16歳-27
ネクタイを結び、二日酔いに我慢しながら満員電車に押し込まれている。この姿を当然のこと、あのときの少女は知らない。ぼくはブレーキの予測もできず、ふらふらとした身体を自力では制御できずに、前に座るひとの拡げた新聞紙の角に顔を突っ込んでしまう。ぼくはなぜ朦朧としたなかで、過去の映像を思い出したのかには理由があった。新聞をもつ男性の横に、当時の彼女に似た子がすわっていたのだ。彼女はくすくすと笑い、我慢しきれないように肩を揺すっていた。
笑ってはいけないけれど、つい笑みがこぼれてしまう。あの年代の特有のはじけ方があった。そして、次の駅で降りる高校生は混んでいながらも空いた席をぼくにすすめようとした。ぼくは怪訝な様子の新聞紙の紳士を横目に座席に身をあずけて目をつぶった。
ぼくがあの当時の少女にたくさんのことができた訳ではない。それがはじめての恋の収穫の少ない実りであった。いま、まぶたの裏にいるのは月日に影響されないあの日々の彼女の姿態であり、ぼくができた最大のプレゼントはあのままの姿で年を取らせないということだけにすぎないようだった。
たまに見る両親がでてくる夢も、まだ実家にいるときの映像だった。久しぶりに会えば、彼らは老けというものを見せはじめている。だが、ぼくが認識するのは一瞬だけで、恒常的に見ていたときの方が印象は深かった。夢という不確かなものも記憶に依存して再生させた。そのことにふたつは似ていた。ちょくちょく見るということが何にとっても恵まれた状況なのだ。
そのプレゼントもぼくがあげたという観点では正解ではなく、ぼくから奪われたことによってもたらされた後遺症のようなものだった。電車は揺れ、ぼくの胸に起こる不快さもそれに連動されるように、叩き起こされたり沈んだりした。いまのぼくには絵美がいる。絵美も今日の姿でぼくのなかに潜みつづけるのだろうか。
ぼくは十六才で明日に何が待ち受けているのか正直なところ分かっていない。戦禍にいる訳でもなく、毎日の暮らしもままならないようなテロや地雷の有無におびえて暮らしている訳でもない。ほとんど穏やかで、自分の胸のなかにだけ若さにともなう焦りといら立ちがあった。だが、唇を見返りもなしに、つまらない尻込みもなしに捧げてくれる女性がいた。視線の集約が未来につながるとも考えていない。過去の領分もまだまだ少なく、未来というのが過去の記憶を無造作にためこんでいくことにも気付いていなかった。
読んだ本の内容は忘れ、ただぼんやりとした楽しかったとか、つまらなかったという印象だけが目次のようにできていく。あるいは棚のなかに並べられてインデックスのような役目を負っていく。本をそもそもなくしてしまえば自分の判断が正しかったかどうかなど確かめようもなくなる。また確かめることも実際は必要ないのかもしれない。
ぼくは電車に揺られている。親切な少女のその後の歩みを考えていた。ぼくの過去の十六才の少女はエジプトの棺のなかに入れられてしまったように封印され、変化を想像できなくなってしまっていたので。代用でごまかすしかない。
学校を卒業してどこかの会社に勤めるようになる。給料でいったい何を買うのだろう。爪はきれいな色で塗られる。何度目かの恋に襲われ、今度は冷静に自分の気持ちに対応できるようになっている。男性というもののありのままの大きさや小ささを理解できるようになる。恋というものが気持ちだけではなく、別の物体としての楽しみがあることを存分に知る。家庭ができ、冷蔵庫の中身をつめこみ、減らす毎日の繰り返しに没頭する。はじめて白髪を発見して、二日酔いの夫に不満を抱く。
やっと職場の最寄りの駅に着いた。どうやら、峠は越えたようだった。ぼくはトイレに入り、顔を洗って緩んだネクタイを首元できつく結んだ。
十六才に戻らなければいけない。早急にドアを開かなければいけない。大昔の宮殿のようにいずれ跡形もなくなり、地面に埋まった石だけで偲ばなければならなくなる。遺跡。跡地。だが、いまでも既にもうひとの住まない土地となり荒廃ははじまっているのだ。ぼくだけが砂漠のような場所に水を必死に蒔いているのだ。蜃気楼を現実にするために。記憶を歪めるために。
職場のビルにつづく歩道をゆっくりと踏みしめる。ぼくはなにももたない十六才の少年に戻る。ぼくはあのとき以上に何かをもっているのだろうか。ぼくは手をつなぐ。爪は無色のままの彼女。女性の着飾った美など、あの若さの値打ちに勝るのだろうか。ぼく自身も同じことだった。たくさんの人間の電話番号を保有していようが、あの少女につながる電話などもうない。ぼくは飢えというものをここで認定する。あの日々に戻れなくなってしまう危険があった。もしかしたら危険ではなくいたって正常なことでもあるのだろう。事件が起こったのか、近い場所で黄色いテープが張りめぐらされている。ただの植栽や手入れの時期なのかもしれない。ぼくの過去もこうしたもので囲われ足を踏み込めなくなる。いま、絵美がいた。ぼくに手を振った。ぼくは嘔吐を感じていたのがうそのようにさわやかになった。現実はこうして勝利者に近いところにいつづける。ならば、あの少女がいる過去は敗者なのだろうか? その女性を失ったぼくは負けというものがどういうものか等身大で、身に染みて知っていた。
