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仏教思想:中国華厳思想概要(その10)

2021-05-03 08:55:08 | 仏教思想
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 1か月ほど間が空きましたが、中国華厳思想概要の10回目です。
 現在は、中国思想と他思想・他宗派との関係についてみています。そして前々回「荘子と中国華厳との関係」、前回「華厳と天台の関係」をみてみました。(過去記事はカテゴリー「仏教思想」から遡及できます。)
 本日は続きとして「唯識と華厳の関係」をみてみます。

3.3.唯識と華厳
 ギリシャ哲学が「自然」の理法を明らかにしようとしたのに対して、インド的思惟をふまえた仏教では、「心」のあり方を明らかにしようとしました。自然の存在に対して、心のあり方を問題としたところに仏教の特色があります。
 『華厳経』では、心はほとけも衆生もこれは同じものであり、仏教のめざすものはどこまでも心の浄化であると説いたのです。
 仏教の諸学派の中で、心の問題を徹底的に究明しようとしたのは、なんといっても、唯識学派でした。人間の表面的な心の背後にある、深い暗い衝動的な自己というべき、根源的な心を問題としたのです。現代でいえば深層心理学的な解明に類似しています。
 華厳はこのような仏教の諸学派における心の解明をふまえながら、みずからの宇宙的生命ともいえるような、人知の限りをつくした壮大な宇宙心を考えたのでした。

3.3.1.唯識説による心の解明
①アーラヤ識とは
 華厳の一心を明らかにするためには、大乗始教に位置する唯識説の心の解明を理解する必要があります。
 唯識説では六識((眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・意(い))とその背後に第七・第八の二つの識を設定します。第七末那識(まなしき、マナ識)と第八阿頼耶識(あらやしき、アーラヤ識)という深層意識がそれです。
 なぜこのような深層意識を設定するにいたったかというと、それは人間の生命活動をとらえようとしたためであったのです。例えば、われわれは睡眠中においては、いわゆる「意識」は中断するが、睡眠以前の我と以後の我との間に少しの断絶も自覚しません。忘却の淵に忘去った記憶も突然としてよみがえることもあります。このようなことから、心の奥底に記憶を刻印しつつ新しい心の動きを発動して、断続しつづける意識の流れを考えないわけにはいかないのです。
 つまり、唯識説での「アーラヤ識」の存在は、生命活動の意味を内包しているのです。煩悩=本能的欲求の根源もまたアーラヤ識であるわけです。さらに、アーラヤ識にはインド人固有な考え方である輪廻の思想があります。それは現在生きている人間、自己の過去の無限の生命の不断の連続の中にあり、それは未来にも存続していくというわけです。アーラヤ識には、このような現在の個人をこえた幽遠な生命体を含んでいるのです。

②マナ識の意義-自我とは
 仏教のねらいは、自我を無我にまで高めることにあるが、そのためには、「我」の本質構造を明確にしなければいけません。唯識におけるアーラヤ識やマナ識の概念はこのために生まれたといえます。
 無限な時間をふまえた生命活動としてのアーラヤ識を小さな自己のものとして限定し、自己自身と考え、現在の自己の生命活動の流れを時間的に切断するとき、自我意識が生まれるといいます。
 第八アーラヤ識は宇宙的生命というような無限の生命の流れという意味と、自己の生命活動という意味の二つの内容をもっています。
 そこにおいて、本能的欲求を意識し、自覚し、統御するところに人間としての自我意識が生まれます。そのはたらきは第七マナ識によるものです。
 マナ識は、元来はアーラヤ識に含まれていた概念で、アーラヤ識の一作用として別にとりだしてつくられたものです。このため、第七マナ識も完全なる主体的自己ではなく。いまだ煩悩性を払拭しきれていません。
 それは、我痴(がち)・我見(がけん)・我愛(があい)というようなさまざまな自己愛から出発した、自我の主張から成り立っています。どこまでも煩悩性のものであるのです。 

③六識の存在意義
 大脳の新皮質系のはたらきには二つあるといわれています。一つは変化する外界への適応行動(「うまく生きていっている」)のこと。もう一つは、未来に目標設定して価値を求め意欲的に「よく生きていく」ということです。
 仏教には後者の意識がありません。しかし、六識(眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・意(い))のなかの耳識によって教法を聞き、さらに意識においてそれを取入れ判断するところに、仏教の悟りへの道が開かれてくるのです。このため、意識における善悪の判断はきわめて修道上、重要であるとみなければなりません。

3.3.2.唯識から華厳へ
①法蔵の教相判釈
 『華厳経』を最高の教えと説く華厳宗においても、それに基づく教相判釈が三祖法蔵によってなされました。それを「五教十宗」と呼びます。(下表21参照)
 
