山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

冬将軍は和宮様を倒してしまった

2016-01-21 19:59:50 | 風景
 一昨日の雪は東京の大混乱を引き起こしてしまった。
 その翌日には初めての冬将軍が春野にやってきた。
 そこへ、川崎宿に逗留していた和宮様を襲ったようで、緊急の連絡がはいった。
 冬将軍の寒さが影響しているのではないかと娘が言う。

                        
 一日中寝込んだ翌日、病院へ行ったらすぐ入院となってしまった。
 本棚づくりはインパクトドライバーの調子が悪くて中断していたが、川崎行きの準備をして出発する。

     
 出発してからアイスバーンが心配だったが、いつも降雪しやすい御殿場を過ぎ、足柄PAに着く。それなりの雪はあったが、よく整備されていた。
 安心して川崎へ向かう。

                          
 和宮様と病院や医師との対応は娘がすべて対応してくれているのが頼もしい。
 病名はまだ確定しないまま検査が続く。
 とりあえず、二週間ほど入院とのことだ。
 
 ブログもしばし川崎発となる。
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梅原猛『天皇家の<ふるさと>日向をゆく』を読む

2016-01-20 00:45:11 | 読書
 神話のルーツ九州の訪問推理紀行だ。
 哲学者梅原猛が伝説や伝承の価値を歴史学として見直した功績は大きい。
 彼は、『古事記』『日本書紀』の神話はそれなりの理由が背景としてあると推理する。

                          
 戦後の史学では、神話は荒唐無稽の作り話だとして唾棄されたが、そこには一貫性のある裏付けがあるという。
 天皇家は大陸からやってきた部族が九州の土着ハヤト族の血縁を交わしながら東征をしていき、ヤマトに至ったとする。
 神話の現場を巡礼することでそのことを立証していく旅行記でもある。

                          
 優れた写真も加味している文庫本なので読みやすい。
 また、学術的な論文でもない。
 梅原さんも肩の力を抜いているのが年の功というものか。

                          
 空白の古代がだんだん埋まっていく面白さがある。
 ただし、登場する神の名前はめんどくさいほどにわかりにくい。
 戦争に利用された一方的な神話を現代的に新しく読み解くべきではないかと提起する。

     
 出雲や日向の遺跡から出てくる遺物も空白を埋めていくヒントとなっている。
 古代は好奇心をますます刺激する。
 
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テラちゃんの遺稿詩集『一息いれて』 その③

2016-01-19 14:40:45 | ポエム
 寺山利子さんの絶筆となった詩は「悔やまない」という詩だった。
 テラちゃんの詩を写しているうちに、目頭が熱くなった。
 現実の喜怒哀楽を広い世界の中で飲み込んで咀嚼した前向きの人生だった。
 小さな体に大きな魂がみなぎるこのスケバンの生き様は、最後まで優しく、ブレない一生だった。

 
 「悔やむことなど何もない
  勝手きままに自分を追い求め
  自由に生きてきた
  全て自分が選んできた道
  何一つ他人に押し付けられもせず
  思うがままの道を歩いてきた
  だからどんな死に様も受け入れよう
  見苦しくても
  言っているほどのかっこよさも無くても
  それが有りのままのわたしなのだ

                              
  生命をあたえてくれた父と母
  帯折れでシワシワになった1枚の写真
  幼い私が写り家族十人が揃う
  引き揚げでの過酷な話も
  一杯のうどんを分け合った貧しさも
  すっぽりと包んでくれた母の手の温もり
  反抗の時期を泣きながら支えてくれた姉
  兄の空き弁当箱に詰められたヤマモモの味
  末っ子の悪ガキだった私が
  これまで生きてこられたのは
  いつも周りの人たちの支えがあったから

