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繁栄の外で(52)

2014年06月22日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(52)

 32才から35才過ぎまで、ある場所で働いた。ある場所で行われることは、かかってきた電話を取り、きちんと求められていることを説明し、システムに記録し、別の部署に報告するものは報告し、揉み消せるものは揉み消し(多少のうそ)という内容だ。簡単にいえば、コール・センターです。小さな部屋に30人ぐらいが常駐し、もちろんのことその中で働いているひとたちとも親しくなる。

 ある人は、主婦であったり、ある人は何かの試験を受けるために勉強中だったり、ある人は、本業の傍らの空いた時間にそこで働いていた。ぼくは、個人的な理由で社会的な成功を避けなければいけなかった。誰よりも目立たず、誰よりも社会の底辺で見つからずに暮らすこと、というのがテーマであった。まあ、なかなか人生とは難しいものだ。

 仕事はときには怒鳴られ、ときにはお褒めの手紙やメールをもらった。電話というツールはコミュニケーションを取ることに、あまり向いているものではないのかもしれない、という感想をもつ。ある人はそれを介して徹底的に自己の正当性を主張し、ある人は、自分がなにをしたいのかを言葉に変換することに難儀を感じているようだ。だが、多くは何事もなく一日が過ぎていく。自分が望んでいるのは、ただそれだけだった。

 中で働いている人たちはラグビーのスクラムを組むかのようにまとまり仲良くなっていった。ぼくも、そこの一人であることの楽しさを充分に感じていたし、あのような経験ができた職場を今でさえ好ましく思っている。辞めた後も、(ある日、会社の経費の関係なのだろうが、その業務の委託が別の場所に変わり、ぼくらは空中分解した)誰かの記念日であったり、誰かが東京を離れるというときには、自分のことのように心配し、集まり合っていた。どのようなバックグラウンドの共通さが、あろうがなかろうが、同じ空間と時間を共有したことを無駄にしてもいないし、その種に定期的に水分を与えることを欲していたのかもしれない。

 あるひとは、自分でバンドを組み、インディーズで曲も出していた。そのころには生で見たこともないし、どのくらいの実力の持ち主であるかもしらなかった。ただ、彼と話していて、自分が好きな音楽と彼の好きな音楽がある面では重なっていることから、楽しい情報をもらうこともできた。

 2人ともジャンル分けできない部類の音楽が好きだった。ジャズでもないし、ソウルでもないしR&Bでもないしという溝の中にはいっている曲と演奏を聴くことの喜びを感じていた。そこにはスープの溶けた具材が分からなくなりながらも味としては、おいしい以外の表現が見つからないという部類の音楽のごった煮があった。そこには、オルガンがあり、下品スレスレのサックスの演奏があったりもした。彼の姿を最近になってテレビで見ると(有名ミュージシャンの後ろにいる)、あの楽しい会話を思い出す。そして、ぼくらの好きだった音楽を存分に表現できる場が与えられれば良いのになとも思うが、それは彼の問題であり、ぼくが入る隙間のない問題だ。

 また別のある人とは、いっしょにジャズを聴くようになった。その後には、発展して肩肘張らずにお酒を飲むような間柄になった。

 レイ・ブライアントを小さなステージで見て、マッコイ・タイナーを見た。ソニー・ロリンズは見逃し、多くの古いころから頑張っているミュージシャンは聴きたくてももういなかった。カウント・ベイシーがいなくなった楽団の同窓会のような音楽も楽しんだ。ぼくの個人のひとつの問題として、仕事のことを日常に持ち込みたくないので、同じ職場のひとと付き合いたくなかった。上司の悪口を言う暇も余裕も自分自身に与えたくなかった。だから、すべてが終わったあとに、さらに交遊を深めていくことも自然の成り行きかもしれない。

 面白かった数人がいつのまにか順々に辞め、長年いるとそこの環境をよくするようにと自分の枠を超えたことも考えるようになる。そのようなときに若い子でぼくをからかうようになるひとも出て来る。必要は発明の母だ。

 女性数人がまだ新しかった新宿のルミネでお笑いのライブを見るということなので、そこにむりやりに加わり、いっしょに同行したことを思い出す。たぶん、目の前にいるひとを笑わすということが世界で一番、価値があり貴重なものであると考えている自分もいる。頭の中を空白にし(実際はたくさんの話を映像化していると思われるが)笑い転げていると、なによりも幸せな気分になれる。あのような職場があって、自分もそこにいた、ということが奇跡のように感じる日もたまにあった。だが、「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」、なのでしょう。淋しいけどね。


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