拒絶の歴史(42)
何度か雪代さんの家に泊まり、いくたびか一緒に住もうと誘われ、ぼくが裕紀と別れた行為をあまり良くは思っていない家族と暮らすのにも疲れ、ぼくは逃げるように雪代さんの思いの中に入った。彼女は、もちろん大学にも通っていたが、その合間を縫って、東京に写真を撮られにいった。ぼくは、彼女が写った雑誌をみては、自分とは不釣合いな人種ではないのかと、戸惑いも覚えた。しかし、目の前にいる彼女は、逆に自分にぴったりの人間のようにも思えた。彼女がそうしている間は、ぼくはゆとりのある部屋をひとりで暮らすことになった。そこには、ぼくの荷物も増え、本などが棚に並べられていった。
ある日、ぼくは以前通っていたスポーツショップの前を通り、挨拶ぐらいはしておこうと店内に入った。
「なんか、バイトは探さないのか?」
と世間話の合間に店長は言った。直ぐにではないが、なんか良いものがあったらするつもりだと答えると、店長は、「うちで働けよ」と気軽にいった。面接もなし、「だって、近藤君のどこにオレが探さなければならない部分がある?」と言って、すぐにバイト代の交渉をはじめた。交渉といっても彼が一方的に言った値段を相場と照らし合わせただけだった。午後の何時間かだけでもいいし、お前なら、お客が安心して買ってくれるよ、とぼくの数年間の未来はかんたんに決まった。
ぼくは、こうして大学に通い、斉藤という女性と同じ講義を受け、夕方からはスポーツショップで数時間バイトをし、年下のスポーツ少年にものを売ったり、なにも買わなくても運動のアドバイスをしたりした。その間、店長はどこかで暇をつぶす時間をみつけ、趣味であるバイクを乗り回したりしていた。ぼくのアドバイスを聞くためだけに来る子も多くなり、そこは若者がたむろする場になった。彼らは、自分の暇な時間をどうつぶしてよいものやら悩んでいるようだった。
彼らは、ぼくが数年間成し遂げた、または成し遂げられなかったスポーツの能力を知り、大恋愛をしていた女性をかんたんに振り、その後は、きれいな女性と同棲している大学生というレッテルを貼っていた。自分は、それなりに真面目に生きてきた積りだったが、他人のつもりでそのイメージを眺めると、やはりそのような軽薄な人間のようにも思えた。思ってみてもなにも変わらないので、それを修正することもまた覆そうともしなかったし出来なかった。
夜は、雪代さんがいれば、彼女は手料理を作ってくれた。そうした能力がなくてもぼくは大好きであったのだが、テーブルの上に並べられた料理と、その向こうに彼女の存在があることが、なにより嬉しい瞬間でもあった。だが、彼女を手に入れたことで失ったこともあったんだろうな、と冷静なあたまで判断すれば、そう感じることもあるだろう。しかし、その時の自分は彼女に夢中であったのだ。その気持ちに突き動かされた自分は、それより進むべき道を知らなかった。
風呂上りに彼女はストレッチをしている。ぼくは、それを横で感じながらビデオを見たり、本を読んだりしている。ぼくはそこに馴染んでいたが、彼女は部屋の代金を受け取ろうとはしなかった。
「立派な人間になるために、それを自分のためだけに使いなさい」と言い続けた。その言葉はいまでも重みを持ち、立派な人間になろうと、ぼくはささやかな努力を続けていくのだろう。
しかし、バイト代が入れば、多少は彼女にプレゼントを贈った。そのようなサプライズを彼女はいつも真剣によろこんでくれた。ぼくは、意外とかんたんにお金を稼ぎすぎているような感じももっていた。ぼくは、自分の成し遂げたイメージを追い求める(そこには彼らの好きないくらかの悲劇も混じっている)後輩や年少の男の子や女の子やその両親たちにものを売った。ラグビー一辺倒だったが、たくさんのスポーツへの興味を開かれ、彼らは愛くるしい笑顔で、
「ぼくの今度の試合を見に来てください」と言った。
ぼくは時間があれば、そのような機会を逃さないようにした。彼らは、スタンドにいるぼくを見つけ、手を振った。そのような瞬間にぼくも手を振りかえし、ときには大声で名前を呼んだりした。雪代さんがたまにはいたが、ぼくは自分自身の時間として、また彼らに刺激を与えないためか、ひとりで見に来ることも多かった。彼らの勝利や、ときには敗北を間近でみたが、その都度店に報告をする子たちも多かった。店長や、たまには雪代さんからも同じことばを貰った。
「お前の(あなたの)なにがそんなに人を惹きつけてしまうのだろう?」
ぼく自身にも分からなかったが、彼らの無限(ある時は有限)の可能性をただ単純に信じているからなのだろう、とも思っていた。