                          
  独り立ちがしたいと言ったとき
  <あなたが選んだ友だちが信じられるから>
  <辛かったらいつでも帰っておいで>と言った母
  たどたどしいひらがな文字が
  荷物の間から
  <からだにきをつけて>と毀れてきたとき
  西へ向かう列車の汽笛が
  白々と夜明けを呼んでくる
  それでも故郷に帰らなかったのは
  いつも友だちがいてくれたから

                           
  時代の流れのその時を
  一緒にかかわれ、ともに
  スクラムを組めた友だちがいたから
  書くことの喜びを教えてくれた
  夜通し激論を交わした
  路傍に咲いた雑草に微笑み
  木々の芽吹きに嬉々とした
  何よりの命の大切さを語り合えた
  友だちに出会えたから

                           
  私のわがままな人生そのものを
  すっぽり受け入れてくれた人がいたから
  私に繋がる二つの生命
  幸恵、友世
  あなたたちは私の生きた証
  選ぶして選んだわけではないが
  あなたたちが選んだ道は
  図らずも私が願った道だった
  勝手な母であったけど
  ありがとう
  私の家族であってくれて」
                           (2014年10月) 11月11日永眠




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朝霜や藁家ばかりの村一つ 子規

2016-01-18 19:27:35 | 風景
 このところ朝起きるのが辛い。
 といっても、水道は出るし、お湯も出るし、お膳布巾も凍ってないだけでも良しとする。
 ちょびっと雪がふったのに、麻痺してしまう東京の脆弱さを思えばストレスもない。

    
 8時前の茶畑はすっかり霜が占拠してしまう。
 陽があたってくると茶畑のあちこちから湯気が立ち昇るのも見ものだ。
 駅に群がって遅れた電車を数時間も待つのを考えればなんと穏やかな光景だろう。

                            
 子規の俳句にある「わら家」はさすがに近所からは淘汰されているが、ひと気のない過疎の現実は「ひとつ」。
 そうして、「自然」と向き合いながらその恵みと痛みを共有してきた。
 桃源郷とは、そういう豊かさと厳しさとが同居している世界なのではないか。

           
 
 茶畑も雪や霜の鍛錬を経てこそ、旨みを少しづつ増殖していき、春を迎えるのだ。
 冬があるから春がある。
 あたりまえのことだ。
 が、自然を崇敬するとは自然の厳しさ・残酷さをも含めて感謝すること。

 そうして、おろおろと体を動かす。
     
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馬肉の「ひつまぶし」に、うずらの「もうたま卵」

2016-01-17 19:27:52 | 特産品・モノ
 きのうの佐久間町の「新そばまつり」に、勢いのあるコーナーがあった。
 それが信州・阿智村の店だった。
 「昼神温泉郷」としても華やかな地域だ。
 そこで、馬肉の「ひつまぶし」を買ってみた。

                         
 ウナギのひつまぶしは以前食べたことがあるが、桜肉の馬肉は初めてだ。
 肉そのものはイノシシやシカに比べても淡泊だった。
 温泉郷では「馬刺し」が有名のようだ。

                         
 丼にネギやわさびを入れて温める。
お茶漬けのようにして食べたが、温める時間が短かったかもしれない。
 そのため味はいま一つだったが、調理のコツをもう少しわかりやすく説明してあるといいのではないかと思った。
 「ひつまぶし」のネーミングは、「お櫃」のご飯にウナギを「まぶす」ということからくるらしい。

     
 同じ店で「もうたま卵」も購入してみる。
 ネーミングが気に入ったが、うずらの卵にトウガラシ・醤油・みりん・砂糖・鰹節などで味付けしてある。
 それがたしかにうまくて「たまらん」というわけだ。

 さすがに観光地で鍛えられた長野から学ぶことが多い。
 地元の店のひなびたところは好きだが、お客との対応や商品の置き方に工夫しないと脚が向かないことになる。
 今年はやや参加者が少ないような気がするが、刺激的な特産物に会えるのも「新そばまつり」の魅力だ。
 
