拒絶の歴史(46)
肌寒い季節が近付き、雪代は薄いむらさき色のカーディガンを着ている。それがよく似合っていた。もっと寒くなると自然に彼女はぼくの腕に自分の腕をからませた。そのときの彼女の発する匂いがいつまでもぼくの鼻腔の奥に何かを思い出すきっかけとしていまだに留まっている。
ふたりとも休日が合うと、ぼくらは車に乗り、たまには弁当を彼女が作り遠出をした。彼女は、基本的に運転が好きで、いつもハンドルを握った。ぼくもたまには運転を変わったが、となりで地図を眺めているほうが気が楽だった。そして、缶ビールが手元にあれば、もっとくつろいだ気分になれた。
幸福な状態というのは、はっきりとした記憶を脳にも身体にも刻むわけではなく、この頃の自分はただ薄ぼんやりとして透明なヴェールの下に思い出が潜んでいる。時間というのは、ぼくの前にいつまでも在りつづけ、彼女の美しさも永久的につづくはずだった。また、そうしたことを確認する必要もないほど、ぼくらは自然と気持ちも一致していたのだと思う。
後輩たちは、ぼくがそうした休日を過ごしている間にラグビーの試合を行っており、彼らの成績はぼくらの時代よりずっと良くなっていた。しかし、自分のなかに眠っている挫折感のためだろうかぼくは意図的に試合を見なかった。それほどまでに打ち込んで得られなかった栄光というものの代償をぼくは払っていたのかもしれないし、ただ自分のどうでもいいプライドに引きずり回されていたのかもしれない。何度か後輩の山下や妹に誘われたりもしたが、ぼくが断れば断るほど、彼らは雪代がぼくをスポイルしていると勘違いをした。その勘違いを払拭するために、ぼくらは二人で秋のグラウンドの爽やかな風が吹く中で試合を見た。
彼らの活躍は素晴らしくぼくも感動しないわけにはいかなかった。試合後に彼らはぼくに近付き、ぼくと練習していたときの辛さと楽しさをそれぞれ述べ、また感謝をした。
「お前らの潜在的な能力があったから、いま強くなっただけだよ」と、ぼくは答えた。自分の手柄など一切ないのだ。ぼくは、ぼくなりに彼らと練習したときの楽しさを実感していたのだから。
「良い後輩がもてて良かったよね」と雪代はにこやかに言った。
「あの時のぼくの方が輝いていたかな?」なんの感慨もなくぼそっと自分の口からそんな言葉がもれた。
「そうかもしれないし、いまも別の形で素敵だよ。だけど、あのときのことをずっとわたし覚えてると思うな」と彼女は言った。ぼくは、誰かの記憶に眠っている本人とはかけ離れた自分の像を思い浮かべた。だが、それを認識することも取り出すことも出来なかった。
身体を動かす習慣を忘れたくなかったので、空いている時間があれば、バイト先で知り合ったサッカークラブのコーチの手伝いをその後も続けていた。何かに打ち込んで上達する過程の子どもたちを見ることは、やはり楽しいことだった。昨日までは出来なかったことが、ある日ふと今日には出来ることがあり、それは永遠に彼らの財産となっていくそんな過程だ。ぼくは、その子たちと一緒に写真に納まり、彼らの母が作ったおにぎりをおいしく食べ、スポーツドリンクを飲んだ。プロの運動選手になれることも僅かな道ながらある人もいるし、ただ楽しみだけに身体を動かす休日も、それほど選択としては悪いものでもなかった。ただ、栄光を受け取る度合いはたしかに少なかった。熱中した応援を感じ続けた自分としては淋しいこともあったが、あれは別の人間に起こったことだと思おうとした。
しかし、雪代という存在がありながらも、ぼくらはサッカー少年の母たちの数人と危ない関係をもった。それは楽しみというより、あの淋しさを忘れる行為のように定義して、自分を正当化させた。誰かに自分を覚えておいてもらいたかったからなのかもしれない。しかし、自分の思いのどこかはあまりにも苦い一部があり、雪代を裏切っているという事実も忘れた訳ではなかった。ぼくは、こうして生きている間に何人かの女性にうそと裏切りを続けていくのだろうと思うと、さすがにやりきれない気がした。
しかしだが、雪代が東京に行っている間に反省する夜を持つこともあれば、ひとりで居たくない日は誰かに電話をしない訳にもいかなかった。
