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A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

Day 074

2006年02月21日 13時38分06秒 | 航海日誌
第74日目(8月2日)終日 碁会所で過ごす。
午前中MKさんと対局、
その後 囲碁教室の指導をしている6段のOIさんと。
午後はYG6段と対局 ボロ負け。
その後UM3段に指導的対局をしてもらう。

明日はメキシコ・アカプルコ、上陸説明会が行われた。
世界的リゾートなので物見遊山は程々にして
五つ星ホテルでゆっくりリラックスしてホテルとビーチを楽しむ積もり。







夕日、残影が綺麗。






Day 073

2006年02月20日 13時37分17秒 | 航海日誌
第73日目(8月1日)
デッキから亀とかエイを見た乗客がいる。

海を眺めながら終日 碁会所。
囲碁仲間も増えてきて結構ご婦人もいらっしゃる。
同じ人とばかり碁を打たず色々な人と対局しようと言うことで
初めてご婦人とも対局した。

8月5日と7日にハーモニカのコンサートが決まった。
練習に熱が入ってきた。
司会と独奏は「知床旅情」をやることにした。

今日は時差で今までとは逆に1時間時計を早め1日が23時間になった。
地球を西に向かっていたのが少し東へ戻ったということか。
東京との時差は14時間。


Day 072

2006年02月19日 13時35分48秒 | 航海日誌
第72日目(7月31日)
昨夜22時コスタ・リカのプンタレナス港を出帆
船は3日のクルージングでメキシコ・アカプルコの予定。

海を眺めていると海豚が散見される。
もう海豚とか飛び魚では乗客は余り興味を示さない。

名画座ではジェームス・ディーンとエリザベス・テーラー
それにロック・ハドソンの「ジャイアント」。

プロムナードではリクライニングチェアーで昼寝と読書。

ダンスのレッスンも盛ん。
二つのグループがありお互いに競っているらしい。

船内小ホールではフラダンスの練習
何か船内演芸の為の演劇のリハーサル。
それにピンポン大会。

般若心経の解説と言うか勉強サークル。
折り紙を楽しむグループ。
マジックの講習会もある。
有料・無料の英会話、スペイン語の会話教室。

女性の将棋のプロが10人ぐらいのアマチュアーと同時対局。
強いことも強いが若くて綺麗で可愛らしい。



アッパーデッキではプールとジャグジー
和太鼓の演奏
どういう訳か「武富士ダンス」の練習。

若者達はバスケットボール、ミニ・サッカーに興じている。

平穏な船上生活である。








Day 071(上)

2006年02月14日 23時00分40秒 | 航海日誌
第71日目(7月30日)
コスタリカ・プンタレナスに到着。
静かな入り江で埠頭が1本あるだけでターミナルビルも無く
鉄柵をくぐればコスタリカ国内である。
その1本の埠頭には既にアメリカ船籍の7万トン級豪華客船が停泊中。
向かい側に我々の船も停泊したが、こちらは3,7万トン相当見劣りする。
今日は自由行動。
船のタラップを降りるとすぐ向かいの豪華客船の
米国人乗客達に誘われミニ・バス・ツアーに行く事にした。
どうしても2名の欠員を埋めたかったらしい。
彼らの豪華客船でもグループ・ツアーの募集はあったらしいが
価格が高い(180ドル)と言うことで自分達でツアーを作ることにしたらしい。
ミニ・バス・タクシーを捕まえ豪華客船の企画したツアーパンフレット見せて、
其の通うりに走ると言うことだ。
こちらのツアーは昼食は付かないがガイド付きで20ドルと超割安。

ミニバスの中、お互いに自己紹介を行う。
皆カップルだ。
ニューヨークから来た人、テキサスのブッシュ嫌いのご婦人、
50年前ベトナム戦争時日本に来ていた日本語の単語を少し喋れる人。
ニューヨークに行った事の無いニュージャージーの人。
大変陽気で楽しい人達だ。
ハネムーンの黒人カップルも参加していたが二人の世界に浸っているのか
何時も少し離れたところで我々の会話に入って来ることは無かった。

まずサルチでコスタリカ独自の塗り物である
カレータ(トールペイントの様なもの)の工房を見学。
昔はオックス・カートといって牛に引かせる荷車(コーヒーや穀物を運ぶ)も
写真のようにカラフルに装飾されていたそうだ。
記念にカレータのトレーを購入。

