流求と覚醒の街角(22)スピード
ガソリンスタンドで停まって給油してもらい、サービスエリアで一定した姿勢から解放され少しの間だけ寛いだ。ひとが移動することには疲れがともなう。だからといって敬遠することも無視することもできない。多くのひとがそうしている証拠がその場所にはあった。
奈美は助手席で眠った。20数分間だけ眠った。ぼくは小さな音量で音楽を聴き、車が放つノイズも同時に聞いていた。ひとはしゃべらないと眠くなる。刺激も減れば、さらにその誘惑は加速する。そして、解消するために車を停めコーヒーを飲んだ。
また車に戻る。印象的に、さらには効果的に車が使われている映画のことを話題にした。ぼくは、口には出さなかったが、「タッカー」という不思議な映画のことを先ず思い出していた。発明家のようにその主人公は扱われていた。未知なる斬新なものを作ろうとする願いは、利益にかかわるということで体制側につぶされる運命になる。競争を蹴散らした時点で、利益は転がってこようとも、そこは敗者の烙印が押される。企業という形のないものに、敗者の責任など無関係なのかもしれない。しかし、個人は自分の能力を閉ざされたことは、ずっと記憶に残りつづけるのだろう。
ぼくらは、競争する社会に暮らしているのだ。ぼくは奈美をずっと愛すると思っているが、より彼女を愛するひとも出てくるのかもしれない。ぼくは、負けを認めるのだろうか。それとも、うまくかわすことができるのだろうか。
「フレンチ・コネクション」と奈美は言った。
「随分、古いね。見たこと、あったかな」ぼくは感想を漏らす。しかし、あのような運転はここではできないな、と思ったぐらいだから断片は覚えているのだろう。
「お父さんが、好きだったから、何度か、ビデオで見せられた」
奈美のお父さんの情報が増える。ぼくのことをどう思っているかはいまだに分からない。競争社会なのだ。父が理想とする娘の恋人、いつか夫になるひとの合格点をクリアできるのか、それとも不足があるのか、不足がありながらもそれは我慢できる程度なのだろうか。そもそも、最初から論外だということもあるだろうが、会ってくれたぐらいだから、それも悲観しすぎているかもしれなかった。彼女の父はなにを競争するのだろう。自分の気持ちと現実だろうか。ならば、競争ではなく、比較とも折衷とも呼べた。
いくつか映画の話題をした後に、奈美はまたうとうとした。ぼくは無口になる。今度は眠りの誘惑は近づいてこなかった。その代わりに前の女性の寝ている姿を思い出していた。
彼女と飛行機に乗っている。彼女はいまは通路側にいた。暗くなった機内。ぼくは映画を見ている。もしかして、そこでフレンチ・コネクションを途切れ途切れに見たのかもしれなかった。彼女の頭はぼくの肩に乗せてある。寄りかかるその重みをぼくは一生、大事にしようとそこで決意したはずだった。だが、やはり、ここも競争社会の一部なのだろう。彼女の気持ちを引き止めることはできない。だから、ぼくはいまこうして、カー・チェースの映画を気に入っている女性と移動しているのだ。確実に、安全運転で。
「スピードか、あれはバスだけど」
「そうだね、あったね」ぼくは誰かと見たはずだ。その誰というあやふやな存在にしているが、答えはとうに出ている気もする。「でも、みな暴走しているものばっかりじゃない」
「この渋滞にいらいらしているのかもしれないね」
「でも、いつか着くよ」
「着かないと困るから。明日から仕事」
ぼくはネクタイを結び、愛想笑いをする。何か偉大な発明をすることは求められてもいない。目の前に積まれているものを片付け、利益につなげるのだ。それで、ガソリンを入れられるぐらいの給料を手にする。あのタッカーという映画の主人公はその後、どうしたのだろう。いろいろなひとのその後をぼくは知らないことを理解する。知る権利があるのは家族やいっしょに働いているひとたちぐらいだろう。異動でもすれば、その状態も危なっかしくなる。奈美のその後。彼女は妻になり、母になる。その相手として自分はトップに立っている。しかし、これは競争でも何でもないのだと思おうとした。これには相性が大きく関わってくるのだ。ぼくらはいっしょに寝起きし、ご飯を食べて休日をともにした。まったく悪くない関係が構築されている。だが、不意にぼくは以前の女性を思い出すことがある。理由としてはよくは分からない。自分でも、奈美と付き合う前の空白の時間にきれいに置き去ってきたと思っていた。だが、奈美の一挙手一投足にも彼女のおぼろげな幻影が隠れていることを知る。
「死刑台のエレベーターがあるか。車が盗まれて、カメラも盗まれて、犯罪の証拠が簡単にひとの手に渡る」そう言うぼくは前の女性と撮った写真のことも思い出していた。ぼくか彼女しかもっていないものが確かにある。彼女はまだもっていてくれているのだろうか。もし、処分してしまえば、ぼくだけしか有していないことになる。でも、そのぼくも在り処をはっきりと思い出せないぐらいだった。
