最後の火花 48
あれから山形さんは四角い囲いに覆われた。彼は以前もそこにいたそうである。帰巣本能が充分に発達していたのだろう。彼がまだそこにいるのか、とっくに出てきているのかは知らない。ぼくらはあの日に縁を切り、そのまま元通りの他人の状態にもどった。
ぼくは彼の意のままだったのかどうか知らないが、彼の母校である施設に入れられた。彼が話してくれた物語をぼくも教わる。何度も何度も繰り返される話。救出は近付いて、近付いたと思ったらまた去った。ぼくは小学校と中学校、さらに高校をそこから通い、ひとりで暮らすようになったのは寮のある会社に入ってからだ。
ぼくは普通であろうとした。本当のなったかもしれない自分に憧れ、無意味な嫉妬をするようなこともあった。段々とぼくの身に付着した塗装やメッキは自然と剝がれ、あるがままの自分も受け入れるようになる。
山形さんから度々、手紙も来たようだった。彼はぼくがいる住所を知っていた。そもそも彼がいたところなのだ。ぼくは一度も読むこともなく、封も切らずに焼却炉に放り込んだ。誰もとがめることはなかった。その場を離れてからは、自分の行為にも送り主への罪悪感なども無になり、もう悩むことはなかった。
ぼくは寮の一室で小さな画面のテレビを見る。仕事で疲れた身体には野球のナイト・ゲームがふさわしい。彼らはある面では夢を叶えた人々だった。大人になるまでに練習の送り迎えがあり、たくさんの用具を買ってくれる両親がいることが想像される。人前に出しても恥ずかしくならないようにするには、ささやかな資本投下が必須なのだろう。ぼくは眠い目をこすり、仕事で有用になる資格の参考書を手に取った。
結局、ぼくは誰かを本気で好きになることはなかったような気もした。恋する相手と恋する映画を見る。その暗い室内でぼくはひとり醒めていた。彼女が好きなのはぼくの本質ではなく、ぼくの皮膚で成り立っている外見の一部に過ぎないのだと判断している。あるいは髪、あるいは声、あるいはぼくの手の平の温度。
すると、ぼくも似たようなものでしかない。彼女の若さ。カールされた髪。シャンプーの匂い。寝ぼけたときの黒目勝ちの目。甘えたときの声と触れ合う肩。
本気にならなければと願っている。彼女がぼくに関心をもつ以上に、ぼくの思いが上回らなければいけない。ぼくは勝手にこう規定している。その調和のバランスが崩れたときに母は横たわった姿で登場、再登場してしまう。
だが、彼女はぼくの母に似ていなかった。ぼくの愛も燃え上がらなかった。愛は育つのだという信念がどこから入り込んだのか不明だが、そうなるようなことはなかった。訪れる予感もなかった。
しかしながら、ぼくは光子を見つける。好かれようと思いたくなかったが、こころのどこかで魅了されている対象と一致という感覚になりたかった。もちろん、きらわれたくもなかった。しばらくの間は、自分の存在が彼女のどこにもないだろうことは予測できた。ある日、彼女の目の片隅にぼくがいることが窺い知れる。小さな会釈をするようになって、きちんとした挨拶になる。さらに時間が経って、彼女の瞳にぼくへの関心が読み取れるようになった。ぼくはうれしい反面、恐怖を感じる。ぼくは、山形さんに育てられたのだ。彼の思考がぼくの全身の小さな細胞、細い毛細血管までに達していることを知る。愛は、殺意にまで通じる。愛は建設的なことではなく、破壊と同義語なのだ。
だが、互いの欲求は密に接することを望んでいた。一致したいと願いながら相違点を探している。彼女は深い愛情におぼれながら育った。両親は最善のものを与える。奪われるということに両親は防波堤のようになって抵抗して歯止めの役割を担った。ぼくは、その頃、浅瀬もなく津波に一掃された土に缶が転がっているようなこころだった。
うまくいく。彼女はぼくに会っても最愛のひとを探すという生涯のプランを辞めることはなかった。高く売れるときは高く売り抜くべきなのだ。ぼくという銘柄は、やましい部分があった。上場も許されていない。いつか紙切れとなってしまうかもしれない。そのウソ、あるいは真実を弁護する気も、弁解する能力もぼくは有していなかった。
彼女に去られるのは困りながら、できるだけ早く去ってほしいとも願っていた。多少の長い短いの差こそあれ、結論は同じなのだ。
ぼくというひとりの物語。預言があったら楽だろうと思う。子どもにとって、将来を真っ当にも狂わせることのどちらもできるはずもない。ぼくは母の横でいっしょに死んでいればよかったとも思う。ぼくの身体も血で濡れている。指も手も赤くなっている。山形さんは遠くまで逃げ去ればいい。そして、ひとりで暮らせる家を、小さな小屋のようなものを建てる。
ここまで書いてもぼくは特別ではない。同じ場所で生活していた少年や少女たちは、もっと深い闇に放り込まれていた。しかし、比較というのは常に間違うのだ。彼らは、ぼくのことを憐れんでいたかもしれない。母は信頼をして、その信頼を裏切られたことを認識していたのだろうか。死人と話すことはできないことを知ってはいながら、ぼくは十数年、そんなことばかりをしてきたのだ。
