4月27日(水)
ミセスマスダが友人のS夫人から今「田窪恭治展」が
木場の東京都現代美術館で行われているとの情報を頂いた。
5年ぐらい前 世界一周のクルーズのときノルマンディに立ち寄った。
当時はフランスでもあまり知られていなかったが
日本人画家が住みついてリンゴの壁画を描いた教会があり
我々夫婦も少し苦労してその教会を訪ね当てた時の話を
Sさんは覚えてくれていてその画家の展覧会を知らせてくれたのだ。



この東京都現代美術館には15年ぐらい前に来たことがある。
その時は「アンディ・ウオーフォル展」だった。
その後ニューヨークに行ったときにソーホーで
ウオーフォルの小品を求めたが本物なら我が家の「お宝」である。





ドゥーヴィルより車で一時間ほど、或いは第二次大戦の折
連合軍ノルマンディ上陸地カーンより45分ほどのファレーズ
という街の近くサン・マルタン・ド・ミュー村にある
サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂である。
500年ほど前に建てられた個人のチャペルであるが
司祭が去った後、ここ100年ほどは廃墟となっていた。
1987年クリスマスのころ、このチャペルに出会った
田窪恭治は家族で当地に移り住んで、このチャペルの修復に
取りかかった。
初めは誰の協力も得られず全くの個人的な仕事であったが、
次第に村人にも理解され金銭的な援助も受け、
更に資生堂のメセナの協力もあり、10年かけて
1999年に完成した。

美術展会場では教会内の壁画を再現している。
モチーフはノルマンディー特産の林檎である。
ノルマンディの現場では教会内に色々家具も置いてあるが
ここでは何も置かれておらずスッキリしている。
田窪はその後フランス政府より「芸術文化賞・オフィシエ」を受けた。


画家の田窪恭治さんは香川県の御出身。
金毘羅宮[琴平山再生プロジェクト」の一環として、
白書院に当山に咲く藪椿を主題とした襖絵を完成させた。
また椿を描いた有田焼きの陶板で飾った「新茶所」も
見事である。
「故郷に錦」と云うところか。

帰りは木場の東京都現代見術館前から
新橋行きのバスに乗り45分のドライブで銀座まで。
和光のサロンから井上画廊と銀ブラをして
最後に行き着くとこは「黒田陶苑」。
お店の人と陶器談義のひと時を楽しむ。

ミセスマスダが友人のS夫人から今「田窪恭治展」が
木場の東京都現代美術館で行われているとの情報を頂いた。
5年ぐらい前 世界一周のクルーズのときノルマンディに立ち寄った。
当時はフランスでもあまり知られていなかったが
日本人画家が住みついてリンゴの壁画を描いた教会があり
我々夫婦も少し苦労してその教会を訪ね当てた時の話を
Sさんは覚えてくれていてその画家の展覧会を知らせてくれたのだ。



この東京都現代美術館には15年ぐらい前に来たことがある。
その時は「アンディ・ウオーフォル展」だった。
その後ニューヨークに行ったときにソーホーで
ウオーフォルの小品を求めたが本物なら我が家の「お宝」である。





ドゥーヴィルより車で一時間ほど、或いは第二次大戦の折
連合軍ノルマンディ上陸地カーンより45分ほどのファレーズ
という街の近くサン・マルタン・ド・ミュー村にある
サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂である。
500年ほど前に建てられた個人のチャペルであるが
司祭が去った後、ここ100年ほどは廃墟となっていた。
1987年クリスマスのころ、このチャペルに出会った
田窪恭治は家族で当地に移り住んで、このチャペルの修復に
取りかかった。
初めは誰の協力も得られず全くの個人的な仕事であったが、
次第に村人にも理解され金銭的な援助も受け、
更に資生堂のメセナの協力もあり、10年かけて
1999年に完成した。

美術展会場では教会内の壁画を再現している。
モチーフはノルマンディー特産の林檎である。
ノルマンディの現場では教会内に色々家具も置いてあるが
ここでは何も置かれておらずスッキリしている。
田窪はその後フランス政府より「芸術文化賞・オフィシエ」を受けた。


画家の田窪恭治さんは香川県の御出身。
金毘羅宮[琴平山再生プロジェクト」の一環として、
白書院に当山に咲く藪椿を主題とした襖絵を完成させた。
また椿を描いた有田焼きの陶板で飾った「新茶所」も
見事である。
「故郷に錦」と云うところか。

帰りは木場の東京都現代見術館前から
新橋行きのバスに乗り45分のドライブで銀座まで。
和光のサロンから井上画廊と銀ブラをして
最後に行き着くとこは「黒田陶苑」。
お店の人と陶器談義のひと時を楽しむ。
