爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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作品(3)-4

2006年06月08日 | 作品3
システム・エラー

 
 みんな誰しも、外に音楽を持ち歩いて、耳の中にヘッドホンを入れているね。周りの雑音を聞きたくないのかな。そりゃあね。ぼくも音楽が好きなんだ。最初の影響は母親かな。家にジャズのレコードがあってさ、と言ってもヴォーカルもんだけどね。ビリー・ホリディーなんかだよ。それからなんだろうね。真理を告げる音声って、女性の唇を通じて、この世界に表れるというか、変換されるように考えているんだ。

 やっぱり、この問題に触れないと駄目だよね。そうだよ、ぼくのゲームのテーマ曲を歌ってくれた歌手に、ぼくが惚れていたことぐらい知っているだろう。初めての打ち合わせから、もうまいってしまっていたんだ。そうだよね。あの容姿と、それから、あのハスキーな声だよ。そりゃあ、気持ちを告げるのを我慢できなかったくらいさ。
 
彼女の家には、防音された部屋にピアノが置いてあって、数曲さわりだけど歌ってくれたんだ。優しくってさ、甘酸っぱくってさ、それにあの心の奥からの強さみたいなものも感じられて、ぼくはもう最初から決めていたんだ。でも、そのぼくのグループを説得させなくてはならないし、彼らは、音楽なんか分からないんだろうね。売れている人を使えばいいと考えているだけなんだ。才能を発掘し、丁寧に育て、それから実を結ばすなんか、手の込んだことをしたくないと思っているんだろうね。ぼくは違かった。そりゃ、自分の能力を伸ばすことにも全霊を注ぎたいけど、それ以上に誰かが出来なかったことが出来るようになって、自信をもって、プライドの芽生え、みたいなことを見ることも、とても好きなんだ。優秀な生徒を育てる学校の先生も、気持ちの良いものだろうな、と考えることもあるよ。

それから、ちょっと経って付き合うようにもなった。とても幸せだったな。まあ、人間だから嫌な部分もあるけど、ぼく自身にももっとあるよ、でも、その人の良い部分を発見する喜びも好きなんだ。だって、他人に指摘されないと気付かない、プラスの面って、誰にも隠されているよ。それを見つけてあげたいな。

彼女の、そのぼくのゲームがきっかけになって、段々と世の中に知られてくるようになり、ちょっとずつ疎遠というか、この業界より、存在が大きくなってしまったんだろうね。ぼくも少し嫉妬したんだろうけど、ぼくの手から離れていく実感があったよ。誰も夕日が沈むのを止められないのと同じだよ。明日は来ちゃうんだ。

いまは保護者みたいな気分もするんだ。理想だけど、すべての人に幸せになってほしいけど、とくに自分と一時的にすら深く関わった人とは、それ以上に不幸が訪れて欲しくないと思っているんだ。まあ、考えるだけで無理だけど、実際の手の届く範囲なんか限られているし、そうだよね。

いまでも耳にするよ。やっぱり、幸せだった頃を思い出すよ。徐々に上手くもなっているし、セールス的にもかなりなんだろう? まあ売れればいいという問題でもないのかもしれないけどね。あの才能は、いつか誰かが目に留めたかもしれないが、ぼくが、その原石というのかな、気付いて良かったよ。今でも連絡を取るのかだって? そんなことは、もうしない。未練とか嫌なんだ。自分がそのみじめな感情を、人の数倍もっていることぐらい、自分が一番知っているよ。こんな話を聞いたよ。戦死した子供の訃報を聞いた母親が、そうですか、といって台所に立ち、何事もなかったかのように、お米を研いだんだって。泣かせる話だよね。その心の中では号泣しているんだろうけど、誰にも心配をかけたくないいじらしさが出ている話じゃないか。このエピソードでぼくの気持ちもわかっただろう?

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