
わが家の近くに古道がある。戦国の世ではこの狭い道を徳川軍は武田軍追討のため通った古道らしい。そのかたわらに古くから馬頭観音の石仏があった。またその近くには川にかかる古道の橋があり、むかしは吊り橋だった。そのため、馬が落ちて亡くなったりすることもあったそうな。また、重い荷物を持った人間が隣町へ行くために峠を登るため結界を越えるという馬も人間も命がけの行路でもあった。それでいつからか、古道の坂の途中に鎮魂と安全祈願のための馬頭観音の石仏が鎮座していた。
今のところ、その川の決壊や橋が流されることはないが、高台には縄文遺跡があり、縄文人は川のそばでは生活しなかった知恵があったようだ。さて、その馬頭観音は、おそらく去年早々だと思われるがみんなが知らない間に姿を消してしまったことに気がついた。盗まれたかとさえ思ったが、少しずつ土砂も崩れていたのできっと埋まってしまったのに違いないと思われた。
寄り合いでみんなに聞いてみたがその行方は誰もわからなかった。それが去年の12月だろうか、石仏はいつの間にか無事に掘り出されていた。石仏を支える重い台座もしっかり掘り出されていた。
それを誰がしてくれたかをみんなに聞いてみたがわからなかった。となると、その周辺を整備してくれていたチーボーさん以外は考えられなかった。チーボーさんは12月の寄り合いにはいたが、1月半ばには心筋梗塞で突然亡くなっていたのだった。
寒い朝だった。チーボーさんが川のほとりで倒れていたのを発見された。74歳だった。深夜の川のほとりで好きなタバコを吸うのがささやかな習慣だったという。チーボーさんはどちらかというと、目立たなくて控えめだが心優しい人だった。ついこの間まで、地元の自治会長や組合長をやってくれたばかりでもあった。役員をやってから、人が変わったように地域のことを率先して動いてくれた。その姿がとても謙虚でいきいきしていたので、第2の人生を見つけたように積極的な動き方だったのが頼もしかった。
同期の仲間からは、「想い出がありすぎて寂しい、とってもがっかりだ」。若手からは、「子どものときにチーボーさんに丸刈りをやってもらって優しく声掛けをしてくれたのがうれしかった」という人が多かった。オイラも仕事を退職してまもないチーボーさんと地元で一緒に何ができるかを考えていたので残念至極だった。
馬頭観音の掘り出しは、チーボーさんの最後の仕事だった。きっと、土中からの観音様の声をどこかでキャッチしていたのに違いない。
そんなチーボーさんの活躍をしっかり見届けてくれていたのは、ごみ収集場所の屋根にいた「コケッコ」と掘り出された観音様だった。