問題の在処(3)
こんな日もあった。
会社での仕事がひと段落つき、休憩室でコーヒーを飲みながら携帯電話をチェックしていると、妻からのメールが届いていた。内容はというと、彼女の姉の娘、妻にとっては姪だが、その子が高校が決まったので何かお祝いの品をあげたいと思っているが、どんなものがいいだろうということだった。自分はいくつかのものを思い浮かべながらも10代の子がなにに興味を持っているのかということに、気持ちを変えていってしまっていた。そして、買えそうな店は、今日の帰りにあるだろうかとも同時に考えていた。
もちろん即決するような件でもなかったので、そのことは自然と脳に占める比重が減っていった。それに比べて、自分のその年代の頃のことが浮かんできはじめた。
それぞれ程度の差はあれ、自分の行く学校を目標設定として決め、その学力になるよう勉学に励んだ一時期をもつ。塾に熱心に通う友人もいれば、家でこつこつ将棋の歩をすすめるような仕方で学力をあげる友人もいた。絶対的な方法などないかもしれないが、幼いうちに自分の進み方やものごとの運び方を習得してしまうことは、とても良いことなのだろう。
自分は塾で勉強の基礎を習ってからは、その重機を使って強引にならすように勉強といういびつな道路を作っていた。ソフィスティケートもされていないが、自分にはその方法しか思い浮かばなかった。
それで、いくつかの行けそうな高校を見つけ、最後は一つに絞り、それに焦点を合わせて、勉強していった。そのプランは思ったより上手く進んだようにも見えた。しかし、15歳はどう転んでも15歳である。それで、完全な未来などが決定するわけでもない。
友人たちも彼らに合ったような学校を見つけた。自分より幾分高めの学校に行った人もいれば、スポーツに秀でた学校に決めた生徒たちもいた。だが、同列に並んでいたと思っていた友人たちも、学力の差というふるいにかけられ、最初の淘汰をされていく。そうした仕組みになっている以上、それは仕方のないことだろう。ただ、自分はそんなことには影響されないと誓いはするが、それを守れたかどうかは知らないし、たぶん、小さな自分から見たら、そんなことは問題にされて証言を迫られるようなこともないだろう。ただ、簡単に誓っただけだ。
気がつくと休憩は終わっていた。もう一度、軽くメールの本文を見直し、帰ってから話し合おうという返事をかえした。彼女は、早急さを求めてもいないかわりに、返事がないことにもたまにいらだつ性分だった。
部屋に戻り、となりの座席の若い女子社員に、こんなメールが来たのだけど、最近の子はどんなものを喜ぶのかね? と解決を欲しがっていたわけでもないが、たずねてみた。
「なんか私にも買ってほしいな。でも現金がいいですけど」
と、言ってまたパソコンに向かった。
「そうかもしれないよね」訊いて損したような気持を持ちながらも、無言が続く室内の環境を上司が嫌がるので、たまには自分からも能動的に話さないわけにはいかなかった。
時計を見ると4時に近づいていた。残業にはなりそうもない一日だった。自分の息子が、そういう環境の中に10数年後に入り、揉まれていることに対して、想像ながらも憂鬱な気がした。そして、その年代に選択や決定を迫る世の中を醜く感じた。しかし、誰もが通る道なら、その醜さを少なくない程度に愛する方法を教えないことには駄目だろうとも思った。
「ノートパソコンとかが実用的なんじゃないですか。あとは、いくらかの旅行券でごまかすとか」
急にとなりの子が話し出した。それは自分に向かっているようだった。気を取り直して、
「高校前にも卒業旅行とか行くのかね?」と自分は言った。
「さあ、どうでしょう」と彼女はまたもや他人事のような返答をした。長い爪は不自然ながらも、上手にキーボードを叩いていた。この時間になると西日がまぶしいらしく、彼女はブラインドをスライドさせに立ち上がった。
こんな日もあった。
会社での仕事がひと段落つき、休憩室でコーヒーを飲みながら携帯電話をチェックしていると、妻からのメールが届いていた。内容はというと、彼女の姉の娘、妻にとっては姪だが、その子が高校が決まったので何かお祝いの品をあげたいと思っているが、どんなものがいいだろうということだった。自分はいくつかのものを思い浮かべながらも10代の子がなにに興味を持っているのかということに、気持ちを変えていってしまっていた。そして、買えそうな店は、今日の帰りにあるだろうかとも同時に考えていた。
もちろん即決するような件でもなかったので、そのことは自然と脳に占める比重が減っていった。それに比べて、自分のその年代の頃のことが浮かんできはじめた。
それぞれ程度の差はあれ、自分の行く学校を目標設定として決め、その学力になるよう勉学に励んだ一時期をもつ。塾に熱心に通う友人もいれば、家でこつこつ将棋の歩をすすめるような仕方で学力をあげる友人もいた。絶対的な方法などないかもしれないが、幼いうちに自分の進み方やものごとの運び方を習得してしまうことは、とても良いことなのだろう。
自分は塾で勉強の基礎を習ってからは、その重機を使って強引にならすように勉強といういびつな道路を作っていた。ソフィスティケートもされていないが、自分にはその方法しか思い浮かばなかった。
それで、いくつかの行けそうな高校を見つけ、最後は一つに絞り、それに焦点を合わせて、勉強していった。そのプランは思ったより上手く進んだようにも見えた。しかし、15歳はどう転んでも15歳である。それで、完全な未来などが決定するわけでもない。
友人たちも彼らに合ったような学校を見つけた。自分より幾分高めの学校に行った人もいれば、スポーツに秀でた学校に決めた生徒たちもいた。だが、同列に並んでいたと思っていた友人たちも、学力の差というふるいにかけられ、最初の淘汰をされていく。そうした仕組みになっている以上、それは仕方のないことだろう。ただ、自分はそんなことには影響されないと誓いはするが、それを守れたかどうかは知らないし、たぶん、小さな自分から見たら、そんなことは問題にされて証言を迫られるようなこともないだろう。ただ、簡単に誓っただけだ。
気がつくと休憩は終わっていた。もう一度、軽くメールの本文を見直し、帰ってから話し合おうという返事をかえした。彼女は、早急さを求めてもいないかわりに、返事がないことにもたまにいらだつ性分だった。
部屋に戻り、となりの座席の若い女子社員に、こんなメールが来たのだけど、最近の子はどんなものを喜ぶのかね? と解決を欲しがっていたわけでもないが、たずねてみた。
「なんか私にも買ってほしいな。でも現金がいいですけど」
と、言ってまたパソコンに向かった。
「そうかもしれないよね」訊いて損したような気持を持ちながらも、無言が続く室内の環境を上司が嫌がるので、たまには自分からも能動的に話さないわけにはいかなかった。
時計を見ると4時に近づいていた。残業にはなりそうもない一日だった。自分の息子が、そういう環境の中に10数年後に入り、揉まれていることに対して、想像ながらも憂鬱な気がした。そして、その年代に選択や決定を迫る世の中を醜く感じた。しかし、誰もが通る道なら、その醜さを少なくない程度に愛する方法を教えないことには駄目だろうとも思った。
「ノートパソコンとかが実用的なんじゃないですか。あとは、いくらかの旅行券でごまかすとか」
急にとなりの子が話し出した。それは自分に向かっているようだった。気を取り直して、
「高校前にも卒業旅行とか行くのかね?」と自分は言った。
「さあ、どうでしょう」と彼女はまたもや他人事のような返答をした。長い爪は不自然ながらも、上手にキーボードを叩いていた。この時間になると西日がまぶしいらしく、彼女はブラインドをスライドさせに立ち上がった。