
江戸時代後期の歌舞伎で大活躍し「目千両」と言われた「五代目岩井半四郎(1776-1847)」の役者絵を見る。「岩井半四郎」は初代から三代目までが上方歌舞伎で活躍し大坂岩井座の座元も兼ねた。四代目以降は江戸歌舞伎の女形を代表する家柄となった。
なかでも、「五代目岩井半四郎」は、その眼差しとおちょぼ口をはじめ色気・愛嬌・容姿でも魅力的だった。さらに、悪婆・若衆・荒事のどれをとっても生き生きと演じられるまさに千両役者だったという。屋号は舞踊の名手を数多く輩出している「大和屋」で、「坂東三津五郎」や「坂東玉三郎」らを擁する一門である。
役者絵を描いたのは「香蝶楼(カチョウロウ)国貞」(のちの三代目歌川豊国)。尊敬していた画家・芸人「英一蝶」(ハナブサイッチョウ)の名から「香蝶楼」の号(1827-1848)を名乗る。天保12年(1841)に上演された歌舞伎「熊谷陣屋」の場面、武将の熊谷直実の妻「さがみ」を演じた五代目岩井半四郎の女形を国貞は羽子板に写している。やはり目ぢからのある目とお歯黒の口とを強調している。
髪型は勝山髷。吉原の遊女・勝山が流行らせたという髪の輪っかが目立つ力強い元禄スタイルで、武士の奥方にも浸透していったことがこの絵でわかる。また、大きなべっ甲が武将の権威を見せている。
羽子板上にあるのは羽根であると同時に大和屋のもう一つの家紋「チョウジ(香辛料のグローブ)のつぼみ8個をデザイン」した替紋(ヤツチョウジ)があり、その下には「三つの扇をデザイン化」した定紋(ミツオウギ)と独楽とを表現していると思われる。独楽のデザインは初代半四郎の「丸に三ツ扇」の定紋であり、それは初代の生家が扇商だったことによる。
国貞の役者絵の版元は、小伝馬町にある「伊勢三板」と刻印され、つまり伊勢屋三次郎の出版社ということになる。伊勢屋を名乗る版元は合計で6軒もあった。検閲済みの「極」印にはよく見ると「B」の形が発見できる字であるのが特徴。
ついでに、大河ドラマ「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎の印は、蔦の葉のロゴで美人画の有名な浮世絵を見るとこれがよく出てくる。国貞よりやや先行した重三郎らの「極印」も寛政から文化年間にかけて検閲された丸っこくて、歌麿・写楽らの全盛時代だった。
一枚の役者絵からいろいろな情報があることが伝わるが、当時の庶民は絵を見て「判じ絵」のようにすぐ分かったようだ。