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怨霊洛東(伏見城・養源院・八坂神社)17

2016年09月23日 | 歴史
伏見城・養源院・八坂神社

石田三成らの伏見城攻撃で、自刃した徳川家臣の血がついた床を養源院他の天井に使用
八坂神社の祭神『スサノオ(牛頭天王)』を鎮める祇園祭
知識・意欲の向上の目的で、本を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、「京都魔界(東雅夫)」詳細本で確認ください












怨霊(ネットより画像引用)

家康伏見城へ入城
秀吉の没後、伏見城に入ったのは徳川家康だった
家康は鳥居元忠に伏見城を預けて会津攻めに向かった

石田三成ら伏見城攻撃
三成、反家康派の諸大名を集めて挙兵、伏見地域へ攻め込む
宇喜多秀家ら城攻めの軍勢は4万人、城を守る元忠ら1,800人
最後は火を放たれ、譜代の家臣は城内で自刃した
城内の床は、血の海で、床板で踏むには忍びなく、供養のため「血天井」にした
「血天井」として京都市内数力所の寺院に伝えられている

養源院
伏見城の「血天井」が使われている寺院のひとつ
秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のため創建した養源院
再興を幕府に願い出たのは、淀殿の妹徳川秀忠へ嫁いだ江でした
徳川側は、豊臣家の建てた寺を再建できないと当初拒絶
結果、徳川家の家臣の血で染まった廊下の板を天井に上げ再興した
「血天井」のある徳川家の寺として再建された、歴代将軍の位牌を祀る寺となった

八坂神社の神『スサノオ(牛頭天王)』とは?
スサノオは、古代神話の荒ぶる神です
仏教の祗園精舎の守護神とされた牛頭天王と習合した神です
疫病神と恐れられ、その崇りを鎮めるために信仰の対象とされた
災いから逃れるため、人々は「蘇民将来子孫也」の護符を厄病よけとする
茅や藁で茅の輪を作り、疫病除けとする

祗園祭の起源
疫病神・スサノオ(牛頭天王)を鎮めるための祭事です
東京の神田祭、大阪の天神祭とともに日本の三大祭に数えられていた
疫病が大流行し、人々は八坂神社の祭神・スサノオの崇りだと噂した
天皇の勅命により66本の鉾を立て、神輿を奉じて除疫を祈った
疫病退散の祭事が、現代まで受け継がれています




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