アイスクリームのトッピングに良さそうなリキュール「カフェ・リカ」を求める。
コスタ・リカはコーヒーーの産地として有名だ。

続いて勿論コーヒー樹のプランテーションも見学。

Day 071(下)に続く・・・




Day 071(下)

2006年02月14日 22時54分07秒 | 航海日誌
Day 071(上)より続く

次にサン・レーマン市を訪問。
この町は革命後1948年軍隊を持たない事を決定した
ホセ・フィゲレス・フェレエ大統領の生まれた町で記念館を見学。

この街の人口も結構 多そうだ、
カソリックの教会も「鄙には稀な」立派さだ。
昼食はサンドウイッチバーで各人思い思いにとる事にした。
180ドルのツアーの食事とは大分差があるであろう。
フルーツ・マーケットではママが興味津々、眼の色を変えて楽しんでいた。
結局お買い上げはマンゴ2個、1ドルであった。
船に帰って良く冷やしたマンゴをデッキで食べるのが楽しみだ。

ツアー仲間とは六、七時間という短い時間だったがお互いに、
楽しかったと言うお礼と今後の旅の安全を祈りつつの別れだ。

港に帰ってきたら船の周りにペリカンがいっぱい。
ペリカンは沢山いると前世紀の鳥の様で少し気持ちの悪い鳥だ。
コスタ・リカの南西200キロに忽然と現れる「ココ島」は太平洋最大の無人島。
スピルバークが此処でジェラシックパークを撮影したそうで
この辺りにペリカンが沢山いるのに何か納得。

夕方から再びプンタレナスの街に出て夕食。
シーフード良し、コーヒーも流石本場、ローストの効いた良い味を出している。
船への帰り道、夕焼けが見事。

22時 アカプルコに向けて出帆。



Day 070

2006年02月13日 09時18分55秒 | 航海日誌
第70日目(7月29日)
船はパナマ の海岸線を右舷に見ながらコスタ・リカへ。

朝 明日はコスタ・リカなので上陸説明会が行われた。
コスタ・リカとは「豊かな海岸」と言う意味。
因みにプエルトリコは「豊かな港」と言う意味らしい。
中央台地は高原地帯で、3820メートルのチリポ火山はか3000メートル級の
高峰が幾つも聳え、真夏も真冬も無い「常春」。
国土の4分の1が国立公園。
またこの国の名を有名にしているのが50年前に軍隊を廃止し非武装を貫いている事。






その後 名画座で映画、ジョン・フォードの「荒野の決闘」を鑑賞。
OK牧場ものは興行的にじゃアメリカの忠臣蔵だそうだ。
必ずヒットするらしい。
ヘンリー・フォンダのワイアット・アープ、
ビクター・マーチュアのドッグ・ホリデーが懐かしい。
オー・マイ・ダーリン・クレッメンタインのメロディも久しぶりに聞くと
我が青春時代を思い起こす。

午後はUM3段と大局。勿論5目の置碁。

夕食後 今日は時差調整で1日25時間になるのでMK氏と対局。
囲碁教室の先生で6段のOI氏が見物に現れ色々口出し(指導)を受ける。
碁の勝負の方はグジャグジャになってしまったが、勉強になった気がした.



Day 069

2006年02月10日 23時54分22秒 | 航海日誌
第69日目(7月28日)
パナマ運河はパナマ地峡を開削し、大西洋と太平洋とを連絡させた海洋運河。
1914年アメリカにより竣工、人工湖ガトゥン湖と関門式運河が見ものだ。
全長長さ65キロを9時間掛けて通過するのだ。

朝10時半 ガトゥン・ロック(閘門)入り。
パナマックスと言って船幅32.31メートルがロック航行の限度。
船の両舷を8台の機関車に引っ張られ、一時間半掛けて三つのロックを
階段式に25メートル昇ぼるとガトゥン湖に出る。
ガトゥン地区は雨が多くそこにダムを建設し人工湖ガトゥン湖を作ったのだ。
湖上 松島のように島々が点在している。
湖に沿ってパナマ市からコロン市に向かう貨物列車とすれ違った。
人造湖ガトゥン湖では上下上り下りの船が行き交う。
湖を抜けると幅191メートルのゲイラード・カット。
これを通過すればパナマ側の降りロックに至る。

ロックを三段昇って、また三段降って太平洋側へ。
最後のロックを出るとシドニーのハーバーブリッジのような「アメリカ橋」をくぐると
パナマ市街が遠望される。
想像以上に大きな町で大都会の様だ。

