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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

一隅を照らす

2015-03-01 01:01:25 | 最終講義
 私は大きな研究成果をあげることはなかったが、自分の与えられた持ち場で「一隅を照ら」して来たつもりである。
 私の最終講義を聞きに遠いところからの人も含めて多くの方が集まってくださると聞き、感激している。本当にうれしいことだ。



 この有名なことばの最後の「慍」は「いきどおる」(あるいは「いかる」)と読むようだ。したがって、
「朋(とも)あり、遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして、いきどおらず」となる。これは今の私にとっては次のように響く。
「友達がいて、遠くからも来てくれた。これほど嬉しいことがあろうか。有名な研究者になることもなかったが、それがどうしたというのだ。わかる人にはわかるし、今わからなくても、私の書いたものを読んで、知ることの歓びを共有してくれる人は必ずいる。いや、人が知らなくても、私の調べたことは、お天道様は知っておられる」と。

つづく
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