太陽日記

北海道移住10年を機に、日記をこちらに引っ越しました。気が向いた時にひっそりと更新します(笑)

さくら

2020-09-07 21:11:48 | 日記
 ようやく精神的にも落ち着いてきたのでご報告しますが、15年と9カ月近くにわたって連れ添ってきた愛犬のさくらが、去る8月31日に天国へと旅立ちました。16歳と1カ月ちょっとでした。
 そもそも犬を飼うきっかけはMiyukiさんでした。犬3匹に猫1匹、一時はヤギやポニーも飼っていたMiyukiさんは、よく「キー坊さんも犬飼いなよ」と言っていました。「この辺はクマも出るから番犬代わりに」とも言っていましたが、こんな田舎での30代(当時)の男の一人暮らしには相棒がいた方がいいだろうという配慮もあったような気がします。するとseijuさんの働く軽種馬牧場で3匹の子犬の引き取り手を探しているという事で、あれよあれよという間に犬を飼う事になりました。犬を飼うのは初めてだったので、引き取りに行く時はMiyukiさん一家も同行してくれました。そして、しばらく様子を観察していたMiyukiさんが「この中で一番飼いやすそうな性格なのはこのコだと思う」と勧めてくれたのがさくらでした。ちなみに、さくらと名付けたのには理由があって、自分は「将来マイホームを持ったなら、庭に桜の木を植えて自宅で花見がしたい(何故か庭付き一戸建てが前提だった)」という夢がありました。すると、太陽に移住して最初に借りた家の庭には4本も桜の木があって感激しました。そこで、女の子という事もあってさくらと名付けたのでした。


 さくらが我が家にやってきた初日。親きょうだいと引き離されて見知らぬ家に1匹、そりゃビビるよなと思ったけど、やがてビビりなのはこのコの性格だと知る。


 2日目。「私が頼れるのはアナタしかいないんです…」


 しかし、すぐに新しい環境にも慣れてやんちゃな面も見せるようになった。


 初めてMiyukiさんの家に連れて行った時。ゆめとはなにちょっとビビり気味。7年後、まさかこの家に住む事になるなんて思いもしなかった。


 ウチの周りはほとんど車通りが無いので、駆けずり回っても安心だった。




 まさに「雪やこんこ」の歌詞のごとく




 となりの牧草地がほどほどの伸びの頃は走り回りたい放題。


 動物病院と避妊手術の相談をしていたら最初の生理が来てしまって延期。家の中が汚れてしまうので紙おむつ生活に。2回目も予想以上に早く来てしまって、なかなか避妊手術が出来なかった。


 歯が生え変わる頃はよくテーブルをカジカジされた。怒られて反省するふり。


 初の姪っ子が出来たので会いに実家に帰った夏。フェリーでさくらも連れて行った。神奈川の蒸し暑さにヤラレ気味。北海道に戻った頃には胃腸炎で下痢になった。


 地元にハンターさんがいて鹿肉をもらう事もあった。リアルな大腿骨をガリガリ。


 室内飼いだけどトイレは外でしかしないので、泊りがけの仕事の時用に犬小屋はある。天気のいい日には自宅にいても外に繋いであげると気持ちよさそうにしていた。


 最初に住んでいた家の周りのお散歩コース。




 この頃はカメラを向けても平気だったんだけど…


 やがて何故かカメラが苦手になって写真を撮る事も減ってしまった。


 今の家に引っ越してからのさくらの写真は本当に少ない。散歩の途中に咲いていたエゾエンゴサクと。


 戌年の年賀状用に撮った中の1枚。なかなかカメラ目線で撮れないし、撮れてもいまいちテンション低め。でも、まだ元気だった頃の最後のカメラ目線写真だったので、これを遺影にした。

 さくらの最期については、大事なペットを失った事がある人にとってはあまりにも辛い文章になってしまうので書こうかどうしようか迷ったのですが、あの奇跡のような出来事は書き記しておきたいと思ったので書きます。辛い人は無理して読まなくても大丈夫です。

