、どちらがリアルなのかは分からなくなっていた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