ネクタイを結び、二日酔いに我慢しながら満員電車に押し込まれている。この姿を当然のこと、あのときの少女は知らない。ぼくはブレーキの予測もできず、ふらふらとした身体を自力では制御できずに、前に座るひとの拡げた新聞紙の角に顔を突っ込んでしまう。ぼくはなぜ朦朧としたなかで、過去の映像を思い出したのかには理由があった。新聞をもつ男性の横に、当時の彼女に似た子がすわっていたのだ。彼女はくすくすと笑い、我慢しきれないように肩を揺すっていた。
笑ってはいけないけれど、つい笑みがこぼれてしまう。あの年代の特有のはじけ方があった。そして、次の駅で降りる高校生は混んでいながらも空いた席をぼくにすすめようとした。ぼくは怪訝な様子の新聞紙の紳士を横目に座席に身をあずけて目をつぶった。
ぼくがあの当時の少女にたくさんのことができた訳ではない。それがはじめての恋の収穫の少ない実りであった。いま、まぶたの裏にいるのは月日に影響されないあの日々の彼女の姿態であり、ぼくができた最大のプレゼントはあのままの姿で年を取らせないということだけにすぎないようだった。
たまに見る両親がでてくる夢も、まだ実家にいるときの映像だった。久しぶりに会えば、彼らは老けというものを見せはじめている。だが、ぼくが認識するのは一瞬だけで、恒常的に見ていたときの方が印象は深かった。夢という不確かなものも記憶に依存して再生させた。そのことにふたつは似ていた。ちょくちょく見るということが何にとっても恵まれた状況なのだ。
そのプレゼントもぼくがあげたという観点では正解ではなく、ぼくから奪われたことによってもたらされた後遺症のようなものだった。電車は揺れ、ぼくの胸に起こる不快さもそれに連動されるように、叩き起こされたり沈んだりした。いまのぼくには絵美がいる。絵美も今日の姿でぼくのなかに潜みつづけるのだろうか。
ぼくは十六才で明日に何が待ち受けているのか正直なところ分かっていない。戦禍にいる訳でもなく、毎日の暮らしもままならないようなテロや地雷の有無におびえて暮らしている訳でもない。ほとんど穏やかで、自分の胸のなかにだけ若さにともなう焦りといら立ちがあった。だが、唇を見返りもなしに、つまらない尻込みもなしに捧げてくれる女性がいた。視線の集約が未来につながるとも考えていない。過去の領分もまだまだ少なく、未来というのが過去の記憶を無造作にためこんでいくことにも気付いていなかった。
読んだ本の内容は忘れ、ただぼんやりとした楽しかったとか、つまらなかったという印象だけが目次のようにできていく。あるいは棚のなかに並べられてインデックスのような役目を負っていく。本をそもそもなくしてしまえば自分の判断が正しかったかどうかなど確かめようもなくなる。また確かめることも実際は必要ないのかもしれない。
ぼくは電車に揺られている。親切な少女のその後の歩みを考えていた。ぼくの過去の十六才の少女はエジプトの棺のなかに入れられてしまったように封印され、変化を想像できなくなってしまっていたので。代用でごまかすしかない。
学校を卒業してどこかの会社に勤めるようになる。給料でいったい何を買うのだろう。爪はきれいな色で塗られる。何度目かの恋に襲われ、今度は冷静に自分の気持ちに対応できるようになっている。男性というもののありのままの大きさや小ささを理解できるようになる。恋というものが気持ちだけではなく、別の物体としての楽しみがあることを存分に知る。家庭ができ、冷蔵庫の中身をつめこみ、減らす毎日の繰り返しに没頭する。はじめて白髪を発見して、二日酔いの夫に不満を抱く。
やっと職場の最寄りの駅に着いた。どうやら、峠は越えたようだった。ぼくはトイレに入り、顔を洗って緩んだネクタイを首元できつく結んだ。
十六才に戻らなければいけない。早急にドアを開かなければいけない。大昔の宮殿のようにいずれ跡形もなくなり、地面に埋まった石だけで偲ばなければならなくなる。遺跡。跡地。だが、いまでも既にもうひとの住まない土地となり荒廃ははじまっているのだ。ぼくだけが砂漠のような場所に水を必死に蒔いているのだ。蜃気楼を現実にするために。記憶を歪めるために。
職場のビルにつづく歩道をゆっくりと踏みしめる。ぼくはなにももたない十六才の少年に戻る。ぼくはあのとき以上に何かをもっているのだろうか。ぼくは手をつなぐ。爪は無色のままの彼女。女性の着飾った美など、あの若さの値打ちに勝るのだろうか。ぼく自身も同じことだった。たくさんの人間の電話番号を保有していようが、あの少女につながる電話などもうない。ぼくは飢えというものをここで認定する。あの日々に戻れなくなってしまう危険があった。もしかしたら危険ではなくいたって正常なことでもあるのだろう。事件が起こったのか、近い場所で黄色いテープが張りめぐらされている。ただの植栽や手入れの時期なのかもしれない。ぼくの過去もこうしたもので囲われ足を踏み込めなくなる。いま、絵美がいた。ぼくに手を振った。ぼくは嘔吐を感じていたのがうそのようにさわやかになった。現実はこうして勝利者に近いところにいつづける。ならば、あの少女がいる過去は敗者なのだろうか? その女性を失ったぼくは負けというものがどういうものか等身大で、身に染みて知っていた。