 足腰の弱ってきたさくらは、散歩で歩ける距離も日に日に短くなっていき、8月になると家の敷地から道路に出る事もほとんど無くなりました。一日のほとんどを寝て過ごすようになり、起きた時には尿意・便意をもよおしているようで、気がついた時にはすぐに外に連れて行かないと家の中でしてしまいます。そこで紙おむつをするようになりました。それでも寝ている時にいわゆるおねしょをしてしまった時は横モレしてしまう事もあり、何度も床掃除をしました。また、最初の頃は外に連れて行った時に自分で立って少し歩きまわって排尿・排便をしていたのですが、やがて立たせようとしても自力で立つ事が出来なくなってしまったので、最後の1週間は全て紙おむつ任せになりました。
 また、エサはドライのドッグフードをあげていたのですが、歯もボロボロになってきたので食いつきが悪くなり、一時はほとんど食べなくなったのですが、牛乳で柔らかくすると食欲も復活しました。よく犬は乳糖を分解できないので牛乳を与えすぎると下痢をすると言われますが、さくらは小さい時から牛乳を飲んでいますが大丈夫でした。牛乳で柔らかくなったエサで食欲も復活したのですが、やがてまたあまり食べなくなりました。それでもオヤツはよく食べるので、ドッグフードの上におやつを乗せる作戦に出るとまた食欲が復活。ゲンキンなものです。
 しかしそれも一時的なもので、やがておやつすらも食べなくなってしまいました。その頃にはもう自力で立てなくなっていたので自分がさくらの体を支えて立たせていたのですが、エサは食べなくても水だけは飲ませてあげないとと、一日に何度も水だけは飲ませていました。しかし、その飲む量も日に日に減っていきました。
 また、足腰の弱ったさくらは特に後ろ足の踏ん張りが効かなくなり、8月になる頃には突然「ゴン!」と音を立てて床に転がるようになってしまいました。床はフローリングなので硬く、最初は右前足の付け根の関節のある辺りに怪我をしてしまいました。その頃はまだ自力で起き上がる事もあったのですが、起き上がろうとする時に四肢でもがくのでその時にも床とこすれ、日に日に傷が大きくなっていきました。そこで患部が化膿してはまずいと、毎日消毒液で消毒をし、カット綿を当てて包帯を巻きました。一時は動物病院に連れて行こうかと思いましたが、やがてそこだけでなく四肢の節々という節々が傷つくようになってしまい、その後自力で起き上がる事も出来なくなったので座布団の上で寝かせるようにすると、それ以上傷は増えなくなりました。
 それでも時々動いて座布団から外れてしまい、硬いフローリングが痛いのか、「お父ちゃん、痛いよ~」とでも言うかのようにワオンワオン鳴いて意思表示します。また、排尿した時も「お父ちゃん、おしっこ出た~」と意思表示。もう本当に介護の世界ですが、仕事もあるので24時間付きっきりでいてあげる事は出来ません。夜中に起こされることもしょっちゅうあり、寝不足気味でした。ただ、エサを全く食べなくなり、水だけの生活が1週間を過ぎるとさすがにもうお別れは近いのだろうと覚悟していました。
 そして8月31日の夕方、PCのある部屋でネットチェックをしていた時、リビングで寝ているさくらの意思表示が。その前日からもうワオンワオンと声は出ず、わずかに声にならない声が気配で感じられる程度となっていました。様子を見に行くと座布団の上にいるし紙おむつも濡れていない。「どうしたの?大丈夫かい?」と背中を撫でてあげた。すると、ほどなくしてさくらの様子に異変が。「えっ!これってもしかして…」と思ってからは、わずか1~2分の出来事でした。今となっては、さくらは最後の力を振り絞って「お父ちゃん、わたしもうダメみたい。お別れだから早く来て!」って呼んでくれたんだと思う。ショックだったけど、最期を看取ってあげられて良かった。

