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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

恵まれていたということ

2015-03-01 01:01:24 | 最終講義
 私はどちらかといえば内気で面倒くさがりなほうである。そのためさほど多くの人に出会ったとはいえないが、本物の「自然好き」に出会うことができたのは幸いであった。
 幸運といえば、野外調査にはさまざまな危険が伴ない、細心の注意をしていても、思いもかけない事故が起きるのは避けがたいことである。しかし、40年間野外調査をしていて、自分自身も、多くの学生も事故という事故を起こすことがなかった。私はこの点でも幸運であった。
 私は病弱な子供で、よく病気になった。母はよく「隣の市(まち)で風邪がはやっても、まっさきにひくんだから」と言っていた。寝ていて高熱のため天井がグラグラし、鮮やかな赤や緑色に変化するのが恐ろしかった記憶がある。消化系も弱く、よくお腹をこわした。
 だが、野山を歩いているうちに徐々に丈夫になり、30代後半からは体力にも自信が持てるようになった。だから、自然は私をいざない、健康にしてくれたのだという感謝の気持ちがある。
 2002年からモンゴルで調査をするようになったが、数年経ったとき、朝日新聞がある写真を公開した。それは現在の中国黒竜江省のホロンバイルと呼ばれる草原を歩く日本兵の写真であった。1939年の写真である。偶然ながら私はこのホロンバイル草原につながるモンゴル東部の草原で調査をしていたときに、日本の学生とモンゴルの若者がキャンプに戻ってくる写真を撮影していた。そうであったから、私は日本兵の写真を見たときに、その偶然に一驚したのであった。


モンゴル草原を歩く日本とモンゴルの若者(2004年8月)


 同じ二十代前半の日本の若者が、同じ草原を歩いている。だが、胸に思うことはまったく違っていたはずだ。
 私は戦後間もなしに生まれ、平和な時代に、好きな職業に就くことができた。そしてモンゴルの野生動物の保全のための研究をしている。なんという違いであろうか。誰も自分の生まれる社会も時代も選ぶことはできない。私はそのことに恵まれていた。天恵というべきであろう。

つづく

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