スエズ運河と同様 一日中運河を見ながらデッキで過ごし大満足。
大変蒸し暑い気候ではあったがパナマ運河を堪能した一日でした。

夜はシアターでケビン・コスナーの映画「13ディース」を鑑賞。
キューバ危機の際ケネディーやアメリカ軍部の動きに興味を持った。
どこでも軍人は戦争をやりたがるものか?
ウォーター・クロンカイトのニュース番組が映画に流用されていたが懐かしかった。
映画の興奮を治める為ママとヘミングウエー・バーへ。

この所、しばしばママとヘミングウエイ・バーで
優雅な時を過ごす向きの記述があるが、
実は、j家内は酒は一滴も飲めない。
酒の肴をつまみながら、ひたすら水を飲んで小生に付き合ってくれているのだ。
それでも実に楽しそうではある。

次の寄港地は明後日7月30日コスタ・リカだ。




Day 068

2006年02月09日 16時15分47秒 | 航海日誌
第68日目(7月27日)
午前中 碁会所。
午後一時パナマ・クリストバル港に入港。
早速 記念にパナマ帽を購入。
パナマ帽をかぶって盛大な?歓迎を受ける。

クリストバル港はパナマ運河の入り口でパナマ第二の都市コロンにある。
まずバスでコロン市内観光。

街のソナ・リブレ(自由市)には、
保税倉庫が沢山あり輸出入が盛んな所らしい。
何でも貿易額は世界一?だとの事。
パナマ国家収入の一番を占めるそうだ。
二位が観光収入、三位がパナマ運河通行料収入であると。
ちなみにパナマ運河の一日の収入は200万米ドルである。

ただし市民の住居はひどく粗末な建物ばかりだし相当汚い。
今まで見てきたどの街よりも貧困の呈をみせている。
洗濯物が干してなければ、廃墟としか見えないような住まいが並んでいる。

なんの用事か道端に集まっている人々の暮らしは大変貧しそうだが、
我々にも、明るく笑いかけ手を振ってくる。
それなりの幸せな暮らしなのであろうか?

クリストバル港近くに手入れの悪い駅があった。
主としてコロン市とパナマ市を結ぶ貨物輸送らしいが
朝夕2往復の通勤用の客車列車を運良く見る事が出来た。


郊外の緑豊かな丘陵地帯はその昔パナマ運河建設のための
米国人居留地だった。
現在は中・高級住宅地となっておりレベルの高そうな穏やかな生活を
営んでいる様子が窺がえる。
木立も庭もこざっぱり整えられている。
野生のイグアナも散見できた。
アライグマ、ナマケモノを見た人も居たそうだ。

続いて本日のハイライト 待望のロック(閘門)見学。
3段ロックは見もので感激した。
明日はここを我々の船が通うるのだ。



港に帰るとオーシャン・ターミナル(但し、非常にみすぼらしい)に,
百軒ほどのスーベニア・ショップが店を出していた。
パナマ随一の民芸品である手作りの「モラ」の品々が、山と並んでいる。
女性は皆、夢中で品定めをしている。

キャビンでひと休みしてから、また碁会所へ。
碁と言う物はやり出すと又やりたくなる物らしい。

今晩はクリストバル港埠頭に停泊、
明日は一日掛けてパナマ運河通過だ。



Day 066

2006年02月06日 10時07分00秒 | 航海日誌
第66日目(7月25日)
早朝7時前ジャマイカ・モンテゴベイに入港。
カリブ海に浮かぶ島々の中で3番目に大きな島がジャマイカ。
「レゲェ発祥の地」としても知られている。
輝く海をはじめとする豊かな自然とそこに暮らす人々に興味は尽きない。
今日は自由行動だ。
ジュニア・アンダーソンさんのタクシーで市内観光。
クラフト・センター見学後、お買い物。
高台にある見晴らしの良いリッチモンドヒル・インで良く冷えたビール。
ドライブを続けリッツ・カールトン・ホテルへ。
付属しているゴルフクラブで昼食。
その後ホテルのプールで終日過ごす。
部屋を取ったので久しぶりにバスタブに入りママは御満悦。
風邪も治ったらしい。
夕食はロブスターテール、船の食堂とは比べべくもない。
22時船はパナマに向けて出航。



Day 065

2006年02月05日 09時56分50秒 | 航海日誌
第65日目(7月24日)
ママの風邪はまだ完全に治りきらず。
朝8時から10時まで右舷5マイルにキューバの島々が見えた。
終日碁会所。
夜はシアターで映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」を鑑賞。
明日はカリブ海の真っ只中ジャマイカ・モンテゴベイ,
映画で気分も盛り上がってきた。