ガソリンスタンドで停まって給油してもらい、サービスエリアで一定した姿勢から解放され少しの間だけ寛いだ。ひとが移動することには疲れがともなう。だからといって敬遠することも無視することもできない。多くのひとがそうしている証拠がその場所にはあった。
奈美は助手席で眠った。20数分間だけ眠った。ぼくは小さな音量で音楽を聴き、車が放つノイズも同時に聞いていた。ひとはしゃべらないと眠くなる。刺激も減れば、さらにその誘惑は加速する。そして、解消するために車を停めコーヒーを飲んだ。
また車に戻る。印象的に、さらには効果的に車が使われている映画のことを話題にした。ぼくは、口には出さなかったが、「タッカー」という不思議な映画のことを先ず思い出していた。発明家のようにその主人公は扱われていた。未知なる斬新なものを作ろうとする願いは、利益にかかわるということで体制側につぶされる運命になる。競争を蹴散らした時点で、利益は転がってこようとも、そこは敗者の烙印が押される。企業という形のないものに、敗者の責任など無関係なのかもしれない。しかし、個人は自分の能力を閉ざされたことは、ずっと記憶に残りつづけるのだろう。
ぼくらは、競争する社会に暮らしているのだ。ぼくは奈美をずっと愛すると思っているが、より彼女を愛するひとも出てくるのかもしれない。ぼくは、負けを認めるのだろうか。それとも、うまくかわすことができるのだろうか。
「フレンチ・コネクション」と奈美は言った。
「随分、古いね。見たこと、あったかな」ぼくは感想を漏らす。しかし、あのような運転はここではできないな、と思ったぐらいだから断片は覚えているのだろう。
「お父さんが、好きだったから、何度か、ビデオで見せられた」
奈美のお父さんの情報が増える。ぼくのことをどう思っているかはいまだに分からない。競争社会なのだ。父が理想とする娘の恋人、いつか夫になるひとの合格点をクリアできるのか、それとも不足があるのか、不足がありながらもそれは我慢できる程度なのだろうか。そもそも、最初から論外だということもあるだろうが、会ってくれたぐらいだから、それも悲観しすぎているかもしれなかった。彼女の父はなにを競争するのだろう。自分の気持ちと現実だろうか。ならば、競争ではなく、比較とも折衷とも呼べた。
いくつか映画の話題をした後に、奈美はまたうとうとした。ぼくは無口になる。今度は眠りの誘惑は近づいてこなかった。その代わりに前の女性の寝ている姿を思い出していた。
彼女と飛行機に乗っている。彼女はいまは通路側にいた。暗くなった機内。ぼくは映画を見ている。もしかして、そこでフレンチ・コネクションを途切れ途切れに見たのかもしれなかった。彼女の頭はぼくの肩に乗せてある。寄りかかるその重みをぼくは一生、大事にしようとそこで決意したはずだった。だが、やはり、ここも競争社会の一部なのだろう。彼女の気持ちを引き止めることはできない。だから、ぼくはいまこうして、カー・チェースの映画を気に入っている女性と移動しているのだ。確実に、安全運転で。
「スピードか、あれはバスだけど」
「そうだね、あったね」ぼくは誰かと見たはずだ。その誰というあやふやな存在にしているが、答えはとうに出ている気もする。「でも、みな暴走しているものばっかりじゃない」
「この渋滞にいらいらしているのかもしれないね」
「でも、いつか着くよ」
「着かないと困るから。明日から仕事」
ぼくはネクタイを結び、愛想笑いをする。何か偉大な発明をすることは求められてもいない。目の前に積まれているものを片付け、利益につなげるのだ。それで、ガソリンを入れられるぐらいの給料を手にする。あのタッカーという映画の主人公はその後、どうしたのだろう。いろいろなひとのその後をぼくは知らないことを理解する。知る権利があるのは家族やいっしょに働いているひとたちぐらいだろう。異動でもすれば、その状態も危なっかしくなる。奈美のその後。彼女は妻になり、母になる。その相手として自分はトップに立っている。しかし、これは競争でも何でもないのだと思おうとした。これには相性が大きく関わってくるのだ。ぼくらはいっしょに寝起きし、ご飯を食べて休日をともにした。まったく悪くない関係が構築されている。だが、不意にぼくは以前の女性を思い出すことがある。理由としてはよくは分からない。自分でも、奈美と付き合う前の空白の時間にきれいに置き去ってきたと思っていた。だが、奈美の一挙手一投足にも彼女のおぼろげな幻影が隠れていることを知る。
「死刑台のエレベーターがあるか。車が盗まれて、カメラも盗まれて、犯罪の証拠が簡単にひとの手に渡る」そう言うぼくは前の女性と撮った写真のことも思い出していた。ぼくか彼女しかもっていないものが確かにある。彼女はまだもっていてくれているのだろうか。もし、処分してしまえば、ぼくだけしか有していないことになる。でも、そのぼくも在り処をはっきりと思い出せないぐらいだった。
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