傾かない天秤(10)
ここには休日もある。わたしたちにはリフレッシュなど本気では必要ないのかもしれない。疲れもそれほど起こらない。ただ、ものの見方や視野が狭くなる。そのためにセミナーもある。
人間も大勢で学生時代に合唱したりする。わたしはその場面をモニターに映す。コーラスやハーモニーは美しいものであった。完全ではないものたちが完全に挑む。人間が高貴に思えるのは、こういう場面のときだった。ときにはしくじり失望する。誰かは涙をながし、誰かは自棄を起こす。友はなぐさめ、敵対者は失笑する。大きなこころをもつライバルは、相手の健闘をたたえる。老人は戦場を去り、新参者はムーブメントを起こす。
何人かは、努力を怠りピークを過ぎてから後悔する。何人かは盛りの時期が遅れてやってくる。何人かは給料をもらうためだけに目立たないようにして自己を消す。このひとに感動を求めることなどできないだろう。
人間は休息をして力を取り戻す。ビールを飲んで、ポテトチップスに手を伸ばす。バーのカウンターでスコッチを前に酔い潰れる。イタリア人はワインと共に歌うように会話している。簡易なオペラ。
ステレオタイプ。いびつな体型の宇宙人。ラップができない黒人。雪のないモスクワ。冷夏のゴールド・コースト。ひとは仕事をしながら育つ。休日に釣竿を垂れ、無我の境地に至る。わたしは飽きはじめていた。人間の営みが見たかった。その一員になり迷いながら、煩悶しながら生きてみたかった。
数名がここでの記憶を奪われ、人間の身体を与えられて地上に落とされた。急にではない。母の胎内からすべてははじまる。デジャビュという既知で未知な体験。彼らは数十年の生活を経て、またここにもどってくる。サンプルは採取されたのだ。二軍の選手としてのどさ回りが生かされる。
彼らはナポレオンと進軍して、モーツアルトの天上の音楽を直に聴き、チャイコフスキーの曲で踊る可憐な少女を眺める。ジャッキー・ロビンソンをスカウトして、ベトナムの戦場で写真を撮る。ニューヨークの巨大なビルの瓦礫の下敷きになり命を落とす。当然ながら百科事典以上の知識が、ここのライブラリーにはストックされている。複数の目であり、整理された保管庫なのだから。
食材も無数にあり、現実の味を経験者は伝えてくれる。寿司という数秒で構成される微妙な形。指と手の平でバランスよく保たれる永続を求めないもの。左利きの大将。
肉や魚の種類。きのこたち。エスカルゴ。卵たち。卵でうまれる生物。
フランスのまだ無名のシェフがスープをかき混ぜている。そして、まだ無名の司祭が食べている。その世界の真裏では車を組み立てている。また別の場所では故障したその同じ車を修理しているひとがいる。詳細な図面や設計図もなく勘だけで直していた。勘といっても経験の集大成ともいえた。それから手を洗い、僧侶たちの横で熱いじゃがいもを食べている。
休日の半分が過ぎる。我々はなにも生み出さない。地球をつくり、環境を整備し、海水を充たした方は別にいた。ずっと昔に仕事を終えてしまった。我々は維持を見守るだけだ。高速道路の通行料を取る立場と同じだ。道路は誰かがつくり、今後の設計も誰かがする。
常備薬もない部屋。あらゆるデータを取り出せる無限の机。ほんとうは有限だ。うなぎの稚魚が生まれる場所のデータを知らない。ウラジオストックの服の仕立て屋の裏地のセンスを知らない。また、病気がぶりかえしてきた。センスやデザインという機微も有していないのかもしれない。
数々の公園。数回のオリンピック。バルセロナの建築。ひとも休日を過ごす。長い休みには旅行に行く。家は厳重に戸締りをして、冷蔵庫で腐るものはあらかじめ食べたり、あるいは処分する。余分か足りないかの二択の生活。銀行員と経理係は着服と戦い、力あるものは収賄のきっかけを投げかけ、力がないものは横領の算段をしている。
だが、人間は蓮の花なのだ。休日の限られた時間が段々と減りつつあるいま、なぜだかそう思っている。何も生み出さない。ノルマもない勤務。月に数度、報告書を提出するだけ。危険も冒険もない。リスクも勝利もない。安全というのは馴れきってしまっても退屈なものだ。
翌朝、またみゆきとさゆりの一日を追う。今日、彼女らになにが起こっただろう。ふたりにとって快適な日だったろうか。安堵とともに眠れるのだろうか。夕飯はなにを食べたのか。わたしはひとに興味をもちすぎる。
一日の締めくくりにフランスの幸福という題の映画を見る。森や野原に休日に出かける。食料をもって。家族という単位で。そのために予定を立て、車に乗る。つづいて、勢いでギター弾きの恋という映画も見る。わたしは本気の触れ合いを求めているのかもしれない。監視というのはつまらないものだ。窓から地球を見下ろす。日本列島が見える。大きな波が東北地方に向かっているようにも思える。なにか異変があったのだろうか。休日のわたしの部屋は防音が効いていて、なにごとにも関与ができない。