Day 064

2006年02月04日 09時39分44秒 | 航海日誌
第64日目(7月23日)
足の調子悪く船内のクリニックで鍼、灸、マッサージの治療を受けている。
レントゲンでは骨には異常が無いそうだ。
不具合が長引いているが転倒した時の打身が原因か?
それとも加齢によるものか明日先生に聞いてみよう。

明後日7月25日は一日だけだがジャマイカに停泊だ。
上陸説明会が行われた。
我々はジャマイカでは自由行動の予定であるが
現地情報入手の為、説明会を聞きに行った。





終日夜まで碁会所と海を眺めて暮らす。
ママの風邪はまだ抜けきれていない。



Day 063

2006年02月03日 09時31分52秒 | 航海日誌
第63日目(7月22日)
ママは風邪で依然ダウン中。
朝から碁会所、昼から碁会所と少しハーモニカ。

夕食後 碁会所では最近 「連碁」をよくやるようになった。
白黒二組に別れ一人3手づつ打ってゆくゲームである。
一人3手しか打てないので次の人が小生の意図した打ち方をしてくれない事が
ままあり、戸惑ったり、驚いたり、感心したり 「連碁」は楽しい。
6段の先生が3人いて区切り区切りで解説・指導をしてくれるので
勉強になると思う。

今日も時差一時間で夜長を碁仲間とヘミングウエー・ばーで過ごす。


Day 062

2006年02月02日 20時51分47秒 | 航海日誌
第62日目(7月21日)
カリブ海を南下。
今頃はバミューダの沖か。

ママはニューヨークの三日間,余りにも楽しく、フルに活動しすぎたせいか,
昨夕、船に帰った途端,声が出なくなってしまった。
ひどい風邪(遊びすぎ?)だろう。
今日は、食欲もなく、終日キャビンで寝んでいる。

小生の膝の調子は相変わらず悪い。
楽しみにしていたダンスパーティーに誘われたが、足のことを考えて欠席。
帰国したら「片山整形外科」に行く事になるかも。

海を見ながら終日碁会所。
少し上達して碁敵のMK氏には3目置くようになった。

ハーモニカも独奏会にそなえ独習。


Day 061

2006年02月01日 17時30分21秒 | 航海日誌
第61日目(7月20日)
早朝YM御夫妻が船まで迎えに来てくれた。
港に停泊中はなるべく街で食事をする様にしている。
朝食はオーバーイージーとアメリカ独特のカリカリに焼いたベーコンにしよう。
ゴルフ場への途次オープンしているレストランが中々見つからず
結構苦労して食事にありついた。

今日のゴルフはハワースゴルフ場だ。
小生が昔メンバーだった時の旧コースは、ただただフラットと言う印象だった。
大幅なコース改造でアンジュレーションもでき
大変風格のあるコースに変身している。

クラブハウスもまたマネージメントも代わり、よりアメリカ風で感じが良くなっていた。
とは言うもののコースの所々に昔の面影が残っており懐かしさも感じられた。

足の調子が悪かったのでフラッグを立ててフェアウエー内もカートで走らせてもらう。
バック・ティからプレーしたこともありスコアーはそこそこの97、
気持ちの良いゴルフだった。

YMさんは老いて益々飛ばすようになり85、奥さんも100を切ったのには驚き。
もっとも御両人とも晴耕雨読ならぬ晴ゴルフ雨読の日常だそうだ。
ニューヨークの冬はゴルフが出来ないので来年2月はハワイだそうだ。
我々も10日ぐらい合流しようと言う話が纏まりつつある。

プレー後、マンハッタンの「すしでん」で夕食。
ネタもいいしホスピタリティーも良く楽しかった。
往年のニューヨークで一番と言われた「車ずし」より上。
銀座の久兵衛に近い。
YMさんには大散財をお掛けしたと思う。

我々が住んでいた20年前に比べニューヨークの日本食は
東京の一流所並みになった様だ。
来年は4人でハワイでゴルフの再会を約して帰船。

22時、次の寄港地ジャマイカに向け,満月のニューヨーク港を出港。
クリヤーな夜景、エンパイアーステートビルのカラフルなライトアップ。
今夜は自由の女神像も良く見える。
ベラゾノナロー・ブリッジが見えなくなるまでデッキに佇む。
デッキでは友人達とニューヨーク3日間の行動を報告しあう。

ニューヨークを出帆するとジャマイカまで5日間の航海となる。