肌寒い季節が近付き、雪代は薄いむらさき色のカーディガンを着ている。それがよく似合っていた。もっと寒くなると自然に彼女はぼくの腕に自分の腕をからませた。そのときの彼女の発する匂いがいつまでもぼくの鼻腔の奥に何かを思い出すきっかけとしていまだに留まっている。
ふたりとも休日が合うと、ぼくらは車に乗り、たまには弁当を彼女が作り遠出をした。彼女は、基本的に運転が好きで、いつもハンドルを握った。ぼくもたまには運転を変わったが、となりで地図を眺めているほうが気が楽だった。そして、缶ビールが手元にあれば、もっとくつろいだ気分になれた。
幸福な状態というのは、はっきりとした記憶を脳にも身体にも刻むわけではなく、この頃の自分はただ薄ぼんやりとして透明なヴェールの下に思い出が潜んでいる。時間というのは、ぼくの前にいつまでも在りつづけ、彼女の美しさも永久的につづくはずだった。また、そうしたことを確認する必要もないほど、ぼくらは自然と気持ちも一致していたのだと思う。
後輩たちは、ぼくがそうした休日を過ごしている間にラグビーの試合を行っており、彼らの成績はぼくらの時代よりずっと良くなっていた。しかし、自分のなかに眠っている挫折感のためだろうかぼくは意図的に試合を見なかった。それほどまでに打ち込んで得られなかった栄光というものの代償をぼくは払っていたのかもしれないし、ただ自分のどうでもいいプライドに引きずり回されていたのかもしれない。何度か後輩の山下や妹に誘われたりもしたが、ぼくが断れば断るほど、彼らは雪代がぼくをスポイルしていると勘違いをした。その勘違いを払拭するために、ぼくらは二人で秋のグラウンドの爽やかな風が吹く中で試合を見た。
彼らの活躍は素晴らしくぼくも感動しないわけにはいかなかった。試合後に彼らはぼくに近付き、ぼくと練習していたときの辛さと楽しさをそれぞれ述べ、また感謝をした。
「お前らの潜在的な能力があったから、いま強くなっただけだよ」と、ぼくは答えた。自分の手柄など一切ないのだ。ぼくは、ぼくなりに彼らと練習したときの楽しさを実感していたのだから。
「良い後輩がもてて良かったよね」と雪代はにこやかに言った。
「あの時のぼくの方が輝いていたかな?」なんの感慨もなくぼそっと自分の口からそんな言葉がもれた。
「そうかもしれないし、いまも別の形で素敵だよ。だけど、あのときのことをずっとわたし覚えてると思うな」と彼女は言った。ぼくは、誰かの記憶に眠っている本人とはかけ離れた自分の像を思い浮かべた。だが、それを認識することも取り出すことも出来なかった。
身体を動かす習慣を忘れたくなかったので、空いている時間があれば、バイト先で知り合ったサッカークラブのコーチの手伝いをその後も続けていた。何かに打ち込んで上達する過程の子どもたちを見ることは、やはり楽しいことだった。昨日までは出来なかったことが、ある日ふと今日には出来ることがあり、それは永遠に彼らの財産となっていくそんな過程だ。ぼくは、その子たちと一緒に写真に納まり、彼らの母が作ったおにぎりをおいしく食べ、スポーツドリンクを飲んだ。プロの運動選手になれることも僅かな道ながらある人もいるし、ただ楽しみだけに身体を動かす休日も、それほど選択としては悪いものでもなかった。ただ、栄光を受け取る度合いはたしかに少なかった。熱中した応援を感じ続けた自分としては淋しいこともあったが、あれは別の人間に起こったことだと思おうとした。
しかし、雪代という存在がありながらも、ぼくらはサッカー少年の母たちの数人と危ない関係をもった。それは楽しみというより、あの淋しさを忘れる行為のように定義して、自分を正当化させた。誰かに自分を覚えておいてもらいたかったからなのかもしれない。しかし、自分の思いのどこかはあまりにも苦い一部があり、雪代を裏切っているという事実も忘れた訳ではなかった。ぼくは、こうして生きている間に何人かの女性にうそと裏切りを続けていくのだろうと思うと、さすがにやりきれない気がした。
しかしだが、雪代が東京に行っている間に反省する夜を持つこともあれば、ひとりで居たくない日は誰かに電話をしない訳にもいかなかった。