あれから山形さんは四角い囲いに覆われた。彼は以前もそこにいたそうである。帰巣本能が充分に発達していたのだろう。彼がまだそこにいるのか、とっくに出てきているのかは知らない。ぼくらはあの日に縁を切り、そのまま元通りの他人の状態にもどった。
ぼくは彼の意のままだったのかどうか知らないが、彼の母校である施設に入れられた。彼が話してくれた物語をぼくも教わる。何度も何度も繰り返される話。救出は近付いて、近付いたと思ったらまた去った。ぼくは小学校と中学校、さらに高校をそこから通い、ひとりで暮らすようになったのは寮のある会社に入ってからだ。
ぼくは普通であろうとした。本当のなったかもしれない自分に憧れ、無意味な嫉妬をするようなこともあった。段々とぼくの身に付着した塗装やメッキは自然と剝がれ、あるがままの自分も受け入れるようになる。
山形さんから度々、手紙も来たようだった。彼はぼくがいる住所を知っていた。そもそも彼がいたところなのだ。ぼくは一度も読むこともなく、封も切らずに焼却炉に放り込んだ。誰もとがめることはなかった。その場を離れてからは、自分の行為にも送り主への罪悪感なども無になり、もう悩むことはなかった。
ぼくは寮の一室で小さな画面のテレビを見る。仕事で疲れた身体には野球のナイト・ゲームがふさわしい。彼らはある面では夢を叶えた人々だった。大人になるまでに練習の送り迎えがあり、たくさんの用具を買ってくれる両親がいることが想像される。人前に出しても恥ずかしくならないようにするには、ささやかな資本投下が必須なのだろう。ぼくは眠い目をこすり、仕事で有用になる資格の参考書を手に取った。
結局、ぼくは誰かを本気で好きになることはなかったような気もした。恋する相手と恋する映画を見る。その暗い室内でぼくはひとり醒めていた。彼女が好きなのはぼくの本質ではなく、ぼくの皮膚で成り立っている外見の一部に過ぎないのだと判断している。あるいは髪、あるいは声、あるいはぼくの手の平の温度。
すると、ぼくも似たようなものでしかない。彼女の若さ。カールされた髪。シャンプーの匂い。寝ぼけたときの黒目勝ちの目。甘えたときの声と触れ合う肩。
本気にならなければと願っている。彼女がぼくに関心をもつ以上に、ぼくの思いが上回らなければいけない。ぼくは勝手にこう規定している。その調和のバランスが崩れたときに母は横たわった姿で登場、再登場してしまう。
だが、彼女はぼくの母に似ていなかった。ぼくの愛も燃え上がらなかった。愛は育つのだという信念がどこから入り込んだのか不明だが、そうなるようなことはなかった。訪れる予感もなかった。
しかしながら、ぼくは光子を見つける。好かれようと思いたくなかったが、こころのどこかで魅了されている対象と一致という感覚になりたかった。もちろん、きらわれたくもなかった。しばらくの間は、自分の存在が彼女のどこにもないだろうことは予測できた。ある日、彼女の目の片隅にぼくがいることが窺い知れる。小さな会釈をするようになって、きちんとした挨拶になる。さらに時間が経って、彼女の瞳にぼくへの関心が読み取れるようになった。ぼくはうれしい反面、恐怖を感じる。ぼくは、山形さんに育てられたのだ。彼の思考がぼくの全身の小さな細胞、細い毛細血管までに達していることを知る。愛は、殺意にまで通じる。愛は建設的なことではなく、破壊と同義語なのだ。
だが、互いの欲求は密に接することを望んでいた。一致したいと願いながら相違点を探している。彼女は深い愛情におぼれながら育った。両親は最善のものを与える。奪われるということに両親は防波堤のようになって抵抗して歯止めの役割を担った。ぼくは、その頃、浅瀬もなく津波に一掃された土に缶が転がっているようなこころだった。
うまくいく。彼女はぼくに会っても最愛のひとを探すという生涯のプランを辞めることはなかった。高く売れるときは高く売り抜くべきなのだ。ぼくという銘柄は、やましい部分があった。上場も許されていない。いつか紙切れとなってしまうかもしれない。そのウソ、あるいは真実を弁護する気も、弁解する能力もぼくは有していなかった。
彼女に去られるのは困りながら、できるだけ早く去ってほしいとも願っていた。多少の長い短いの差こそあれ、結論は同じなのだ。
ぼくというひとりの物語。預言があったら楽だろうと思う。子どもにとって、将来を真っ当にも狂わせることのどちらもできるはずもない。ぼくは母の横でいっしょに死んでいればよかったとも思う。ぼくの身体も血で濡れている。指も手も赤くなっている。山形さんは遠くまで逃げ去ればいい。そして、ひとりで暮らせる家を、小さな小屋のようなものを建てる。
ここまで書いてもぼくは特別ではない。同じ場所で生活していた少年や少女たちは、もっと深い闇に放り込まれていた。しかし、比較というのは常に間違うのだ。彼らは、ぼくのことを憐れんでいたかもしれない。母は信頼をして、その信頼を裏切られたことを認識していたのだろうか。死人と話すことはできないことを知ってはいながら、ぼくは十数年、そんなことばかりをしてきたのだ。