何度か雪代さんの家に泊まり、いくたびか一緒に住もうと誘われ、ぼくが裕紀と別れた行為をあまり良くは思っていない家族と暮らすのにも疲れ、ぼくは逃げるように雪代さんの思いの中に入った。彼女は、もちろん大学にも通っていたが、その合間を縫って、東京に写真を撮られにいった。ぼくは、彼女が写った雑誌をみては、自分とは不釣合いな人種ではないのかと、戸惑いも覚えた。しかし、目の前にいる彼女は、逆に自分にぴったりの人間のようにも思えた。彼女がそうしている間は、ぼくはゆとりのある部屋をひとりで暮らすことになった。そこには、ぼくの荷物も増え、本などが棚に並べられていった。
ある日、ぼくは以前通っていたスポーツショップの前を通り、挨拶ぐらいはしておこうと店内に入った。
「なんか、バイトは探さないのか?」
と世間話の合間に店長は言った。直ぐにではないが、なんか良いものがあったらするつもりだと答えると、店長は、「うちで働けよ」と気軽にいった。面接もなし、「だって、近藤君のどこにオレが探さなければならない部分がある?」と言って、すぐにバイト代の交渉をはじめた。交渉といっても彼が一方的に言った値段を相場と照らし合わせただけだった。午後の何時間かだけでもいいし、お前なら、お客が安心して買ってくれるよ、とぼくの数年間の未来はかんたんに決まった。
ぼくは、こうして大学に通い、斉藤という女性と同じ講義を受け、夕方からはスポーツショップで数時間バイトをし、年下のスポーツ少年にものを売ったり、なにも買わなくても運動のアドバイスをしたりした。その間、店長はどこかで暇をつぶす時間をみつけ、趣味であるバイクを乗り回したりしていた。ぼくのアドバイスを聞くためだけに来る子も多くなり、そこは若者がたむろする場になった。彼らは、自分の暇な時間をどうつぶしてよいものやら悩んでいるようだった。
彼らは、ぼくが数年間成し遂げた、または成し遂げられなかったスポーツの能力を知り、大恋愛をしていた女性をかんたんに振り、その後は、きれいな女性と同棲している大学生というレッテルを貼っていた。自分は、それなりに真面目に生きてきた積りだったが、他人のつもりでそのイメージを眺めると、やはりそのような軽薄な人間のようにも思えた。思ってみてもなにも変わらないので、それを修正することもまた覆そうともしなかったし出来なかった。
夜は、雪代さんがいれば、彼女は手料理を作ってくれた。そうした能力がなくてもぼくは大好きであったのだが、テーブルの上に並べられた料理と、その向こうに彼女の存在があることが、なにより嬉しい瞬間でもあった。だが、彼女を手に入れたことで失ったこともあったんだろうな、と冷静なあたまで判断すれば、そう感じることもあるだろう。しかし、その時の自分は彼女に夢中であったのだ。その気持ちに突き動かされた自分は、それより進むべき道を知らなかった。
風呂上りに彼女はストレッチをしている。ぼくは、それを横で感じながらビデオを見たり、本を読んだりしている。ぼくはそこに馴染んでいたが、彼女は部屋の代金を受け取ろうとはしなかった。
「立派な人間になるために、それを自分のためだけに使いなさい」と言い続けた。その言葉はいまでも重みを持ち、立派な人間になろうと、ぼくはささやかな努力を続けていくのだろう。
しかし、バイト代が入れば、多少は彼女にプレゼントを贈った。そのようなサプライズを彼女はいつも真剣によろこんでくれた。ぼくは、意外とかんたんにお金を稼ぎすぎているような感じももっていた。ぼくは、自分の成し遂げたイメージを追い求める(そこには彼らの好きないくらかの悲劇も混じっている)後輩や年少の男の子や女の子やその両親たちにものを売った。ラグビー一辺倒だったが、たくさんのスポーツへの興味を開かれ、彼らは愛くるしい笑顔で、
「ぼくの今度の試合を見に来てください」と言った。
ぼくは時間があれば、そのような機会を逃さないようにした。彼らは、スタンドにいるぼくを見つけ、手を振った。そのような瞬間にぼくも手を振りかえし、ときには大声で名前を呼んだりした。雪代さんがたまにはいたが、ぼくは自分自身の時間として、また彼らに刺激を与えないためか、ひとりで見に来ることも多かった。彼らの勝利や、ときには敗北を間近でみたが、その都度店に報告をする子たちも多かった。店長や、たまには雪代さんからも同じことばを貰った。
「お前の(あなたの)なにがそんなに人を惹きつけてしまうのだろう?」
ぼく自身にも分からなかったが、彼らの無限(ある時は有限)の可能性をただ単純に信じているからなのだろう、とも思っていた。