 
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佐久間・新そばまつりでツルツル三昧

2016-01-16 19:19:07 | 行事
 朝早くに急遽、佐久間町の「新そばまつり」に直行する。
 今までだと列に並んでやっと手打ちそばを確保しなければならなかったが、早めに着いたので並ばずそばを確保する。
 最初に、温かい「飛騨深山の自然薯そば」をいただく。

                               
                            
                       
 次に、冷たい「会津の高遠そば」を食べる。
 つまりは、ざるそばというわけだ。
 日陰で食べると寒いので陽当たりの良い所でツルツルする。

       
 さすがに、腹もいっぱいになったので買い物がてら歩くことにする。
 地元の「野田やまびこ会」は、休耕地を借りてそばを栽培している。
 県外から来た店は慣れているせいか、商品もそのレイアウトも売り方も上手だ。

 最後に、地元の「かけそば」をネギ・七味・ユズで食べる。
 お昼前に三食食べるのはさすがにチョー(腸)満杯となる。

                               
 天気よし、山並みの鋸状凸凹よし、手打ちそばよし、スタッフの高校生らしき若さよし。
 18回も続いている「そばまつり」にかける住民の思い入れに頭が下がる。
 これがルーティンワークに終わらず、新しい課題に向かって突き進んでいくことを願って止まない。
 ごちそうさまー。
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端材で椅子を作る

2016-01-15 19:57:13 | リフォーム・屋内作業
 本棚を現場に持ち込んだところ、高さが長すぎたことがわかる。
 長さは間違いではなかったものの、そこで作業するのが難しい長さだったのだ。
 想定外のことがやはり起きた。
 つまりは計画がずさんだったともいう。

                              
 結局、24cmを足切りすることとなった。
 一歩前進五歩後退だ。
 ところが足切りした端材が淋しそうだったので、椅子でも作ろうかと思い立つ。

                          
 しかし、3~5mmほどの足の長さに誤差があり、高さががたつくため微調整に時間を食う。
 また、天板に合う板探しにまたまた時間を食う。
 「あわてないで」「のんびりとね」を自分になんども言い聞かす。

          
 たまたまいただいたきれいな端材があったので、そのまま座る板材とする。
 「マホガニー」色のペンキをまた塗っていく。
 「無理しないで一歩を踏み出すんだ」とマイペースを維持する。

                               
 一つ目の椅子は完成。
 焚き火を囲んだときや七輪をやるときには手ごろな高さとなった。
 重さも持ち運びに、まあまあだ。

       
 2つ目は二人用の椅子とする。
 天板は中古の電動カンナを初めて使ったりして苦労したが、手動カンナがやはり使いやすい。
 事実上二日間もかかってしまったが、珍しくすべてを完成させる。
 本棚も合わせるとペンキひと缶を使い果たす。

 雲一つない青空が続く。
 寒風がない穏やかな陽射しが心を癒してくれる。

 
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追悼集”寺山利子『一息いれて』” その②

2016-01-14 20:39:31 | ポエム
 朝の寒さはストーブの前にしばし定着する。
 テラちゃんの詩集をまた開く。
 永眠が一昨年秋だったが、この詩は同年春だからすでに残されたいのちを覚悟している。

         紐を解く
 褪せた大学ノートの留め金の間から
 錆びついた紙屑が落ちる
 1969 No.3
 崩れかけた心で母を想い
 故郷への汽車の響きに涙した事
 揺れる世事に身を置き
 友との議論に酔い
 なけなしの金で啜りあった珈琲
 腹に沁みたラーメン
 罫線に2行もあれば
 2ページを埋め尽くしているのもある
 赤裸々に勢いよく羅列した文字の端々に
 あの頃の私が綴られている

                            
 数冊の年も
 病を抱えただけの一冊もある
 読み返すにも恥ずかしく
 過ぎた自分を見つめることもできない
 残りの歳月が数えられる今
 走り書きは
 ノートから手帳になり
 紐の長さは
 だんだん短くなっていく
 残す私は何もないから
 一つひとつ紐を解く
 過去の私が
 ビリビリと音となって消えていき
 淋しい私と
 ほっとしている私がいる 
                (2014年4月) 

