拒絶の歴史(14)
4月になり、見慣れぬ顔や制服姿が学校内を歩くようになっている。新入生が学校に入り、自分が所属していたラグビー部にも新しい顔ぶれが増えていった。
ぼくらの学校は勉強に力を入れ、本格的にスポーツを励みたい人は、県内のほかの学校に行った。それぞれ得意としているスポーツがあり、中学生のときから秀でた部分が少しでもある生徒たちは、先生が推薦するようになっていた。それでも、今回入った面子を見ると、いかにも運動能力に優れた人たちが多くいるように感じた。
彼らは、それぞれ自己紹介をして、自分の一面をアピールした。自分を売り込まないことには始まらない世の中なのだ、そんなことを学んだのは、もっと後のことだったが。
山下という名前の新入生は、ラグビーや格闘技をするために生まれたような体型をしていた。少し話すようになると、彼の進路を狂わせてしまった状況が分かった。
「山下なんか、あの学校に行って、そこでも直ぐレギュラーになれそうな気がするけど?」と、強豪校の名前を出し、そう質問した。
「オレも、そうする気だったんですけど、去年の秋のあの試合を見て、近藤さんが倒されても負けない姿を見たら、突然この学校に入りたくなったんです」ぼくの名前を言い、ぼくらがぎりぎり負けた試合のことを語った。自分は、ほかの人間のこころに自分が居残り存在していることなんて、それまでは想像もしていなかった。それはとても嬉しい反面、また逆に彼らにも責任を感じた。本来なら、正当なルートで自分の未来を切り開くはずなのに、間違った険しい道を与えてしまったのだろう。彼が決めたことだが、それでも責任というものはリアルなものとして存在した。
一年生の練習を見守る役目はぼくになった。上級生のキャプテンがぼくを呼び出し、「お前に任せたからな」と軽く肩をたたき、ぼそっと言って離れ去った。
ここらで人間の性格を形成する上で、いくつかの過程があることを知る。もちろん、ひとりで生き抜くことなど出来ないので、他者との関係があって生きるというものが成立する。他者のことなど、まったく関与しないで生きることを自分に義務付けているひとがいるらしいことも、その後知った。しかし、自分はそのようなタイプではなかったらしい。自分を成長させることも好きだが、後輩たちが自分の限界を越え、いくつかのステップを乗り越え、あるべき理想に近づいていく姿勢を見ることも、なによりも好きであるらしかった。これは、自分の性格でありながらも嬉しいことだった。
それは、まだ幼いときに妹の勉強をみていた姿と結びつく。自分では理解していることを、まだ知らない子の頭脳に移植すること、それが難しいのだ。口で説明し、もちろんのこと反応しない脳があり、手本を見せ、失敗する場面をともに考え、少しずつ理解させていく。だが、自転車と同じで一度覚えたことは、彼らは直ぐ次の機会には理解し反応していった。
そして、それぞれの個性もあった。ぼくは、一方向で教えているわけでもなかったらしい。たくさんつながった乾電池のようにぼくらの電流はそれぞれを通して流れていった。彼らの走り方、彼らのバランスの取り方などをぼくも見習わなければならないことを知った。そこには馬鹿げたプライドなどを入り込ます余地などなかった。ただ、吸収したいという気持ちが強かった。
真面目に練習したあとは、リラックスする時間も必要だった。その点では三年生になりながらも、権威に程遠い上田先輩がいつものように、その話術で笑わせてくれた。たまには、女性関係のはなしをしてぼくらを笑わせ、同時に引き付けたが、それが智美の話なのかもしれないと考えると、ぼくはあまり笑うことが出来なくなった。そっと部室を去り、薄暗いグラウンドに転がっている用具などを片付けた。
このように4月は、ぼくを変えていく季節になっていた。
ぼくには、直ぐ倒れてしまいそうな自信と責任感であったが、そこにきちんとした方法で成長を促すなにかも、程よいタイミングで与えられていったのだろう。そこには数々の人間の印象が同時にインプットされている。
それは、もちろんぼくの持ち物であり、持ち歩かなければならない荷物であり、忘れてしまうことのできない思い出でもあった。