ここには休日もある。わたしたちにはリフレッシュなど本気では必要ないのかもしれない。疲れもそれほど起こらない。ただ、ものの見方や視野が狭くなる。そのためにセミナーもある。
人間も大勢で学生時代に合唱したりする。わたしはその場面をモニターに映す。コーラスやハーモニーは美しいものであった。完全ではないものたちが完全に挑む。人間が高貴に思えるのは、こういう場面のときだった。ときにはしくじり失望する。誰かは涙をながし、誰かは自棄を起こす。友はなぐさめ、敵対者は失笑する。大きなこころをもつライバルは、相手の健闘をたたえる。老人は戦場を去り、新参者はムーブメントを起こす。
何人かは、努力を怠りピークを過ぎてから後悔する。何人かは盛りの時期が遅れてやってくる。何人かは給料をもらうためだけに目立たないようにして自己を消す。このひとに感動を求めることなどできないだろう。
人間は休息をして力を取り戻す。ビールを飲んで、ポテトチップスに手を伸ばす。バーのカウンターでスコッチを前に酔い潰れる。イタリア人はワインと共に歌うように会話している。簡易なオペラ。
ステレオタイプ。いびつな体型の宇宙人。ラップができない黒人。雪のないモスクワ。冷夏のゴールド・コースト。ひとは仕事をしながら育つ。休日に釣竿を垂れ、無我の境地に至る。わたしは飽きはじめていた。人間の営みが見たかった。その一員になり迷いながら、煩悶しながら生きてみたかった。
数名がここでの記憶を奪われ、人間の身体を与えられて地上に落とされた。急にではない。母の胎内からすべてははじまる。デジャビュという既知で未知な体験。彼らは数十年の生活を経て、またここにもどってくる。サンプルは採取されたのだ。二軍の選手としてのどさ回りが生かされる。
彼らはナポレオンと進軍して、モーツアルトの天上の音楽を直に聴き、チャイコフスキーの曲で踊る可憐な少女を眺める。ジャッキー・ロビンソンをスカウトして、ベトナムの戦場で写真を撮る。ニューヨークの巨大なビルの瓦礫の下敷きになり命を落とす。当然ながら百科事典以上の知識が、ここのライブラリーにはストックされている。複数の目であり、整理された保管庫なのだから。
食材も無数にあり、現実の味を経験者は伝えてくれる。寿司という数秒で構成される微妙な形。指と手の平でバランスよく保たれる永続を求めないもの。左利きの大将。
肉や魚の種類。きのこたち。エスカルゴ。卵たち。卵でうまれる生物。
フランスのまだ無名のシェフがスープをかき混ぜている。そして、まだ無名の司祭が食べている。その世界の真裏では車を組み立てている。また別の場所では故障したその同じ車を修理しているひとがいる。詳細な図面や設計図もなく勘だけで直していた。勘といっても経験の集大成ともいえた。それから手を洗い、僧侶たちの横で熱いじゃがいもを食べている。
休日の半分が過ぎる。我々はなにも生み出さない。地球をつくり、環境を整備し、海水を充たした方は別にいた。ずっと昔に仕事を終えてしまった。我々は維持を見守るだけだ。高速道路の通行料を取る立場と同じだ。道路は誰かがつくり、今後の設計も誰かがする。
常備薬もない部屋。あらゆるデータを取り出せる無限の机。ほんとうは有限だ。うなぎの稚魚が生まれる場所のデータを知らない。ウラジオストックの服の仕立て屋の裏地のセンスを知らない。また、病気がぶりかえしてきた。センスやデザインという機微も有していないのかもしれない。
数々の公園。数回のオリンピック。バルセロナの建築。ひとも休日を過ごす。長い休みには旅行に行く。家は厳重に戸締りをして、冷蔵庫で腐るものはあらかじめ食べたり、あるいは処分する。余分か足りないかの二択の生活。銀行員と経理係は着服と戦い、力あるものは収賄のきっかけを投げかけ、力がないものは横領の算段をしている。
だが、人間は蓮の花なのだ。休日の限られた時間が段々と減りつつあるいま、なぜだかそう思っている。何も生み出さない。ノルマもない勤務。月に数度、報告書を提出するだけ。危険も冒険もない。リスクも勝利もない。安全というのは馴れきってしまっても退屈なものだ。
翌朝、またみゆきとさゆりの一日を追う。今日、彼女らになにが起こっただろう。ふたりにとって快適な日だったろうか。安堵とともに眠れるのだろうか。夕飯はなにを食べたのか。わたしはひとに興味をもちすぎる。
一日の締めくくりにフランスの幸福という題の映画を見る。森や野原に休日に出かける。食料をもって。家族という単位で。そのために予定を立て、車に乗る。つづいて、勢いでギター弾きの恋という映画も見る。わたしは本気の触れ合いを求めているのかもしれない。監視というのはつまらないものだ。窓から地球を見下ろす。日本列島が見える。大きな波が東北地方に向かっているようにも思える。なにか異変があったのだろうか。休日のわたしの部屋は防音が効いていて、なにごとにも関与ができない。