チェルノブイリ原発 隠されていた事実1
Nyfiken
世界の原発が今回の福島の事故の影響をうけ、専門家を含め、それぞれの国民が反対をしている。国や電力会社や、企業の犠牲になるのは、いつも弱い普通の市民。問題がおこっても、国や電力会社は調査をします。と言う確固たる証拠がない場合は、なんの保障もない。自分の身を自分で守るしか方法はない。これはドイツの例だが、同じことが、六ヶ所村で将来起こる。村のひとたちは、遠くへ逃げるわけにはいかない。青森県知事は、東京の政治家や電力会社のいいなりになっているが、問題が起こってしまって福島のように、青森がなったら、誰が責任をとるのだろうか。最終目的地ではないというあいまいな子供だましを信じるなど、理解ができない。東電の責任を国民の税金にするか、国債にする。
日本は、原爆を2度も受け、唯一脱原発を世界にむけてできたはずなのに、矛盾だらけだ。技術過信、絶対安全神話など、昔の神風や天皇は神様だった戦争中のメンタリテイと変わらない。絶対安全などない。現に、六ヶ所村の処理場では、中にレンガが落ちて、それを取り出すための機械を作ったが4機のうち3機が故障しているという現状。国民の安全な暮らしを国家が補償できないのならば、自民党しかり、民主党しかり、信頼ができない政治家や国家利益、経済利益優先、追随するマスコミなど、外から見ていると、大きな権力や力には個人の命など尊厳がない。オール電化やエコということばで、宣伝にのせられてしまうニンゲンの心理やブレインワッシュされる我々は、一体どこに、公正さを求めたらいいのだろうか。
日本は地震国であり、活断層地震のために、狭い国土内に原発は建てられなかった。が津波を38メートルくる可能性がある海岸地帯にたった13メートルや15メートルの壁だけでは、もし同じ規模のM9画別のところに地震が起きた場合、40メートル近い津波が多くの海辺に建つ原発を襲うとしたら、どうやって人々は安心して電気を使い、安心して生活ができるのだろうか。韓国の古い原発を停止させようという動きがあるのも、日本の30年から40年といわれている寿命を電力会社の採算を考えて許可をだした原子力保安院は、2月末に福島の原発の電気故障のリポートがあったのにもかかわらず、39年そして40年目に許可をだした。保安院の責任は大きい。アメリカの学者たちが指摘しているなぜ、東電が数少ない現場職員たちだけに仕事をさせて、ひとりに対する責務や危険性が大きいのを世界中のひとが人権問題として指摘すらしている。がんばれといわれれば、頑張る。国のために犠牲になれといわれれば、なる人間にすべてを任せるやりかたは、おかしい。あのソビエトですら、ひとり時間を決めて、なん万人という兵士を投入した。人海戦術ができないのは、一企業の東電がメーカー東芝や三菱の下請けにやらせているからなのだろうか。保障は国の税金で、主導はメーカーなどが犠牲になる数十人のひとたちに頼るという。
リサイクルとかクリーンとかエコとか勝手に宣伝文句としてつけられてきたブレインワッシュされた原発のイメージは、世界中で日本のこの事故をきっかけに、変わってしまった。ドイツの脱原発は、一足早くいろいろなことを経験していることや、チェルノブイリ事故の影響が大きい。世界や地球規模で空が汚染されたチェルノブイリや今回の福島の放射能は、一度世界をぐるりと回って福島に戻っている。私のすんでいるスウェーデンでも観測されている。国内で、もしあれは福島の20キロ以内だけの話と思っているとするならば、健康被害が将来おきても、国は一切補償をしないだろう。できないから、今もなるべくことをアラ立てず、あの福島の一部でおきていることの印象をつけている。
最悪の場合は、20キロ以内に住んでいるひとと同じように、100キロ300キロと拡大し、先祖からの家や田や畑をそのままにして、避難所に暮らし、家もアパートも売れない、保障もない、自社工場が使えない、お店も品物もそのままといったことがもし日本でおきたら、おそらく原発を維持するお金すらなくなり、次のアイスランドやアイルランドやギリシャのような貧しい経済国となる。これはどんなことがあっても避けなければいけない。原発貧乏や原発借金で将来国が斜陽しないようおごれるものは久しからずをいつ頭にいれて、国策をやっていかなければ、国はいつか財政破綻をし滅びると危惧をする。政府や役所が利益をうまないために、財政拡大、国債投入、税金増加と国民負担を増やさざるおえないが、国が繁栄するという意味をもう一度、国家に働くひとや政治家に落ち着いて考えてほしい。安心して暮らせるようにはやくなりますように。
ニンゲンが決して自然界に存在しない猛毒プルトニウムを作り出し、世界中からイースターのたまごのように
日本の国の地下、地震や津波が多いところに抱くのは、国全体を自爆させるシナリオにしか見えない。将来日本が今までのように、経済大国であるという保障はない。長い歴史を考えて、なんのために、広島長崎という教訓があるのか、考えてほしい。アドレナリンのある山師的な日本国の歴史は、真珠湾攻撃や、アジアへの進出の歴史を思うと、島国根性を大陸的なおおらかさに考え方を変えることが必要である。外国の失敗から学ぶべきで、自分が失敗をしてみせて、外国のひとが学ぶ今の構図は、何を意味しているのだろうか。福島がもう少し上のほうにたっていたら、という論理はナンセンスである。これを理由に原発は正しいという人は、単に無知でお人よしである。日本の将来は、今の大人や子供と今の時代を生きている我々にかかっている。大人は、子供をだましてはいけないし、国は国策や企業の利益や経済優先個人抹殺を進めていったら、将来国はお金を持っても、あちこちにゴーストタウンができ、また健康被害が増大とナリ、国の保険料は上がる。
ヨーロッパでは明るい太陽が照らし、イースターを祝うひとびとが教会へいき、チョコレートショップは卵の形をした特別チョコレートが売られている。ヨーロッパの在日本人や韓国系のひとたちが、多くチャリテイーコンサートをして、募金を集めている。災害が起きると、チャリテイーのためにいろいろなひとが立ち上がる。今回驚いたのは、フランスなど在パリのひとたちや韓国人音楽家たちが、日本のために立ち上がってクラシックコンサートなどをやっていることだ。お隣の国のひとが、日本がんばれと応援してくれている。またひとごとではないと世界中の国のひとが考え始めた。国策や企業の利益優先の国が日本である印象がある。まだまだ被災地で不便な生活をしている人や、いなくなった家族を思い、悲しみの春を迎えている人が多い。いつかかならず、また楽しいと思える日が来る。辛いときは長く続かないものだ。じっと我慢をしているとまた神様が手をさしのべてくれる。と信じてがんばってほしい。