
先日、戦場カメラマンの渡部陽一さんの講演を聞く機会があった。期待どうり迫力ある講演だった。ゆったりした独得の語り口が子どもでも年寄りでもわかりやすい内容だった。さらに、ステージの左から右へ、もちろん中央でも全身を使ったパフォーマンスは視聴者一人ひとりに届けようとするアクションだった。その表現は、パントマイムのような手話のような豊かな所作だった。
(画像はムビコレwebから)
まずは、戦場カメラマンになろうと決意した経過を語った。それは学校の授業でアフリカのジャングルで狩猟する部族の話があり、それに魅かれてコンゴに飛んだ。しかし、当時はルワンダ内戦があり、民族の大量虐殺が発生していて、100万人以上の民間人が犠牲となった現場にかち合ってしまった。その前線にいたのが少年ゲリラ兵だったのでとてつもない衝撃となったという。
持ち物のほとんどを提供してなんとか命は助かったものの、こういう現実を知らせるために愛用していたカメラを活用した戦場カメラマンになることを決意する。事実を撮ろうとカメラを向けると渡部さんの服を引っ張って泣く子どもたちがSOSを発信していた。戦場のそのSOSを届けることが責務だと感じ、それからいろんな戦場を取材し、なべて共通していたのは戦争の犠牲者はいつも子どもたちだ、ということを痛感していく。
(画像はリクルート進学総研ebから)
次にそうした力による戦争を抑止していくためにはどうするべきかの課題に話が展開していく。それは、ノーベル平和賞を受けたマララさんのブログから、ペンと一冊の教科書と教師がそろえば、つまり「教育の力」が究極には効力を発揮するのだと教えられそれを肌で達観する。それを補完するために渡部さんは戦場の写真を撮り続ける。
明治初期に来日して大森貝塚を発見したエドワード・モースは、「労働階級──農夫や人足達──と接触したのであるが、彼等は如何に真面目で、芸術的の趣味を持ち、そして清潔であったろう! 下流に属する労働者たちの正直、節倹、丁寧、清潔」に感動しているが、日本の伝統的な寺小屋的な教育力が労働者・農民の品位を形成していることを見抜いたと思われる。そんな指摘を想起したが、日本の近代化をいち早く実現した裏付けにそういう「学ぶ力」が蓄積していたことも忘れてはならないだろう。
渡部さんは剣道をやっていたようで丁寧なあいさつと相手を思いやる優しさあふれる語りで会場を魅了した。マスコミでは彼の一面しか紹介しないが、彼の意図するところをもっと取り上げてほしいものだとつくづく思う。