爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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作品(5)-3

2006年08月14日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(3)

 彼女とジェットコースターに乗っている。隣で、彼女は悲鳴を上げている。自分は、こうした乗り物にあまり動揺しない性質だった。子供の頃、兄と一緒に乗り、兄は揺さぶられている最中に一日券をなくし、父親に叱られた記憶がある。自分はそれを横目で見ていた。結局、父はもう一度、買ってくれた。
 今回も、自分は横目で見ていた。彼女の存在を間近に感じるたび、正面から見るのに照れてしまっていた。彼女は、木のテーブルの向こうでアイスを食べている。自分は、大人ぶって違う飲み物を頼んだが、彼女がしつこくおいしいから食べてみてというので、ちょっと口につけた。それは、本当においしかった。彼女は、その行為で満足した。
 たくさんの乗り物に乗り、スニーカーで歩き回り汗をかいた。そうすると、いつの間にか夕暮れになっていた。彼女は、圧倒的な存在からシルエットに変わり、自分の気分も変わってきた。その横にもたれかかるように歩いている彼女の重みが、自分の幸福と直結している感じを抱く。自分は、この種の重みと暖かさと柔らかさを知らずにいた。そのことを後悔するどころか、いまそれを実感していることと、失いたくないという恐怖が含まれ始めていることに驚いている。
「どうしたの? 急に静かになっちゃって」
「なんか、主人公みたいだなと思って、ドラマかなんかの」
 足の裏に、落ちた葉っぱの感触が伝わる。その音も、切ないまでに心をきれいにした。いままで感じていた、さまざまなことに対する切望を忘れていた。一人前の人間になること。なにかを漠然とだが、やり遂げること。それらを、正直に忘れていた。その忘れさせてくれた存在が、自分の腕につかまっている。
 あるレストランに入る。彼女の食事の仕方。あんなにおいしそうに食べる人を見たことがない。食材の最後は、彼女に奉仕することで、終えることに魅力を見出しているのだろうか? 食べながらいろいろなことを話す。女性に、自分はどう思われたいのだろう。尊敬される人。面白い人。話に、興味深さを練り込むこと。彼女は、紅茶を口にする。そして、レモンのにおいが回りにひろがる。彼女自身が、そのにおいを作ったとでもいうように。
 洋服の時代。男性雑誌も多く創刊され、それを意識しないと生きにくくなっていた。友達とも情報のやりとりをし、数人で洋服を買いに行ったりした。今日も、自分で考える最高の組み合わせを選んだが、頑張ったところは素振りにも出さない。彼女も、あまり女性らしさを前面にださない服を着ていた。しかし、なにを着ても、この気持ちを削ぐようなことは出来なかったかもしれない。
 店を出る。二人は行き場をなくす。大切に感じていることが、必要以上に大きくなり、彼女の欲求を見落としてしまう。暗くなった、公園のベンチに座った。また会えるだろうか? ということが心配の種になっている。
「そろそろ、帰ろうか?」
「そう、まだ早くない」と、彼女はこちらに顔を向け、ささやいた。
「じゃあ、もうちょっとだけ」
 話を伸ばし、このときを止めるものを恐れ、自分は大人の手前で戸惑っている。だが、彼女のすべてを分かってしまう前に、駅に向かっている。彼女の最寄の駅まで、一緒に乗った。暗いガラスに映った彼女の顔が、とても幸福そうに見えた。自分が、もしかしたらそれを作ったのかもしれないと考えることで、さらに自分の暖かい気持ちも増した。だが、駅に着く。階段で軽く手をにぎり別れる。
「また、電話するね」
「うん、おれからもかけるよ」
 背中を向ける彼女。その存在が小さくなる。寒くなり始めたホームで、乗ってきた逆の電車を待つ。家に電話がかかってこないと連絡がとれない時代。その不便さを当然と受け止めていた時期。そして、彼女の言葉を待つ。ちょっと電話だと早口になる口調。どのように、家で電話を待っていたのだろう? モームという小説家の長い話を手にしていた時に、かかってきたのか?
コメント
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