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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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拒絶の歴史(94)

2010年08月05日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(94)

 雪代は東京に残っている。

 ぼくはいつものように勉強し、その合間にはバイトをした。斉藤さんと建築の話をして、松田とはサッカーと成長過程の子どもたちの両方の話をした。そして、数日に一度は雪代と電話で会話した。実りのある時間となったが、新たに彼女のいくつかのことを大発見するということはなくなっていた。しかし、それでも互いの関係を少しずつ深めていくという楽しみは確かにあった。そして、彼女の声をきけば、実際の姿がぼくの目の前に現れ出るようだった。

 それで、1月も過ぎ、2月も半ばになった。今年もぼくの母校のラグビー部は全国大会に出場し、そこにいることが当然のような地位を確保していた。それが雪の残っているぼくらの地方で放送されれば、ぼくは過去の頑張った歴史をもつひとりとして、声をかけられたり誉められたりした。それが過ぎれば一年間、彼らは忘れた。ぼくは何回か勝ち、その後負ける試合を見ては胸を痛めた。その気持ちは誰にも分からないほど、ぼくのこころを傷つけた。それが毎年1月に起こることだった。

 2月も半ばになって、大学もひと段落してぼくはバイト先にいる。
「今日は何の日か知っている? まゆみちゃん」とスポーツショップの店長の娘にぼくは声をかけた。
「知ってるよ。チョコを誰かにあげる日」
「それで?」彼女は、ちょっと困ったような顔をした。
「ごめん。ひろし君にはないの。だってわたし好きなひとができちゃったし、ひろし君には大切なもうひとりがいるんだよね」と言い残し、奥に進んでいってしまった。その小さな背中に、どのような愛情が詰まっているのかを考えた。
 その後から、頬を寒さで紅くした店長の奥さんが入ってきた。店長が、ぼくとまゆみちゃんが交わしたやりとりを彼女に説明し、ふたりは笑った。つられてぼくもこころ細げに笑った。

「ごめんね、いつもませたこと言っちゃって。これ、わたしたちから」と言い、小さな包み紙を差し出した。ぼくは両手で受け取り、
「なんですか?」と訊ねた。
「開けてみろよ」と店長が言ったので、ぼくは袋を破いた。

 中には、きれいなデザインのシャツが入っていた。それは着飾ってどこかに行くための服だった。ぼくが日常的に着ている服はどこで寝転がっても良いような服だったので、それを見て背伸びが必要な感じもした。

「雪代さんと釣り合うような男性になるのも大変だよね」と奥さんは言って、そのシャツを取り出し、ぼくの前に当てた。「似合いそうだね」とまた服をたたんで、袋にしまった。
「すいません、いろいろありがとうございます」とぼくは感謝のことばを述べた。
「こちらこそ。ひろし君のお陰でこの店も繁盛しているしね」奥さんはそう言葉を残し、奥に進んでいった。

 それからの午後、ぼくの母校のラグビー部の後輩が店に訪れた。彼らは高校三年で、もう卒業する時期だった。何人かはその能力を買われ、どこかの大学に行き、何人かは地元で就職し、また何人かは大学で違った道を歩んだり、もうひとつかふたつある目標にすすむ子もいた。彼らは、この店で用具を揃えたり、用がとくべつなくてもやってきた。それが終わるひとつの段階だった。

 ぼくの三年も前になる活躍を彼らは代々、語り継げてくれ後輩の山下の潜在能力を伸ばしたことすらぼくの力だと勘違いしていた。ぼくは、肯定も否定もしなかった。多くの真実より幻想が楽しいように、彼らにそれをもてあそばせる余裕を与えた。

「いろいろ、近藤さんありがとうございました」と言葉を残し彼らは去るのだが、ぼくにとってプレゼントの多い日だったと思う一日だった。そして、彼らの言葉の方が、より深いところまで影響を与え、簡単にいえば感動したのだった。
「飯でも食べていけよ」と店長は言い、シャッターを閉めたあともぼくはそこにとどまっていた。

 テーブルの上にはシチューが湯気を上げており、その他の料理も所狭しと並べられていた。店長はビールの瓶のふたを開け、3つのグラスに注いだ。
「まゆみちゃんは、誰にチョコをあげたの?」と、しつこいながらもぼくは訊いた。
「内緒だよ」

 彼女は答えてくれそうになかったが、奥さんは「言ってもいい?」と笑いながら訊いたが、彼女はかたくなに首を振って、小さな指でスプーンを握って器用に口に運んだ。
 食べ終わって、ぼくは玄関でスニーカーを履いている。そこにまゆみちゃんがやって来て、ぼくの背中を突いた。

「これ」と言って、小さな包みをくれた。普段、自分がおやつに食べるようなチョコをぼくに渡した。「べつに、ひろし君が嫌いなわけじゃないから」と少し難しい顔をして、ぼくの顔をみつめた。なんだか自分の行動が子どもっぽ過ぎたと反省しドアを開け、寒い夜空の中へ歩き出した。