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仏教思想:親鸞(補足2(完):「正信念仏偈」)

2018-11-10 07:48:24 | 仏教思想
 親鸞は9歳から29歳までの20年間を比叡山で過ごします。この間の親鸞の動静はほとんど分かっていません。しかし、その叡山での修行に疑問を感じた親鸞は、山を下り六角堂に100日籠りその95日目に聖徳太子が示現、法然のもとに行くようにと言われます。
 そしてその後100日法然のもとに通い、ついに法然の弟子となったのです。

 法然の教えを知った親鸞は、これぞ私の求めていた教えと歓喜し、これぞ「真宗」と生涯法然の教えを信じこれを守ったのです。そしてその教えをまとめたのが、主著といわれる『教行信証』というわけです。
 『教行信証』については、先にノートを作成した時の記事で紹介済みですが、「行の巻」の巻末に「正信念仏偈」といわれる偈(詩文)があり、この偈は『教行信証』のエッセンスといえる内容となっています。

 ということで、親鸞の補足の最後に、この「正信念仏偈」をご紹介して、親鸞のまとめとしたいと思います。なお、原文は漢文で、ここではその書き下し文に補足の説明を追記してご紹介します。長文で、しかもかなり難解かと思いますが、興味のある方は挑戦してみてください。

 
 
 
 
 
 
 
 
 


 親鸞は「信楽(しんぎょう)」ということを言っています。信ずることそれが一番大事だといっているのです。
 浄土教の主要経典の「阿彌陀三部経」のうち、親鸞は自身の思想形成において唯一『大無量寿経』をとりあげています。『大無量寿経』は、阿彌陀浄土の世界を教える『阿彌陀経』、阿彌陀浄土への行き方を教える『観無量寿経』に対して、阿彌陀仏の本願というものを教えています。
 その内容は、阿彌陀如来がまだ法蔵菩薩という修行時代に、師の世自在王仏(せじざいおうぶつ)より仏国土の優れた点を聞き、そこから48を選び取った「四十八願」を教えています。
 この四十八願のうち親鸞は特に第十八願(「たとひわれ仏をえたらんに、十方の衆生、心をいたし信楽してわがくにゝむまれんとおもうて、乃至(ないし)十念せん。もしむまれずば、正覚(しょうがく)をとらじ」)を彼の思想の基本におきます。
 つまり阿彌陀様は菩薩の修行時代に、すべての衆生が私を信じて、極楽浄土に行けないのなら、さとりの世界には行きませんと願って、いま如来になっているのだから、この本願は成就しているのだ。みんなこれを信じなさい、そうすれば、みんな極楽浄土へ行けますよ、というわけです。

 親鸞は言います。自力の人は自分を頼るから「信楽」できない。他力の人はもっぱら、阿彌陀の本願を頼るから極楽浄土へ行ける。まさに「悪人正機」というわけです。
 流罪・肉食妻帯・善鸞事件(実の息子の裏切り)など苦難の中で、阿彌陀の本願を知った親鸞は歓喜し、これぞ「真宗」師法然にどこまでもついて行くと。思想家というより実践の人、非僧非俗、愚禿親鸞、人間親鸞であったわけですが、どうやらその思想は師法然とは違っていたようです。そのところは、過去記事を参照ください。

 ノート作成時の「仏教思想:親鸞」の過去記事はこちらに(その1その2その3その4
 
 次は道元のword化です。終わりましたら、またご報告します。



 


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