先日友人宅に遊ぶ。
かれは4年前に病み、障碍を持ちながらも元気に生活している。今度はどこかでメシでも食おう・・・と約して帰る。
その日に読んだ本にてドキッとした所がありました。
13世紀の仏教説話「沙石集しゃせきしゅう」僧 無住の著です。近く矢田の長母寺で書いたといわれる。
山の端に かげ傾きて 悔しきは 空しく過ぎし月日なりけり
歌の意は・・・年老い病などに伏したとき、若かりしときに成すことをもせず勤めなかったことを悔い、命終わるとき苦痛にせめられ なぜ一善をもなさなかったのかと悔やむ・・・
ドキリとしたのは、ひょっとして自分が友のようになったら無住の書いた通りのじじいとなりわせぬか・・・という危惧からでした。
しかし親鸞和讃をも思う・・・
無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり 智眼くらしとかなしむな
生死(しょうじ)大海の船筏(せんばつ)なり 罪障おもしとなげかざれ
阿弥陀の我らを救うという本願は長い夜のともしびです。自分の智慧の眼が闇いとて悲しむな。本願は生死大海の船・いかだです。罪障が重くても嘆くことなかれ・・・の励ましです。