岐阜県・安八町森部村への現場納品。朝7時着。引渡しは8時半。長良川右岸の堤防近くです。時間つぶしとて田舎ですので何もない。見渡すと聳える寺院の屋根。覗いてみました。
「光顕寺」(こうけんじ)とありました。山門脇の碑に「教如上人」の旧跡とあった。
教如上人は東本願寺の始祖です。信長と強烈に闘った人です。
説明書きによると、教如は1600年関が原の戦いの前にこの地にて石田三成の手勢に追われ、命をおとす寸前にまで至った。この寺院の須弥壇(仏像を安置する壇)に隠れ難を逃れたという。そのさい壇の板戸に辞世の歌を刻んだ。それがこの寺院に残されている。
散らさじと森部の里に 埋めばや かげはむかしの ままの江の月
結果、教如上人は、森部と近隣門徒衆の石田勢への強い抵抗により救われた。後に、この地で命拾いをしたことに感謝し、森部等の門徒衆を「土手組」と称することを許した。四百年を超える「土手組」の講は、今も毎月10日に法会を重ねている。
長良川の「土手組」・・・揖斐・長良・木曽川が入り乱れ、水に対するには「土手」を総出で築かねば生きられなかった「輪中」です。結束心は筋金入りだったのでしょう。すばらしいネーミングの賞賛でしょうか。