 新冠の火葬場ではペットの火葬もしてくれるので、翌日に手続きをして火葬してもらいました。その後はふとした瞬間に思い出しては泣いてしまう日々が続きました(ホントは今でも続いているけど…)が、仮の箱に入れている遺骨をどうするか悩みました。自分の土地ではないので勝手に庭に埋葬してお墓を建てるわけにもいきません。ネットで調べてみると「手元供養」と言って遺骨をお墓に入れず、手元に置いて供養する方法も最近は増えていると知りました。ただ、それにも注意点はあり、骨壺と言って想像するのは陶器製だったりしますが、陶器だと内部に水がたまる可能性があるそうです。そして高温で焼いた遺骨には無数の細かい穴が開いているせいで、湿気を吸いやすくなっているそうです。なので、気をつけないとせっかく身近に置いて供養している遺骨にカビが生えてしまう事態になりかねないのだそうです。そこで、湿度を調整してくれる木の箱はどうだろうと思いました。それが適しているのか分かりませんが、とりあえずホームセンターに行って材料を揃えました。イチから箱を作る覚悟でしたが、ちょうどいい大きさの木製のお道具箱的なボックスがあったので、フタになりそうな板と合わせて買ってきました。フタは蝶番で開閉式とし、中に入れた除湿剤を定期的に交換できる方式にしようと思いました。完成したのがこちら。




 完全に密閉できるほどの気密性は無いので、フチにはスポンジマットを貼り、フタは戸棚などにあるローラーキャッチでパチンと閉まるようにしました。遺骨は不織布で出来た袋に入れ、除湿剤と共にこの箱の中に。


 見ようによってはそれ自体がお墓にも見える遺骨収納箱のようなものが出来ました。こうやってちゃんと遺骨を収納し、遺影を飾ってお水やドッグフードをお供えしたら、ようやく心も落ち着いてきました。素人考えなのでこの方法が適切なのか分かりませんが、さくらはいつもここにいます。
 Miyukiさんが選んでくれたさくらは、いわばMiyukiさんの最期の忘れ形見と言えなくもないし、思えば自分の人生の1/3近く、北海道生活のほぼ全てを共に過ごしてきた家族。最後の方はちょっと大変だったけど、本当に楽しかったよ。ありがとう さくら
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2 コメント

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感謝して (ジュン)
2020-09-18 13:30:04
キー坊さん さくらちゃん残念でした。 一緒に居られたこと感謝して逝かれたことでしょう。亡くなった時はじっとして居られず散歩コース等歩いたものです。骨箱を作られたのもそういうことなのかな?と。
上手にできていますね。家も11年が過ぎましたがまだ家にいます。陶器のこと今知りましたが様子を知るのが怖くてあけられないな~。 辛くてペットを供養して下さるお坊さんに手紙を書いて供養して頂きました。ず~っと手元に置くのは良くないと。
元気出してくださいね。
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Unknown (キー坊)
2020-09-19 11:43:26
>ジュンさん
コメントありがとうございます。
しばらくはふとした瞬間にさくらの事が気になっては「あぁ、そうか、もういなんだったな」と思う事が多かったんですが、少しづつさくらのいない生活にも慣れてきました。今では毎日遺影に「おはよう」「行ってくるね」「ただいま」「おやすみ」と声をかけています。
陶器の骨壺ですが、最近は墓じまいが増えてきましたが、暗くジメジメしたお墓の下に長いこと置かれていた骨壺にはほぼほぼ水が溜まっているそうです。そういった湿気の多い環境に長いこと置いていると、最悪の場合水が溜まる可能性があるそうですが、部屋の中ではそこまでひどい環境ではないと思うので、あまり神経質にならなくてもいいのかな、とは思いますが、情報として知ってしまったら少しでもそうならないようにしようと思いますよね。
自分もいつかはちゃんと供養してあげた方がいいのかな、とは思いますが、しばらくはこのまま手元供養を続けようと思います。
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