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流求と覚醒の街角(25)試聴

2013年07月15日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(25)試聴

 奈美の両耳は大きなヘッド・ホンで覆われている。いまはCDショップにいて、彼女の好きな音楽家の新譜が発売されたばかりなのだ。彼女はすべてを揃えているので当然、購入するのは分かっているのだが、一曲まるまる直ぐにでも聞きたいというので、それを耳に密着させていた。彼女のこころも感情も、いまは音楽がもたらす陶酔に奪い去られている。曲の長さは、20数分あるらしい。ぼくは別のブースに行くことにした。

 そこにはレイ・チャールズがいる。感情を出し惜しみしないタイプの音楽が所狭しと置かれている。並べられている棚を探り、ぼくはジャケットだけで価値を評価する。その行為は無謀でもありながらも、間違う要素もそれほどはなかった。大体は予測がつき、また予想を上回る何かがあることも実際に耳にすれば得られることも予感できた。だから、ぼくも同じように試聴をはじめた。数枚のCDが機械にはいっており、順番に聴き始めた。やっぱり、こうだよなという安心がぼくの胸元にせまってくる。奈美の聞いている音楽にはひとの声が含まれていない。それも音楽ならば、ぼくが求めているものも紛れもなく音楽だった。よりヒューマンな音楽だった。

 ぼくはまた別のジャンルの場所に行く。その際に奈美のいるところも通りかかる。彼女の背中が見える。足も見えて、華奢な靴も見える。その女性のこころを奪うなにかが自分以外のものであることを実感する。それも、仕方がないのだ。平日の多くの時間は彼女のこころも思いも仕事が割合として多く占め、夕方も過ぎればぼくのことを思い出すのかもしれない。自分もまったく似たようなものだった。それは熱情が足りないという類いのものでもないのだろう。ぼくらは10代の半ばのすべてがみずみずしく新鮮なもので取り囲まれている状況ではなかったのだ。社会を構成する、それははずれの場所にぎりぎりにいるのかもしれないが、そこにも場がある人間だった。

 だが、ぼくは前の女性のことは寝ても覚めても先頭にもってきていた時期がある。いや、もってきたという表現も間違っていた。勝手にぼくの気持ちのいちばんを占めてしまっていたのだ。それが急になくなっても、しばらくはやはり傷みとともにいちばんを占めていた。

 ぼくはその女性と聞いていた思い出が濃密に含まれている音楽のジャケットを手にする。その行為だけでさまざまなものが浮かび上がる。ある日のことが映像や言葉や匂いというデータを含んで、そこにあらわれる。ぼくの胸はその事柄に影響を受ける。懐かしさと甘酢っぽさと感傷と優越感と喪失がミックスされたものをもってくる。家に帰ったらそれを深めるために、再認識するためにもう一度聴こうと思った。

「それ、どんな音楽」

 油断しているぼくの背中を奈美が軽く叩く。
「これね・・・」
「うん?」奈美は答えを待っている。ぼくの口にも舌にも答えは準備されていない。ぼくは、今後、何を聴けば奈美のことを思い出すのだろうかと、そのことばかり考えようとしていた。
「やっぱり、買うの?」

「うん、部屋で大きな音で聞きたいから」そう言うと、奈美はプラスチックのケースをレジに持っていった。ぼくは、はじめて買った、あるいは聴いた音楽のことを考えていた。無骨な黒い円盤。いま振り返れば、あのぐらいの大きさを伴ってはじめて所有という感覚が生まれるような気もする。すると直ぐに奈美は戻ってきた。

 ぼくらはお茶をするためにある店に入った。静かに音楽が流れている。トロンボーンののどかな音色が休日の午後には相応しかった。その音色は誰の声よりもぬくもりがあるように響いた。声というのもおそらくすべてのひとが違うのだろう。電話を通しても、すこし電子的な感じがするときもあるが、それが聞き覚えのある声ならば簡単に分かる。体調や機嫌の浮き沈みさえ理解する。しかし、自分の声をはじめてテープで聞いたときは、それが誰の声かが分からなかった。結局は、自分というものを外部からあらためて判断しようとすることがとにかく難しいのかもしれない。

「自分の声、聞いたことある?」ぼくは会話をそう差し向ける。
「うん? あるよ、当然」
「違うよ、テープとかで録音したものをあらためて」

 ぼくらは留守電できくのも家族や友人などの伝言であり、自分以外の声を耳にするのだ。意図しなければ。
「あるね、気持ち悪かった」
「もし、歌手とかで、急に自分の声を、こういう場所できいたら、やっぱり、同じなのかね」
「それは、もう違うでしょう。そういうことに、いつの間にかなれちゃうでしょう」

 ある種のデザインをするひとは、自分のつくったものを採点する必要がある。時間の経過とともに手直しをしたくなる欲求もあるだろう。だが、それは生身とか肉声とかとは違ったものだった。密着したものではなく、客観視しやすくもある。ぼくは、その午後にしゃべる奈美の声を気に入っていた。そのことを納得するために、かなりの時間を要してしまったようだった。それは、それで悪いことではまったくなかったのだが。

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