4月になり、見慣れぬ顔や制服姿が学校内を歩くようになっている。新入生が学校に入り、自分が所属していたラグビー部にも新しい顔ぶれが増えていった。
ぼくらの学校は勉強に力を入れ、本格的にスポーツを励みたい人は、県内のほかの学校に行った。それぞれ得意としているスポーツがあり、中学生のときから秀でた部分が少しでもある生徒たちは、先生が推薦するようになっていた。それでも、今回入った面子を見ると、いかにも運動能力に優れた人たちが多くいるように感じた。
彼らは、それぞれ自己紹介をして、自分の一面をアピールした。自分を売り込まないことには始まらない世の中なのだ、そんなことを学んだのは、もっと後のことだったが。
山下という名前の新入生は、ラグビーや格闘技をするために生まれたような体型をしていた。少し話すようになると、彼の進路を狂わせてしまった状況が分かった。
「山下なんか、あの学校に行って、そこでも直ぐレギュラーになれそうな気がするけど?」と、強豪校の名前を出し、そう質問した。
「オレも、そうする気だったんですけど、去年の秋のあの試合を見て、近藤さんが倒されても負けない姿を見たら、突然この学校に入りたくなったんです」ぼくの名前を言い、ぼくらがぎりぎり負けた試合のことを語った。自分は、ほかの人間のこころに自分が居残り存在していることなんて、それまでは想像もしていなかった。それはとても嬉しい反面、また逆に彼らにも責任を感じた。本来なら、正当なルートで自分の未来を切り開くはずなのに、間違った険しい道を与えてしまったのだろう。彼が決めたことだが、それでも責任というものはリアルなものとして存在した。
一年生の練習を見守る役目はぼくになった。上級生のキャプテンがぼくを呼び出し、「お前に任せたからな」と軽く肩をたたき、ぼそっと言って離れ去った。
ここらで人間の性格を形成する上で、いくつかの過程があることを知る。もちろん、ひとりで生き抜くことなど出来ないので、他者との関係があって生きるというものが成立する。他者のことなど、まったく関与しないで生きることを自分に義務付けているひとがいるらしいことも、その後知った。しかし、自分はそのようなタイプではなかったらしい。自分を成長させることも好きだが、後輩たちが自分の限界を越え、いくつかのステップを乗り越え、あるべき理想に近づいていく姿勢を見ることも、なによりも好きであるらしかった。これは、自分の性格でありながらも嬉しいことだった。
それは、まだ幼いときに妹の勉強をみていた姿と結びつく。自分では理解していることを、まだ知らない子の頭脳に移植すること、それが難しいのだ。口で説明し、もちろんのこと反応しない脳があり、手本を見せ、失敗する場面をともに考え、少しずつ理解させていく。だが、自転車と同じで一度覚えたことは、彼らは直ぐ次の機会には理解し反応していった。
そして、それぞれの個性もあった。ぼくは、一方向で教えているわけでもなかったらしい。たくさんつながった乾電池のようにぼくらの電流はそれぞれを通して流れていった。彼らの走り方、彼らのバランスの取り方などをぼくも見習わなければならないことを知った。そこには馬鹿げたプライドなどを入り込ます余地などなかった。ただ、吸収したいという気持ちが強かった。
真面目に練習したあとは、リラックスする時間も必要だった。その点では三年生になりながらも、権威に程遠い上田先輩がいつものように、その話術で笑わせてくれた。たまには、女性関係のはなしをしてぼくらを笑わせ、同時に引き付けたが、それが智美の話なのかもしれないと考えると、ぼくはあまり笑うことが出来なくなった。そっと部室を去り、薄暗いグラウンドに転がっている用具などを片付けた。
このように4月は、ぼくを変えていく季節になっていた。
ぼくには、直ぐ倒れてしまいそうな自信と責任感であったが、そこにきちんとした方法で成長を促すなにかも、程よいタイミングで与えられていったのだろう。そこには数々の人間の印象が同時にインプットされている。
それは、もちろんぼくの持ち物であり、持ち歩かなければならない荷物であり、忘れてしまうことのできない思い出でもあった。