山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ドナルドキーンと司馬遼太郎の対談から

2016-01-22 19:29:47 | 読書
 先日、ドナルドキーンと司馬遼太郎の対談をまとめた『日本人と日本文化』(中央公論社、1972.5.)を読んだ。
 東北の大災害を機に日本国籍を取得したドナルドキーンの見識が随所に光る。
 司馬遼太郎は既に亡くなったがその広大な知識は知の巨人と言っても過言ではない。

                         
 儒教の日本への浸透力についての見解で両者はぶつかり合う。
 司馬は、日本人特有の「便宜主義」でうわべは支持しているが、儒教はそれほど影響力はなかったとする。
 「仏教ですら日本人の心をかすめていっただけ」だと、バッサリ。

       
 江戸文学に造詣が深いキーンは、世間の哲学として日本人に根強く広まったとする。
 それが江戸文化や明治以降の暮らしにも影響したとする。
 キーンのほうがやや現実的意見を言っていたが、司馬はなげやりな感じだが、「原理というややこしいものに煩わせられることが少ない」のが日本人の体質だと反撃する。

                          
 また、キーンは、 「一般の日本人にいちばん親しみやすい時代は江戸で、その文化の担い手は町人だった。」と、語る。
 それに対し司馬は、江戸の建築物には精神を感じさせないとして、戦国時代の文化に魅力を感じるという。

                         
 9世紀頃、日本文学が中国文学になってしまう危機があったが、それを救ったのが女性だったという。
 それは女性の地位が高く、和歌などを中心とする「たおやめぶり」が「源氏物語」「枕草子」「古今和歌集」などを産んだ女性文化力だ。

 その世界の内容が現代にも通じる普遍性があるのは確かだ。
 それが男性中心の漢語社会、つまり「ますらおぶり」を駆逐していったのではないかと分析しているのが興味深かかった。
 
 さらには、中国で失ったものが日本の文化・言語・建築・植物に残っているという。
 そういえば、当時の山水画や建築様式は中国では絶滅に近いが日本ではそれが保存されている。

       
コメント (2)
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