 ここでは、唯識説は「大乗始教」に位置付けられており、以下最高の教えに位置付けられた「円教」つまり『華厳経』へと、思想の理論展開がなされています。

②唯識説から如来蔵仏教へ
 人間を動物と区分する大脳前頭葉のはたらきは、人間に創造作用を与えると同時に、自己の絶対性を主張させている。この方向を徹底させると他人の存在を認めないようにすらなるのです。しかし、同時になにかの理念をよりどころに、相手を認め、相手の存在を許そうとする。ここにおいて、さらに高次な人類の知恵であるところの「人間のあるべき相」が問題とされ、要請されてくるのです。
・唯識での「人間のあるべき相」
ⅰ)唯識論にもとづく宗教的実践により、生命活動の本源としてのアーラヤ識を「大円鏡智(だいえんきょうち)」(清浄無垢にして、一切の煩悩や汚れから離れた仏智のこと)の知恵に改換すること
ⅱ)自我性の根源としてのマナ識を「平等性智(びょうどうしょうち)」(自己と他人、さらに生きとし生けるもの一切を平等たらしめる心)に改換すること
・唯識と如来蔵仏教
 唯識で「人間のあるべき相」は、清浄無垢にして、円満なる境地でなければならない、と説くことは、人間の理性の要請であるが、これが形而上学的に組織されると、「自性清浄心」とか「真如」という概念に結実します。この理想態を本来的自己の相ととらえて、如来蔵仏教としての大乗終経の心識説が展開していくと考えられます。(下図5参照)
 
 如来蔵という人間のあるべき姿を要請するのは、人間が醜悪であり、この醜悪の根源としてのアーラヤ識があるからである。両者は矛盾的に対立していると同時に、共存していなければならないというわけです。
 真に対して妄があり、妄があるから真がなければならない。アーラヤ識という妄法があるゆえに、自性清浄という真法の存在意義が生まれてくるのです。

③唯識から頓教さらに円教=華厳へ
・頓業の意義
 如来蔵を説く大乗終教と頓教の関係は下図6のように表すことができます。
 
 頓教の段階では、宇宙的生命というようなものが考えられており、人間の個我をこえたところから人間を見ようとしています。これを「真心(しんしん)」ということばで表わしますが、これを『「言説」の相を離れたところに真理が存在する』、といいます。
 言説とは概念的な思惟のことで、ここでは概念的な思惟を離れた「直観」の立場を言い表そうとしているのです。それは絶対そのものを指示している。『維摩経』に説かれた「維摩一黙」(真の悟りはことばでは表現できない)がその経証(きょうしょう)とされています。
・円教の立場
 円教つまり華厳の立場は、現象の背後に形而上学的実体を置かないことをたえまえとしており、現実の個物相互間を説こうとしたものであるが、このような華厳の立場から心識説をみると、「一心」とか「真如」というようなものは、もはや必要なくなり、ありのままの現実の心が問題とされてきます。
『華厳経』(「離世間品(りせけんぼん)」)の十心(*)が円教のこころにあたります。十心は、広大な心、すぐれた心、堅固な心、汚れなき心などを表しており、これらの心は形而上学的実体ではなく、われわれの心そのものの本然の姿、あるべき姿にほかならないのです。人間の心の複雑さ千差万別にして無尽なることを表わしているのです。
*十心:大地等心(だいじとうしん)・大海(だいかい)等心・須彌山王(しゅみせんのう)等心・摩尼宝心(まにほうしん)・金剛心・堅固金剛囲山心・蓮華等心・優曇鉢華(うどんはつげ)等心・浄日等心・虚空等心

④唯識の究極・「十重唯識」とは
 以上、唯識説がどのように華厳へと展開されたかをみてきましたが、法蔵は、法相宗の慈恩(じおん)大師(632-82)の五重唯識を応用して、唯識を10種の段階で説明しています。
 そのねらいは『華厳経』「三界唯心」(「2.3.4.三界唯心とは」参照)の思想の体系化、組織化であったのです。三界とは「生死の世界・苦悩の世界・凡人の世界」で、心の持ち方で生まれてくるものです。
 心の持ち方とは、心あるべき相として清浄性でなければならない。そのために、どのようなステップを踏み、どのように深め、高めていくかの解答をあたえたもの、つまり、十重唯識とは「三界唯心」の華厳学的な解明手段、方法を説いたものなのです。
(十重唯識の概要、下表22参照)
 


 本日はここまでです。次回は「華厳と禅の関係」についてみてみます。





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