爪の先まで神経細やか

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問題の在処(6)

2008年09月19日 | 問題の在処
問題の在処(6)

 息子がいつもの昼間、遊んでいる場所に行きたくないと言った。
 家に帰ってから、妻がそのことを話した。なにか心配になることがあったのか尋ねたが、別に大きなトラブルはないようだった。そのことを息子という脳の中にあるファイルにしまいこんだ。それを再び、引き出して考えることがあるかは、また別の問題だった。

 A君のことをたびたび考えている。彼は、夏休みが過ぎたころ、急に学校を辞めると言った。自分としては、学校にいるより、なにか職業を早く自分のものとして身につけ、ひとりで生きていけるようになりたいと語った。それは、ぼくの側から客観的にみれば、無鉄砲のような気がした。しかし、このような問題でも相談にのることはできるが、決定を覆すようなことはできないし、しないつもりだ。

 ぼくは、そんなに真剣にものごとを追及して考えるようなことはしなかった。大体の流れにのれば間違ったところには到達しないだろう、という認識でいた。それで、制服に身をつつみまた学校に通い始めた。そこを見渡せば、欠けた椅子があり、A君と同じように途中で学業を辞めたひとも何人かはいた。しかし、彼らは机の上の学問ではなく、実践で大まかなことを学んでいくことになるのだろう。その後、机の上の学問が好きになるのならば、再チャレンジができる仕組みになっているのか、それとも、もうベルトコンベアに乗ることはないのだろうか、その当時のぼくは知らない。

 ぼくは、部活をしないで知り合いのレコード店で店番のバイトをした。いまのような大型店舗が全盛の時代ではなく、小さな町に小さなレコード屋がある、という風景が残っていた。そのような店のひとつだった。店長は若いころにバンドをしており、いまでもそのような風采が抜けきらないような人だった。経営にそう熱心でもなかったが、奥さんがよく頑張っており、なんとか軌道にのせているような状態もみられた。それで、ぼくにも自由な裁量が後々に与えられることになった。

 その奥さんは優しい人で、よく食事も作ってくれた。小学生の女の子があり、その子と暇なときには遊んだ。彼女はなぜ、あんなにも慕ってくれたのだろうか。一人っ子というものはさびしいものなのだろうか、といまになっては考える。

 その店で働きだしてB君の彼女がよく遊びに来てくれた。小さいときにピアノを習っていたらしく、いまでもその外見とは別に、静かな音楽を求めていた。店に在庫がないような音楽なので注文し、それが入荷して、また彼女に連絡するというようなことも多くした。彼女は、どこで買っても同じだろうが、ぼくとしてはあまりにも暇だと退屈するので、そんなときに彼女の要件に対応すること自体が楽しかった。そのうち、彼女は学校の友達も多く連れてきて、その時に流行っているCDがかなり売れるようになった。

 売れ行きが上がれば、店長はなおさら店に居座らなくなり、どこかでギターの練習でもしているようだった。たまに、ぼくを外食に誘ってくれたが、いまの音楽の軟弱さをいつも憂いていた。店長にとってみれば、音楽とは、ストーンズであり、ジミー・ペイジであるようだった。ぼくにも聴く音楽に気をつけるように何度も講釈した。それは参考になる意見だったし、当然受け入れる必要のある言葉だった。
 売れ行きに合わせ、注文するリストを書き込んでいると店長は急に顔をだし、聴くべき音楽はあまりない、というような表情をしたが、実際のところは、どの音楽のことも詳しく知っていた。いつ、そんな時間を捻出しているのかは分からなかったが。

 給料が入れば、和代とどこかに行ったり、またA君やB君とも遊ぶことが多くなる。B君はガソリンスタンドでバイトをしていた。ぼくも原付を買い、彼のスタンドで給油した。B君はプロフェッショナルな態度を覚え、去年までの陸上部にいた彼より数段大人になっていた。

 A君は、すぐに調理の学校にでも入りたいと言ったが、その費用を稼ぐためにとりあえず運送屋で働くといって近くの会社で勤め出した。

 それで、A君はぼくらより社会を知ることになり、ぼくはなぜかいつも暖かな環境に恵まれ、バイト後は、店長のいない家庭で、奥さんと、話すことが好きな小さな女の子と御飯を食べている。テレビの下には古いレコードが依然としてあり、それを借りる権利を手に入れた。それだけでも充分すぎるほど幸せだった。