                             
 テラちゃんがわが畑に来たときぐいぐい畑に入っていき、若い周りを驚かせた。
 いちばんの高齢者がいちばん子どもらしい感性を発揮していた。
 さらには、そのためかヤマビルに手を噛まれてしまった。
 ふつうならびっくりしてしまうがそんなことに動揺する人生ではない。

                            
 後日、「かまれた時の傷がまだあるよ」とケロッと言う。
 テラちゃんの前で愚痴を言うと、ずばり本質的なことを瞬時に応える。
 そうしたぶれない視点のルーツはこの詩集を読んでなんども納得することが少なくなかった。
 テラちゃんの領域には到底達することはできないが、テラちゃんのこと忘れないよ。
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廃校の元運動場に赤く実る

2016-01-13 21:07:31 | 風景
 ムラの神社の本殿となりに若宮神社が合祀された。
 この隣には地元卒業生を輩出した元小学校の校舎がある。
 校舎前の校庭はバスケットボールコート一面くらいしか取れない狭さだ。
 この校舎の上側に運動場があった。

                                
 今はがらーんとした原っぱのたたずまいだが、地元の人が土地を提供し整地したりして実現した運動場だ。
 ここでも狭いが運動会はなんとかできたようだ。
 現在のムラの中心的なリーダーの多くはこの山の学校から育っている。

                               
 この運動場の周りは、赤い実の植物が多く実っているのが不思議だ。
 目立ったのが、「フユイチゴ」。
 イチゴジャムを作るにはここに来ればいいんだ。

            
 次に多いのが、「マンリョウ」の赤い実。
 山里の自然で見られるのは、センリョウよりマンリョウのほうが圧倒的に多い。

                
 そして、庭でよく見られる「ナンテン」。
 というのも、「難を転じる」という意味があるため玄関や庭に植える人気樹種でもある。
 なぜここに多く見られるかはわからない。

                                
 「サルトリイバラ」は人が植えたものではない。
 園芸店では実がいっぱいついたものが売られているが、自然のものは実はすくないことが多い。

 人影がまったくないムラの元運動場には、秋・冬に鮮やかに実る赤いいのちがあった。

 
      
 
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追悼集”寺山利子『一息いれて』” その①

2016-01-12 19:54:46 | ポエム
 昨年急逝したテラちゃんの遺稿集『一息いれて』が正月早々送られてきた。
 オイラも学年トップを競った背の低さだったが、テラちゃんは150cmはなかった気がする。
 そんな小柄な体から発する行動力とキレのいい意見と優しさにはいつも襟を正す思いだった。
 テラちゃんがこれほどに詩を書いていたとは知らなかった。
 テラちゃんと年齢が近いわりには、テラちゃんのフットワークの柔軟さといい、感性や好奇心の多様性といい、子どもの心を失わないピュアな精神といい、原点はここにある思いがした。

        
              「一息入れていいんじゃない」
 パート勤めも二十年
 二人の娘も社会人
 そこそこなりの生活に
 「私の望みは何だった?」
 からんだ糸を解きながら
 ますます絡むその糸を
 ちょいとそのままにしておいて
 一息入れていいんじゃない

                         
 何が出来る訳じゃない
 何かが誇れる訳もない
 それでも一応人並みに
 私は人生考える
 「これでいいの?」と悔やんでる
 どうせ昨日に戻れなきゃ
 熱いコーヒーでも入れて
 テレビの音を聞き流し
 一息入れていいんじゃない

                          
 それでもやっぱり思うのよ
 私は私で今ここに
 生きているのは事実だし
 私がしてきたそれなりの
 事があるのも事実だと
 どこかに埋もれているだけの
 小さな一人の生きざまを
 ちょっと記してみたいから
 野に咲く花を見るように
 一息入れていいんじゃない

              (2003年夏)
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